小倉智昭さんのコラム読んでないけど、ネット記事読んだ雰囲気で書く

小倉智昭さんと言えば、『とくダネ!』の司会のおじさんというイメージがある。世間一般の人よりは裕福な生活をして、なんか引退して色々楽しいことをしているんだろうと思いきや、本人が書いたコラムには全く正反対のことが書かれていた。

その内容としては、コラムを要約したネット記事を読んだ要約になるが、簡単に言えば「老後の楽しみ」的な事は、老後になったら肉体的にも感覚的にも楽しめないというものである。

それは、「また今度遊ぼうね」と言った友達とは永遠に「今度」が来ない感覚に似ている。今度遊ぶやつはそのタイミングで次の日程を決めるものである。

老後になったら、船に乗って世界一周旅行クルーズでも行きたいなぁみたいなことを考えていても、身体を悪くして人工透析みたいなことになってしまったら、船に長期間乗ることは出来ない。

読書が好きでたくさん本を読もうと思っていても、老眼で本が読めない。趣味の裁縫や書道などを頑張ろうと思っても、手が震えて上手く書けない。好きなものをたらふく食べてやろうと思っても、たくさん食べれるほどの胃がない。

コラムから全て抜粋したわけじゃないが、言っている内容としては私の創作も含めてそういうニュアンスの事である。要するに、時間が経てば経つほど、現在では想定していない問題や、やらなければならない事が増えてきて、結局なにも達成できないまま身体が老いて、出来ないことが増えてくるというものである。

これは多くの人に当てはまる危機感を煽ってくる感じがする。むしろ私はこの変な危機感が行き過ぎて、仕事をやめまくっては旅行している。

でも、コロナになってから円安で貧乏で、旅行できずストレスではある。だが、それも今が円安のピークだと思いこんで、将来は1ドル240円とかになる未来を想定していないからだと思う。今は無理すれば旅行できるが、240円では、絶対に旅行に行けない。

私が信じている特定の宗教はないが、全ての選択においてまず第一優先に考えるべきことは「人間は必ず死ぬ。そして、いつ死ぬか誰もわからない」ということである。

この100%正しい絶対的な真理を基準として私は生きている。金持ちになったから楽しい人生を送れるわけじゃない。楽しい人生になる可能性は上げられるかもしれない。ただ、100%絶対に楽しいわけじゃない。

お金を稼ぐために同時に時間も犠牲にしてしまっては、楽しめないだろうし、それによって体調を崩してしまい健康を害したら、もっと大変なことになる。

残酷な話だが、真面目に生きているからと言って良い人生が送れるわけではない。詐欺師だからといって罰が当たるわけでもない。そうなる人もいれば、ならない人もいる。本当にこの世は不平等であるということが、ある意味で平等であって、これは人間個人の力でどうにかできるものでもない。

自分の欲望を我慢することが美徳であって、自分のやりたいことを優先させることが、他人の迷惑になるという勝手な思い込みをしている日本文化にとって、他人を出し抜いて自分が優先的に楽しむという概念はほぼ存在しないし、仕事なら尚更だと思う。

私も以前からこの考え方が疑問だった。石の上にも3年という言葉がある通り、3年はやれと言われる。だが日本人の多くは3年以上同じ仕事をしているし、同じ会社にいる人も多い。

石の上にも3年は、最低3年いろ。という意味なのか、3年いたらある程度見えてくるからオッケーなのか、伝わりづらい。

1年で仕事を辞めたら、あいつ1年で辞めやがった。みたいな感じになる。だが、衆議院の任期は4年であるし、ずっと同じ仕事をするという意味にもならない。

死ぬまでに世界一周したいとか、自分のカフェをやりたいとか、海外の友人を作りたいとか、芸能界に入りたいとか、いろいろあると思う。

なぜ自分の一番やりたいことを後回しにして、いつ死ぬかもわからないのに、何が起こるかわからない世の中で、必ず来る未来として計画を立てるんだろうか。

戦争が始まったら叶わなくなる夢も多い。自分が死んだら、当然ながら自分の人生は終わる。

お金を貯めるという概念は必要だと思う。自分が何かをやりたいから、何かを我慢してお金を貯めるというものである。だが、ずっと嫌なことを我慢し続けて生活して、定年後に期待するというのは、あまりにもリスキーかもしれない。

そもそも定年と聞くと60や遅くても70歳な気がするが、今の20代や30代が70歳で定年できるのか謎だし、AIが進化しすぎて40後半くらいで定年できる可能性もある。

年金受給年齢に到達したから、定年になるという概念ではなく、普通に仕事ができなくなったから定年という雰囲気になりそうだし、もうFIRE出来る人は30でも40で50でも引退しそうではある。

自分のやりたいことがないから仕方なく仕事をしている人もいるだろうし、何かやりたいことがあるのに我慢して働く人もいる。

資本主義なのだから、自分でお金を稼いで自立していればいいだろうし、頼れる人がいるなら、持続可能な目安がつく範囲で生きていければいいと思う。仕事しようがしまいがどうせ何かしらの形で死ぬわけだから、自分が納得行く形で人生を終えるべきで、今の瞬間を楽しめるように尽力すべきだと思う。

