板読みデイトレード術【著けむ】を読んで考えたこと

板読みデイトレード術という本を買った。

これは投資家には結構読まれている本で、10年近く前に出版された本だが、今でも重版されている。

あらかじめ誤解を招かないように、本記事は当書籍の要約ではない。この本を読んで、自分の人生と照らし合わせてみた感想になる。

この本に多くの人が求めているのはおそらくデイトレードで稼いだ方法なのだが、テクニックの詳細は最後の章2つくらいに書かれており、基礎的なところから初心者が誤解しやすいところを指摘してある。前半のほとんどは、心理的なことや投資への向き合い方などが多い。

個人的にデイトレードはやっていないので、その心理的な部分について参考にさせてもらうことが多かった。

長年投資をしているとはいえ、自分自身まだまだ運によるところが多いし、大した儲けも出していないので、何か自分の中で確信を持てるものが欲しかった。

この手の本に多いのだが、麻雀でもパチプロでも、何かの映画監督でもスポーツ選手でもなんでもいいのだが、なんかその特殊能力のコツを知りたがって本を読んでみると、その専門分野のコツより何か大事なことが見つかったような気がしてしまう。

過去に何度もそのような経験があるのに、本を読んでから自分の人生が上向きになっていないのだから、結果として身になっていないという事なんだろうが、なんとなく書き留めておきたいと思う。

私の弱点でもあるのだが、人生において戦略的に計画を立てられないということが、株式投資に関しても弱点になっている気がする。

この本の場合はデイトレードについて書かれているが、結局のところ、小手先のテクニックより、自分が考えて論理的に組み立てて、トライアンドエラーを繰り返すことが重要ということが口酸っぱく書かれていた。

要は、やり方というのは、その人にあったやり方があるので、必ずしも正解がワンパターンというわけではない。目の前の結果を見て、考えて、また実験して、それを繰り返すということだけが必勝法で、成功への鍵になるということだった。

冷静に考えてみれば、これは投資の世界に限った話ではない。

何か仮説を立てて、検証して、結果を得て、改めて仮説を立てる。それの繰り返しが人生でもある。

ただ、多くの人は何も考えずに降ってきた仕事をこなすだけでお金を稼いでるうちに、生きる感覚を失う。

安定して生きるということは、死と対極にあるように見えて、実際は意識的に死に近づいているようにも思える。何かあっても何も対処できず、もう気づいた時には遅い。

人生を生きていく上で、もしこうなったらこうしようとか、これをやってみてダメだったらこうしようとか、最低限の計画を立てる。

私はそんなことをしたことがないので、成功する人はおそらくこれを繰り返している人と見て間違いないだろう。

変なミラクルに慢心しないというか、ミラクルが起こっても、なぜミラクルが起こったのか検証して、その結果が事前の自分の想定通りに推移していたのかまで考え抜く。

逆にマイナスな事が起こっても、自分が想像していた範疇に収まっていれば、甘んじて受け入れるくらい肝も据わっている。

全て自分がイメージした人生に進んでいる感じではある。

なんでこの考え方が重要なんだろうと思った時、これは本当に人生において通じることなんじゃないのかと思った。

人生は変な話、ギャンブルに近いところがある。全てを自分でコントロール出来ないので、自分が思っていたことと全く違う結果が出ることもあるし、全く関係ない人の影響によって、自分の人生が台無しになることもある。

株式投資に至っても、自分が思った結果と全て同じになることなどほぼない。ただ、極力時間を短くして、例えば1秒後の未来であればこの銘柄が上がるか、下がるか読める場合がある。

それの継続によって、結果的には莫大な資産を築ける可能性がある。

もちろん短期的か長期的などちらのトレードでも構わない。重要なことは一秒後でも一年後でも、自分が考えた未来の予測を立てて、外れたらすぐに撤退できる準備と、軌道に乗っていたら、どれだけ利益が出ていてもビビらずに当初の計画まで突き進む勇気ということになる。

漠然と私は、幸せなら金がなくても良いとか、好きなことができれば金が稼げるようになるとか、曖昧なイメージだけが先行して、そのための準備もやっている気にはなっていたが、結果としてどれだけ身についているのか可視化も出来ていなかった。

この時点でコレが出来てなかったら撤退。この時点でこれが出来るようになっていたら継続。という繰り返しで、人生はきっと豊かになるに違いない。

もちろん、株と人生は全く違う。株は簡単に数万円の損切で撤退できる。しかし、人生は撤退することは難しい。

合理的な判断の繰り返しで確かに、金持ちになったり自分の思い描いていた仕事に就けるかもしれない。ただ、せいぜいそれくらいだと思う。富士山が噴火したり、車にツッコまれたり、そんなことはどうにも予測して避けようがない。

それが果たして充実した人生と言えるのかは疑問だろう。自分が経験したこと無いものを勝手にうらやましがるのは違うだろうし、結果的に自分がそのような立場になってないということは、深層心理では自分はそのような人生を望んでいないということでもある。ただ、今の私はもう少し計画を立てて、成果に向かって生きて行くべきに思う。

私にはもう目標がない。全てが漠然としていて、金を稼げればそれはそれでいいが、なんか楽しいことがあるんだろうか、と不安もある。

デイトレで生計を立てたいと思うほど、そんな働きたくないというわけでもない。同僚と楽しく働けて、それで生計を立てられて自由な時間もあるなら、それはそれでいいし、その稼いだ金で株をできれば良い。

これまでずっと必死に働いてきたわけでもない分気が楽だが、逆に言えば、死が身近にない分生きている心地もしない。この感覚は日本人の多くの人が抱えているんじゃないだろうか。

結果として、仮説を立てて、結果を検証して、仮説を立てるという繰り返しを行えないと、人生の路頭に迷うのかもしれない。ただの延命治療になってしまう。

仕事や金を稼ぐというプレッシャーから解放されたら、本当に人生は豊かになるんだろうか。案外、そうでもない気がする。

もちろん最初の数カ月から数年は楽しいかもしれない。タモリさんもいいともが終わった時に昼間からビールを飲んでいたと言っていた。だが、すぐ飽きたと言っていた。

多分、生きることが確保されて、時間が有り余っていると、人間は飽きると思う。周りの人はあくせく働いている中で、自分だけが暇人でも、それは充実しないだろう。

そんな考察をしていくうちに、やっぱり人生で必要なことがなんとなく見えてきた気もする。

まず「食べて生きていく手段」そして「人との繋がり」、最後は「精神的に充実する時間」だろう。

最初の「食べて生きていく手段」を現代人は仕事に置き換えている人が多い。だが、それと引き換えに「精神的に充実する時間」を削っている。

仕事で「人とのつながり」が生まれるかどうかは仕事によるし、それはギャンブル的な要素が大きい。繋がりが生まれて人生変わる人もいれば、そうでもない人も居る。

その曖昧な確率に嫌気が差して、どうでもええわ。と思ってしまう人もいれば、着実に自分の計画を進めるためにコツコツ積み上げていく人もいる。

どちらがいいかはわからない。計画を立てて計画通りにいく楽しみもあれば、サプライズ的なラッキーで人生が好転していく楽しみもある。

ただ、目の前に起こったポジティブなことやネガティブなことに対して、何でこうなったのか?と疑問を検証していく作業は大切だし、人生の糧になるに違いない。

それがデイトレードであれば、利益につながるんだろうし、人生ならば、他の人にはない類まれな能力に繋がるんだろうか。


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