小説っぽいもの「眼鏡」

中学2年生になった俺は、人生で初めて健康診断で異常を言い渡された。思い当たる節はそれなりにあった。この1ヶ月、人の顔がまるで霞がかかったようにぼやけている。これまで視力は両目とも1.0だった。しかし、この1週間は2メートル先の人の顔ですら判読ができない。一番後ろの席でもはっきりと見えていた板書が、気がついたら前から2番目の席から黒板を思いっきり睨み付けて、やっとなんて書いてあるかわかると言う有様だ。当然、周りの友人とすれ違っても顔がよくわからない。思いっきり睨みつけてやっと焦点が合う。そのため、友人からは「急に無愛想になった」「廊下ですれ違って声をかけたら思いっきり睨まれた」「表情がこの最近で一気に怖くなった」と評されるようになった。正直、この評価には閉口した。そのためか、中学2年生になってからの2週間、学校内で誰かと言葉を交わした記憶がまるでない。
そんな最中、健康診断で再検査を言い渡された。クラスの、ホームルームの冒頭だった。しかしながら、程度の差はあれど、中学2年生の男どもは馬鹿しかいないから困る。再検査の具体的な内容を知りもしないのに、手を上下させながら「しこってんじゃねーよ」とか品のないヤジを飛ばしてくる者もいれば、遠くからこちらをじっと眺めて、俺が気付くなりこちらに向かって十字を切り「アーメン」と言って走り去っていく馬鹿もいた。どちらも遠目で顔が見えないのが口惜しい。視力が戻った暁には無礼を働いた野郎ども血眼で探し出し、穴という穴から血が出るまでタコ殴りにし、十字架を背負わせて体育館のステージ上にはりつけの刑に処してやろう。断っておくが、俺は視力の他は全くの健康体である。ただ、どうしてこの最近で視力が落ちたのか正直全くわからなかった。頭の固い親は、テレビを見る姿勢が悪いなどと頭ごなしに叱言を言われた。
なんなんだ。ほんとにお前らなんなんだ。
なんでおれが悪いみたいに言われにゃならんのだ
憤懣たる思いを胸に、僕は近所の眼科へ向かった。ランドルト環の繋がりがいくつかぼやけて見え、まともにCの形として認知できたのは上から2列程度だった。結果説明のために診察室に通された。大きな顕微鏡のような機械で仕切られた、マッドサイエンティストの実験室のように暗い診察室だった。座るなり、「視力低下はあり、眼鏡を作った方がいい」と、白髪混じりのくたびれた医者が無愛想に言い放った。年季の入った白衣はヨレヨレで、所々にコーヒーをこぼしたと思われる褐色のシミがあった。彼は、結局診察中には一瞥もこちらに視線をやらず、処方箋を書きながら、終始他人事のようにぼそぼそと呟いていた。終始何の感情も沸き立たないまま、眼科を後にした。
そんなわけで、僕は母親に付き添われ、近所の眼鏡屋を訪れたのである。まだ肌寒い風が吹くが、近所の桜の木が緑一色に染まりつつある、4月終わりの日曜日だった。
駅前通りにある古めかしいビルの1Fにある自動ドアをくぐるとそこはおしゃれな眼鏡屋だった。暖色の照明がアットホームな雰囲気を作り出していた。店の正面にある平台の前で足が止まった。芸能人が付けたらさぞ似合うであろうおしゃれなフレームの眼鏡が、平台の上に整然と並んでいた。某イケメン俳優がつけていた丸メガネを手に取った。眼鏡越しの世界は、なかなかどうして新鮮だった。フレームで覆い切れない視野の部分は相変わらずぼやけているのに、フレームの内側はかなりくっきりと見えている。新鮮さをそのままに店の鏡で見ると、細長い悪人顔に黒縁の丸メガネがひどく浮いていた。どう見ても、指名手配されているペテン師だった。
こんなもんおれに似合うわけがない
結局、誰がかけても似合もしないが、かといって大崩れもしないであろう、地味な黒縁のスクエアを選んだ。お世辞にも似合っているとは言い難いが、ペテン師よりはいくらかマシである。
翌日になり、早速メガネをかけて意気揚々と学校に行った。もともと影が薄かったため、誰もメガネをかけていることを指摘しなかった。近くで談笑している友人の顔を見てみた。いつもと変わらぬ笑顔である。しかし、笑顔を取り繕っているが、なんだか口元が歪んでいる。なぜかは分からないが、不満を本心では抱えつつも表面上は笑顔で取り繕っているような表情だと直感的に理解した。よく聞いていると、昨日遊びに行ったときに、昼食のメニュー選びでちょっとしたイザコザがあったらしい。表面上は空気を荒立てないようにしつつも、全身から怒りのオーラを振りまきながら、髭の生えた太ったメガネの同級生に「おいパイ食わねえか」と高らかに咆哮しながら詰め寄っている。どうやら、以前からしょっちゅう同じようなイザコザはあったらしいが、心優しくユーモアあふれる彼は笑って耐えていたようだ。そんな彼の怒りが爆発した貴重な瞬間に立ち会うことができた。
