「底辺職業ランキング」を書いて公表してしまう人間性

土木作業員
警備
工事現場
コンビニ
清掃
トラック運転手
ゴミ収集
飲食店スタッフ
介護士
保育士
コールセンター
株・トレーダー

新卒向け就職情報サイト「就活の教科書」の個人的見解によると、これらの仕事は「底辺の仕事」らしい。

元記事は削除されているらしいのだが、「底辺」という認識は人それぞれで、「社会には欠かせない仕事」であることは一定の理解はしているような文言があったとか無かったとか。

この文言入れとけば安牌でしょ。感がにじみ出ていて、あまり読んでいて気分が良い記事ではないだろう。現代では、記事の内容を読まずにタイトルで炎上するということの認識が足りなかったのかもしれない。

その後、ニュース解説記事みたいなので、執筆者は大学生と書いてあった。監修したのは31歳という結構な大人である。

言った言わない問題を一撃で解決できる最強のツール「文字」の記録を消されてしまうと、事実確認が出来ずに社会人失格だと思うが、まぁ運悪くYahooのトップ画面に載ってしまってやむを得ず削除したということだと思う。

この記事の書いた人間の人格を否定しようと思えばいくらでも出来る。ただ、そんなことをしても私達の社会が抱える構造的な問題やこのような偏見を持った残念な人達の問題は解決されない。

事実として、これらの職業の大半は人手不足で、社会に欠かせない仕事なのに、待遇が十分とは言えないのは一般社会の認識であると思う。それを見過ごしてはいけないし、このような偏見を日本から排除しなければいけない。

そこでこちらの記事では、どうしたらこれらの職業が社会的地位の向上に結びつくのか考えてみたい。ただ、上記の職業それぞれに特徴があり、一緒に検討するのは難しい。

土木作業員・工事現場の人というのは似たようなタイプの仕事だが、実際これらの人達の仕事はかなり体力勝負であるし、個人的な感覚としては何をもって底辺と呼ぶのか謎である。

『それって実際どうなの課』の1コーナーでやっているアキラ100%の企画をみたことがある人なら、彼らが本当のプロフェッショナルであることを身にしみてわかると思う。

大学ラグビーで全国大会に出たような力自慢が3日で辞めるということもあるらしい。その一方で細身なのに何十キロもの鉄骨を持ったりして、10年以上続けてスキルを磨いている人もいる。合う合わないの世界だし、プロスポーツのような体力とは別の能力が要求される仕事である。そして社会に必要とされる仕事であることは言うまでもない。

このような仕事をバカにする人というのは、そもそも自分がやったことがなかったり、何も内情を知らずに名前や雰囲気だけで、評価を落としている人が多い。私が以前から書きまくっている何を持ってして『評価』するのか、それが適正なのか、という根本的な問題である。

自分がやったら全然出来ないことを人に命令する人が私は気が狂うほど嫌いである。例えば料理を作ったことがない人間が「このレストランの料理は不味い」とか「店員の作業が遅い」とかいう人は、正直人間として性根が腐ってると言っていい。

そういう人はレストランがどのように運営されているのか理解出来ていない。自分の実力がないのに、何も知らず文句を言っているだけである。

今日、立憲共産党の選挙カーが走っていた。『アベノミクスにより、我が国だけが急速な円安を経験して、他の国とは比べ物にならない物価上昇に直面しています!アベノミクスの金融政策により、デフレになり、、、』

本当に、実力もなく何も知らない人間はただ見当違いの文句をいって批判することしか出来ない。そんなことは無駄なことだと悟るのは、小学生から中学生くらいで経験することである。

日本の受験教育の弊害かもしれないが、人が欲しがらないモノというのは、価値がないダサいものという認識を持っている人が一定数いる。

偏差値の高い大学にしろ、就活人気ランキングの上位企業にしろ、そういうところに入れる人がカッコいいと思っている人がいまだにいることに驚きではある。

まず日本人として、他人と欲しい物が同じで、画一化されている社会であることに疑問を持って欲しい。これだけ選択肢が広がっている時代に、コンビニの前の殺虫灯に群がる虫のようになる必要はない。

もちろん、勉強したり自分の実力を向上させていくのは素晴らしいことだが、それはそれだけの話であって、サッカー選手になったり、医者になったら、他の職業の人を馬鹿にして良いわけではないし、医学部を卒業してマックの店員をやり始めたら、バリバリに即戦力で活躍できるわけではない。

