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『歳月』かけて価値の高まる本

5000円する本を買った。茨木のり子の『歳月』は、20代前半のころに図書館で借りて以来、いつか買おうと思っていた。いつでもいいやとたかをくくっていたら、絶版になっていた。プレミアがついて、シミつきの中古本でもこの値段だった。

この本は、茨木のり子が夫と死別してからの31年間にわたって書き綴った詩集だ。夫についての、あるいは夫がいないことについての詩。著者の亡き後に原稿が発見され、出版されることとなったという。

わが人生においては、2度目の出会い。ページを捲るごとに、そこはかとない、かなしみといとおしさが募る。その詩の数々を前にすると、子どものように泣きじゃくるわたし、だらしなく泥酔したような気分のわたし、いろいろな、なさけないわたしが現れる。

歳を重ねることは、失いたくないひとに出会うことだから、私はきっといつか「ひとり」になる。つかず離れずの者たちが群れて暮らすのは「一人」ではないが、片割れを失った者は、どうしても「ひとり」になるのだと思っている。ツイン・ソウルとか半端者とか、そういうものじゃない。そのかなしみは、「ひとり」で味わうしかない、自分だけのもの、だからだ。

群れても、ひとり。

ひとりになったとき、またこの本を読もう。読んで、ずしん、となるだけ。肩にたくさんの雪がつもるみたいに、ずしん。
ひとりの相棒みたいなこの本の値段は、私が死ぬとき一体いくらになっているのだろう。

あなたは もしかしたら
存在しなかったのかもしれない
あなたという形をとって 何か
素敵な気がすうっと流れただけで

わたしも ほんとうは
存在していないのかもしれない
何か在りげに
息などしてはいるけれども

ただ透明な気と気が
触れあっただけのような
それはそれでよかったような
いきものはすべてそうして消え失せてゆくような

茨木のり子『(存在)』



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