怒りを隠しながら必死で笑顔を作るも、怒りを隠し切れていない人の表情を見る経験は、これまでになかった。メガネをかけた瞬間から、これまで見えなかったものが急に見えてきた気がした。ふと、子供の頃に読んだ絵本のどこかに「大切なものは見えないんだよ」と書いてあったのを思い出した。
メガネの効力はその後も続いた。板書に書いてあることが見えるようになったことは言うまでもないが、そのほかに相手の言いたいことがはっきりと見えるようになってきた。具体的に言うと、試験の時、問題でどう言うことを聞きたいのかが、平易な日本語を読むように、はっきりと見えるようになってきたのである。勉強方法や内容は一切変えていないのに、たちまち定期試験の順位が一気に跳ね上がった。進学校では、生徒間のランク付けにおいて、試験の成績の比重は他の学校と比べてかなり高い。今まで無下に扱ってきた同級生が急に自分にヘコヘコとし始めるのは見ていて気分が良い。どうやって成績を伸ばしたのか手をすり合わせながら聞いてきた。僕はどこかの経営者の真似をしながら、得意気に言い放った。「大切なものが見えるようになったんだ。そう、このメガネのおかげでね」
その後も成績は良好なままだった。勉強量を変えなくてもそこそこ上位の成績をキープできるようになってきた。あまりに変化がないため、そのうち勉強をしなくても「そこそこの成績」を取れるのではないかと思ってきた。努力量を少なくしても成績はあまり変わらなかった。そうなると勘違いして調子に乗ってくる。授業を適当に流し、あまつさえ授業中に明らかに授業とは関係ないことに勤しむようになってきた。早弁などの明らかに目立つことをしたら流石に叱られたが、阿呆な教師たちは目立たないところでの内職や読書については何も言ってこなかった。そのため、次第に授業は自分の好きなことをする時間となっていった。もしかしたら教師たちはそこに憤懣たる思いを抱いていたかもしれないが、相変わらず成績が良好であったため、何も言ってくる事はなかった。「成績が生徒の価値において大きなウェイトを占める」のは教師についても同じ事だった。
気がつくと中学3年生になり、高校受験を考える時期になってきた。中学受験で入った進学校ではあるが、中学部と高校部は母体が別であり、どれだけ成績がいいものでも高校部へ進学するには高校部の入学試験を経なければいけなかった。成績は変わらず上位にいたし、環境があっていたため、当然のように高校部を受験する方針となった。入学試験のできは上々で、自分も含めて、誰もが入学を確信していた。合否通知は卒業の1週間前に届いた。結果は不合格。まさかの結果に、落胆するというよりも驚きの方が勝っていた。もしかして何か重大なケアレスミス?でも何回も見直ししたし、ケアレスミスの線はない。そうなるとなんだ?どうして落ちたんだ?
疑念を払い切れないまま、高校部の教師に問いただしてみた。
「僕、そんなに試験の出来悪かったんですか?」
「いや、試験の出来自体は割とよかったよ。」
「じゃあなんで落とされたんですか?」
「なんでかわからないのかい?」
「わからないです。」
「君の授業態度があまりにも悪いって中等部の先生方から聞いていたからね。気づいてるかわからないけど、教壇から見ると、内職してるのってバレバレなんだよ。そういうクレームが入っていたから、君は落とした。」
「それは流石にないですよ先生!理不尽です!訴えます!」
「おや、入試要項を見てないのかい?ほら、ここに『入学は、授業態度の良い品行方正な生徒に限る』って書いてあるでしょ。うちに入るつもりなら、授業態度もちゃんとしておくべきだったね。」
絶句している僕を見下ろしながら、彼は無感情にこう付け加えた。
「君は大切なものを見落としたんだよ」

#小説
#私小説
#ショートショート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?