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薫という人(の、素描)

【あわせて読みたい:これは短篇『大人の領分③薫』の付録です。なにやら複雑な事情を感じさせるこの人に、さまざまな角度から光をあてるこころみ。外見が不思議ちゃんで中身がオタクです、貴婦人と一角獣、生涯に一度だけ落ちる恋、エロ・この想像の産物、大人な薫の、こどもの国。ほか】

詢をぞっこん褒め称えるその様子からやや、ビジュアル格差婚なのかな?と思われてドキドキなさる向きがあったかもしれませんが、もちろん、薫は薫で、なんとも言えないほど美しい女性ですので、ご安心ください。

まず、市販のファンデーションの「最も明るい」をなんのためらいもなく買えばいい、そばかすが個性的な、不思議な森の妖精っぽい優しい顔立ち。180ギリない詢と180ギリある敦の二人の間に立つとコドモみたいにみえますが、身長はちょうど160、体の全般が小柄で華奢、とはいえ客観的な数字でちっちゃいわけではないのが、ちょっと意外なところ。顔が小さいのかな。女優美女顔というよりオートクチュール系モデル顔で、女性性のもつ、アンビギュアスな謎めいた部分の雰囲気をまとった人です。美人って、美しい人と書きますからね。そういう美人ですね。豊かさよりも神聖さを感じさせるその、控えめだけれどとても美しい胸部を隠すくらいの長さがある、ふわふわパーマの、アッシュブラウンのロング。禁猟区の仔鹿みたいなその外見には、性的にどうとかいうのがおこがましく感じられる、なんとなく普通の恋慕を寄せ付けない感じがあり、おかげさまで、詢が初めてのお相手、敦が二人目のお相手です。

きっと、女性にピンと来るはずのない詢が一目惚れしたのも、この絶妙な雰囲気ゆえ、という面はあるんでしょうね。薫は英仏伊西ポルトガル語が工業翻訳までOKで独中韓はリスニングと読み書きくらいはできるという、普通の人からは頭の構造がおかしいとしか思えない語学スペックの、引きこもり翻訳家なのですね。そんな薫に気があるにもかかわらず「知人」から一向に先に進めない料理ライターさんが、取材通訳を口実にご飯に連れ回してました先のひとつが、詢の就職先、食べログ4.7点のフレンチビストロでした。

詢を初めて見た薫の感想:

か…かっこいい…♡

薫を初めて見た詢の感想:

か…可愛い…♡

はい以上。ですね。いーなーぁ。

問題はこの後だったんですよねぇ。薫は耳年増で引きこもりのアラサーこじらせ処女ですし、詢は詢の一途で重苦しいところの需要と、主に体目当てで寄ってくるおおかたの人との需要がいまいちマッチせず、失恋のたびに弟に慰めてもらう日々を微睡むように過ごしていて、かつ、女性といえば「詢くんは何もしなくていいよ」と上に乗るくせに「つまんない」とか「詢くんは私のことすきじゃないんだね…」とか言って消えていく存在。しかも好きじゃない。好きじゃなくてもいいって、言ったよね…女の人って、わかんないのです。

そんなわけですから、詢との出会いは薫には絶望でしかなく、薫との出会いは詢にはアイデンティティクライシス。よく乗り越えたねと思いますが、はい、そのくらい、惹かれあってしまいましたので、しかたないですね。こじらせ処女らしく件のビストロに、鬱陶しがられないよう我慢してもまだ溢れてしまう好きオーラ、ディナー月2ランチ週1を、不自然極まりない長い時間ひとりで通い詰めること半年、ある日のランチにラストまでいた薫。詢は実は薫のデザートだけこっそりジェラートを増量してたりしてたんですが、どうも伝わってません。伝わってないというか、薫は「せめて見つめることくらい許されて元気もらいたい」的な絶望の岸で生きてますから、まさかね、ああ自意識過剰で恥ずかしい最低私、と思ってたんですね。買い出しを装った詢に声をかけられた薫、駅まで一緒に歩いた二人ですが、あらゆる社会的文脈と個人史を棚に上げて、お互いに惹かれてる自分しか見出せない状態になり、駅に着く頃には確認こそしないものの、完全に両想いになってました。

以来、一角獣と貴婦人のような、純粋かつ深遠な恋愛関係が1年ほど続き、このあたりはこの付録のカウンターパートである詢の素描に譲りますが、薫だけの美しい一角獣として生涯を閉じることを決意した詢はある夜、ラストオーダー後、早めに退かせてもらい、デザート後のお茶菓子を執念深く食べて詢と一緒に帰ろうとしている薫のテーブルに、カプチーノと共に着きました。詢は、水仕事は俺がするんだから、ずっと付けていて、と、一粒ダイヤがテーブルキャンドルを虹色にキラキラ反射する、ティファニーの婚約指輪を薫に渡して、薫は微笑みながら泣き崩れたのでした。