楽しむというより、いかに楽しくないストレスを避けるか。という考え方のほうが、現代では現実的な気もする。

YouTuberが楽しそうに見えても、実際は自分が全て好き勝手できるものでもないし、収入が増えるというのは、いろんな意味で面倒なことでもある。

一気に収入が増えてしまうリスクとしては、社会保険料などの税金の請求が翌年跳ね上がってくる。だから、一度収入が増えてしまうと落とせないというプレッシャーがある。それがビッグモーターの不正に繋がったと考察する方もいる。

家賃20万からいきなり7万の場所に引っ越すわけにもいかない。家族ができたら尚更だろうし、昇った階段を降りるのは独身ならいいが、いろんなプレッシャーがあると難しい。

そういう考え方が地方のリモートワークに繋がったり、今をとりあえず楽しんで将来を期にせず生きていこうみたいなムーブメントの種になったりする気もする。

単に「今を楽しみたい」という欲望は甘ったれている事なんだろうか。もちろん、小倉さんの言うこと全てが正しいわけじゃない。老後にお金で苦労している人は、しっかり若いうちに貯金しとかないと大変だよ。と言うに決まってる。

人間の人生というのは、単にお金を稼いで食べ物を食べるだけではない。昔はそうだったかもしれないが、これだけ社会が豊かになっているのに、そういう考え方を持っている人は少ないだろう。

捨てるほど食べ物が溢れている社会になったのに、貧しい人もいる。結局、富の分配が満足にいっていない。それは政治家の責任にしてしまうと簡単だが、国単位や社会単位で人間がどのように生きていくのが理想なのか、方向性が見えない感はある。

ここからは私の人生の全般における感想みたいなものになるが、小学生までは私は世界一人生が楽しい人間なんじゃないかという自信があった。友達とふざけていただけだが、それが中学になると多少落ち着いて、高校になると面白くなくなって、大学になると少し自由が増えて一人暮らしが面白くなったが、卒業後はほぼ生きている意味はないと言い切れる人生だった。

無理して働いている人を見てすごいとは思うが、心の底では引いている感じもある。なぜそこまでして生きたいのかわからないし、お金を使う暇もないくらい働いているのに、なぜそこまでしてお金が欲しいのかもわからなかったりした。

きのう、モスバーガーの新とびきりチーズを食べた。国産牛100%で690円だった。海外では考えられないクオリティと価格だと思う。コスパという言い方をするが、コスパに関して言えば日本は世界でもダントツトップクラスに違いない。それは確信を持って言える。

ただ、それで人間が幸せなのかどうかは別の話で、食っていけるし、仕事も無いほど景気が悪いわけじゃない。最低賃金の仕事についたら、どう考えても生きていけないほど経済的なインフレ率と給与の差の拡大が起こっているわけでもない。

治安も悪くない、娯楽もたくさんあって、女性一人でも夜歩ける。子供が少ないにしても、政府からの補助もいろいろとある。

そう考えるといい国であるに間違いない。なのになぜ私達は不幸なんだろうか。金持ちで優しくてイケメンのこんなにも優良物件のいい旦那を捕まえた奥さんが、全く幸せそうじゃない家庭のようで、なんとも言えない

生きていて面白くない。本当にその一言に尽きる。生きていて面白くないのに、十分に生きられるような仕組みが整えられていることに絶望を感じざるを得ない。

もし治安が最悪で、街の外に出たり、海外にいかなければまともな教育が受けられないような社会だったら、海外にいくことが基本として生きていくことになると思う。

日本は仕事を変える必要がないほど安定しているし、10年後も何かしら変わったとしても、そんな大きく変わることはないと予想できる。AIがこれだけ進化しても、ほとんどの日本企業では導入されていない。同じことをずっとやり続けようとする日本人の性格から来るものだと思う。

あれだけAIが導入されたら、何かの仕事がなくなるとか、プログラマーがコードを書く必要がなくなるとか、騒ぎ立てておいて、実際はほとんどの人がAIを使っていないのだから、陰謀論者のような人が騒いでいるだけのようになっている。

そういう意味では不安感を煽られやすくて、絶望を感じやすい社会なのかもしれない。

嫌々仕事をして死ぬなんて絶対に嫌だと思っているが、現実的に私はそうなってしまうんだろうか。

デスクワークのし過ぎで、お腹に水が溜まっているような感覚で、何かしらの病気になっている気もする。でも、どうでもいいと思う自分もいる。これで死ぬならもういいや。という感じもするし、サッカーもできなければ、楽しいこともないのに生きていても仕方がない。

私は人生が型にはめられるような感覚がすごい嫌だった。金を稼ぐのは当然としても、なんで週5で8時間も拘束されて、さらに副業禁止だとか、いろいろな条件も意味がわからなかった。

もっとわかりやすい仕事というか、何かを作って100個売ったら、今月の生活分は生きていけるとか、A地点からB地点までモノを運んだら今日の仕事終わりとか、そういう仕事のほうが幸福度は高いかもしれない。

もっと楽しく生きたいというのは贅沢なんだろうか。働きたい人は働けばいいが、誰が喜ぶかもわからない社会に何の貢献をしているのかわからないような仕事に精を出して、結局それで体調を崩したり気がおかしくなってしまう社会は、社会に有益なことなんだろうか。

そういうことなら、医療分野とか介護分野や農業とかまで、生活の根幹に関わるような仕事で生きていけるようにすべきである気もする。

どう生きるかを考えることは、どう死ぬかを考えることでもある。自分はどんな形で死にたいか、しっかり考えて働きたい


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