それぞれに求められる能力があり、それぞれの待遇が違うのはあくまでも社会の構造的な需給バランスであって、そこは私達の知恵やアイデアで変えられる部分である。

なんか、狭い門をくぐった奴が偉いみたいな、そういう思想は少し危険だと思う。危険というか、考え方がすごく幼い井の中の蛙のようである。

時代は資本主義から価値主義の時代になっている。これだけSDGsとか、定年後も好きな仕事をやろう的なムーブメントが起こっているのに、時代遅れの人はやはり取り残されている。

個人的に思うことは、今の時代に価値があるのは、人がやっていないことをやっている人である。

これは、人がやりたがらないことをやっている人とも言える。

明日からアフリカでカカオ取ってきてください。と言われたら多くの人は嫌がるかもしれない。だが、世の中には不思議なもんで、私のような人間をはじめ物好きがいて、喜んで行きたがる人もいる。

介護士や保育士の待遇が悪いと散々ニュースで言われていても、その環境で自分は働きたいという志高い人もいるわけである。

どうしてそのような人達の評価を下げることが出来るんだろうか。簡単に手に入ることと、それを使いこなせることは意味合いが全く違う。おそらくこの底辺の職業ランキングを作った人間はそれがわかっていない。事実として大学生なのだから、社会経験のない人間である。

日本人の強みというのは、このような社会で欠かせない仕事を行う人達の質がかなり高いことである。

海外だと道がゴミだらけであるし、道路もボコボコしている。水はけも悪いし、欠陥住宅も多い。

保育士なら子供のアレルギーや喉を詰まらせないように食べてるか確認して、トイレを漏らしてしまったらパンツを替えてあげないといけないし、子供同士が喧嘩して怪我をしたら、保護者に事情を説明しないといけないし、そこまでの質が担保されて、その給料でいいのか?と保育士達ではなく、周りの私達が先に疑問を持たなければいけないはずである。

ゴミの分別なんか本当に気をつけて行っている人が国民にどれだけいるだろうか。その後始末の負担がすべて清掃員の人達に行っている。マシンガンズ滝沢さんの影響でかなり清掃員の人達がどのようなことに困っているのか知る機会も増えたと思う。

底辺という言葉から想像するに、カースト制度のように自分たちはそのような人達とは関わらない身分だとでも言いたいんだろうか。

同じ国で同じような教育を受けて育った人間で、そのような思想の持ち主が生まれてしまうのは非常に残念ではある。

腐るほど求人票を見てきた自分としては、本当に底辺の仕事というのは、人の不安に付け込んで騙してお金儲けをしたりすることだと思う。特定の業界の仕事とかではなく、働いている人の中でそのような思想が芽生える人がいる。

簡単に言ってしまえば、人間を人間として見れなくなり、金と自分と自分の興味があることしか頭に残らないような人である。

悲しいかな、そのような人でさえ働けてしまうし、お金を稼げてしまうのが資本主義の残念な部分と言える。

私の主張としては、まず試しにやってみて欲しい。

日本人は特に仕事の流動性が低い。大卒で就職したら、ほぼ他の仕事は経験しない人が大半である。そんな人生を送っている人が社会全体の仕事の流れについてわかるわけがない。

宅配便など物流の荷物がどのように仕分けされているとか、警備員が一日立ちっぱなしでトイレに行けず、どのようなシフトで働いているのか、飲食店スタッフやコンビニ店員がどれだけ見当違いのクレームを受けているのか、想像したことがある人はいるだろうか。

私は大学時代にいろいろなバイトをやった。いろんなことを経験してわかったことは、給料の安い仕事ほど忙しくてキツイということである。

前に話したと思うが、当時の居酒屋で働いていた一日の給料を、昨日買った株を今朝起きて売却したら超えていた。そのときに私は、世の中の金の数字というのは、労働量や仕事の技術的な質、社会への貢献度を反映した数字ではないと学んだ。

人間は勝手に給料を深い意味に解釈しすぎである。

金はただの数字であるし、仕事の給料の場合は需給のバランスでしかない。

学校の勉強というのは、人生でババを引かないようにするためのものなのだろうか。ババを自分が引かずに、人に擦り付けるために狭い門を通過しようと人が殺到しているのだとしたら、私達の社会は生きるに値するものなのだろうか。

日本人というのは、海外事情に関してもそうだが、本当に無知なのかもしれない。

自分の中の世間の評判と想像の世界で生きて、現実が見えていない。そんな人が増えているとしたら、世の中は何も機能しなくなるだろう。

人の苦しみを理解できない人間や、人のやりがいをバカにするような人間を生まないようにすれば、もっとお金の流れを良くすることができるはずである。

無知とは罪である。




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