そんなこんなな二人をずっと見守ってきた、趣味料理、仕事も料理関係、特技・当て馬で話題、ライターで「知人」の松山さん(36)に来ていただいてます。ので、柏木くん、よろしくおねがいします。

柏:こんにちは。
松:僕ね、当て馬役ばかりじゃないからね。それに、いまはもう妻子持ちですからね。
柏:あー…作者は時々、変なことを適当に言って、相手を怒らせて様子をみてみる、嫌な性格が出るんです。気にしなくていいと思います。
松:あとさ、最近は子どもに没頭してて、薫には会ってないよ。話すこと、月並みな褒め言葉以外にはそんなにないけど。
柏:どんな褒め言葉です?
松:「かわいい」でしょ。そんなにないって言ったけど、正直「かわいい」以外になんにも出てこない。会ったらもう、「かわいい」の鐘が鳴りっぱなしになるよ、かわいいかわいいかわいいかわいいかわいい…かわいいかわいい…
柏:怖いんですが。
松:怖いほどかわいいんだこれが。怖いほどかわいいと思う自分がいて怖い。
柏:はあ。
松:旦那さんがあれだもんなぁ。まあ結論から言えば僕が引き合わせたんだけど、ぽーっと見つめる薫の顔みてさ、もう応援する一択だなこれ、って思ったよね。あんなんが趣味じゃ僕、敵うわけないじゃん。むしろ助かったっつうか、すぱーっと諦めついたわ。
柏:松山さんはそうですね、あんまり詢さんとはその、対極というほどではないんですが見た感じ、文化系で、ええと、なんというか…。
松:はっはぁ、お前もオトコマエだからなぁ…? わかんねえだろう、この無個性の苦しみ。無個性な文章書いて、無個性な核家族やって、無個性な写真に埋もれて、無個性な悩み持って、無個性に死んでいく僕みたいなのが、無個性に勤勉に働いてるから、キミたちはネットで調べるだけで美味しい料理が食べれるんですよ。くっそ、せいぜい晩年くらい、脂ぎって禿げ散らかして、なけなしの個性出してやる。
柏:ええと…。
松:悪いね。話戻そうか。でもね、薫や旦那さんもさ、個性的なのに、その個性ってのがいまいちわかんねんだよな。どんな人って聞かれてさ、じゃあ一言でってなると、無理だわ。会えばわかるよ。二人で並ぶとなんか、そこはかとなく神々しくて、近寄りにくいくらいだもんね。ただねえ、かわいい、かっこいい、っつてもさ、誰みたいにかわいい、かっこいい、みたいの出てこないの。旦那さんはまああれだ、不動明王とダビデ像を足して二で割ったみたい? で、いいとしても、薫は、…薫はさ、上の空にしか話、聞かないで、急に思い出し笑いして、ろくに説明もなく隣の僕の肩を叩くような、ちょっと気味の悪いとこあるんだよね。でも、気味悪いってのは、理性の、思考の世界の話でさ。薫が、あんな風に笑ってて、その隣に僕がいるんなら、僕の話なんて、どうでもいいよ。薫の話がわかんなくたってね。どうせ話なんて、「かわいい」一色に吹っ飛んだ頭じゃ、なんにも入んないもん。
柏:松山さんは薫さんのこと、ものすごく好きなんでしょうね。
松:まあね。実はキス、したことあるよ。
柏:まじすか。
松:でもね、なんかダメだった。そんな、理性が吹っ飛ぶような好きになりかただと思ってたけど、どこかしら頭で恋してたんだよたぶん。キスしてわかったんだ、僕は薫をかわいいと思って、すごく好きだと思って、でも、それは、薫とどうこうなりたいっていう気持ちじゃなかったんだよね。薫のきょとーんとした目を見て、同じくきょとーんとしてる自分がいて、あー違うんだな、って、悟ったの。わかる。
柏:すみません僕にはちょっと…拒絶されないなら、行ってみればよかったのではと、思わなくもないですが。
松:愛の反対は無関心なんですよ。僕はさ、蓋を開けてみれば、薫には無関心だったの。それをね、あの時、悟ったんだよ。何をしても届かないだろうな、って、僕、自分でも気づかないとこで諦めててさ、だから、薫は、僕からとても、遠かった。そんで遠いから、好きだったんだよねたぶん。チューしたときも、したいからっていうか、できるからだった。でもさ、そんなの虚しいでしょ。虚しいって思った。薫は僕にとって、スペースキーで打つ空白みたいに、何にも替えがたいほど特別で唯一の存在だけど、でも、やっぱりね、空っぽだったんだ。
柏:…。
松:こんな人間が、あんな人に、まともに恋をするなんて、おかしいだろ。
柏:いえ、僕はなにも、言えません…。
松:おかしいんだよ。でも僕は、あんな風に人を想ったのは、後にも先にもあれだけだ。
柏:…。あの、お聞きしにくいんですが、奥さんは…。
松:戦友みたいな肝っ玉おっかさんだよ。頭で恋してたって言ったろう。女房との恋愛の方が、僕には本当の恋だったんだ。いいんだよ。僕は人助けをしたんだ。薫に恋したのは僕の使命だったんだ。薫っていうひとりの美しい人の、空っぽな魂にね、滝のように心を注いであげられる人を、見つけた。そのための出会いだったんだよ。

松山さんはあれですね、善良という意味でもいい仕事してたんですね。ただ…薫、それほど脈がないわけではなかったと思うなぁ。だって、薫は本当に出不精なんですよ、だから仕事付きとはいえ食事にあんな頻繁に誘われて律儀に出て行ったのも珍しいこと極まりないですし、松山さんと食事に行く日なんか、決死の覚悟で百貨店に行って買ったペンダントとかつけちゃって、松山さんが誘ってくれてる期間、フランス語の料理本、大量に読み漁ってました。二人が恋に落ちてなかったとしたら、たしかに、それは松山さんのせいだったのかも、知れないですけどね。

柏:僕は薫さんにはピンとこないなぁ。なんかこう…なんていうか…清浄すぎるというか、いや違うな、なんか人っぽくないし、精液とかかけても、それでエロいと思う自分が申し訳なくて、エロい気分にならなそうです。

…??! かけないで…?! ど、どどどうしたの柏木くん…?! そんなエロエロ連発するキャラじゃないでしょう。

柏:や、詢さん、どんなことしてるのかなぁと思って。申し訳ないというか、なんだろうな、薫さんって絶対にAVで見かけないタイプじゃないですか、だからエロくないんだろうとも思ったんです。そういうエロがないと僕ってセックス、できないんだな。

ははあ。それはそれ、二人の間のことなんだから。二人がいいようにしてますよ。

柏:うーん、絵柄までは想像できますけどね、うーん、エロがない。ないですね。ないな。僕の定義する「いい女」っていうのに当てはまらない、他の誰かにとってとても魅力的な女性がいるって、不思議な気持ちになりますね。

柏木くんは恋愛周りの話題、本当、鬼門ですよね。話さない方がいいんじゃないの。放し飼いにしてる私の管理責任が問われる気がする。

柏:僕にだって性欲や恋愛観はありますからね。

柏木くんと話すのは楽しいけどね。違いすぎて、びっくりするときあるからなぁ。

柏:あー…世代格差ですね。あるいは性差? あ、あとビジュ…

わぁぁぁぁぁ、だめ!それ禁句。それを言ったらおしまいです。私はこの世界では、ただの活字。美醜とかないない。ないよ。

柏:おしまいといえば、そろそろ長くなってきたんで、この辺りでいいんじゃないですか。

そうですね。時計を指差す手つきがこなれてきましたね、さすがはアシスタント。薫は心の声が饒舌な人で、自分の話は本篇でずいぶん、してくれてますし、付録は詢の分も敦の分も、ありますからね。



大人な薫の、こどもの国。公園で詢のリフティングの練習に付き合うときの、詢がかっこよくて可愛くて大好きで最高、って思う気持ち。うつ伏せで寝ている詢の上に子ガメみたいに乗って、もう終わり、って、ぶるぶるってふるい落とされること。詢にイタリア語の単語を教えてあげてるときの、役に立てたみたいえへへ、という気分。届かないからサロンパス貼って、と上半身裸になってこちらに背を向けてしゃがむ詢の、逞しくて広い背中に、ドキドキしてしまうこと。婚約指輪と結婚指輪の向きを揃えるついでに、ダイヤを光にかざして見ていたら、詢が手を取って甲にキスしてくれたこと。眠るのが大好きで、詢の次に好きなのは辞書ではなくお布団だということ。詢のつくる和食はちょっと味が濃いと思うんだけど、黙っていること。と、敦にそんな話をして、あー言えないのわかるなぁ薫さん兄貴のこと好きすぎ可愛い、っていい子いい子されてしまったこと。と、…そんな自分のいっさいがっさいを、複雑な後ろ暗さまで、踏み込まずにまるっと、許してしまうことにして目を閉じた、自分。



本篇は、こちら:

詢はここ:

敦はここ:

テーマソングがあります:


今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。