自分の醜さや欠点が許せない時こそ、自分を受け入れてみる。
ふと
「あー、私。死にたいって思ったことあるなぁ。」って
思ったんですね。
ふと どんなこと考えてるんだよって感じですが。笑
でね、
前に「死にたい」と思った時より
ものすごく優しい気持ちになってたことに気がつきました。
どうしてこんな変化があったのか
ちょっとだけお話してみたいと思います。
前の私は
週5でみんなと同じように働けない自分はダメだ、とか
誰からも愛されていないのに生きる価値なんてない、とか
自分のことを否定していました。
でも、
否定していることを受け入れてはいませんでした。
受け入れることについては
別の記事にも書いてます。
ここがポイントで
自分がしていること
感じていることを
受け入れられないと
葛藤が起きるんです。
前の私は
自分を否定し続けていることを 肯定し続けていて
「否定している」ことを認めてはいませんでした。
同じように
怒りっぽい人は
自分が怒っていることを認めていない。
相手の気持ちが分からない人は
自分の気持ちを理解していないことを認めていない。
惨めで可哀想なのは何かのせいだと思っている人は
惨めさや可哀想な気持ちになるために自分がそうしているとは認めていない。
誰かを傷つけることも確かに痛いけれど
自分が自分を傷つけていることに気が付く方が
本当は怖いし、痛いんです。
怒りがあるね。
いろんな気持ちを本当は感じてるね。
悲しくなる時もあるね。
それを感じてみるって
どんな感じでしょうか。
それを自分で感じられないかぎり、
日常の中で
同じものを誰かに投げつけてしまいます。
そして
投げつけてしまう自分を責めたり
自分が投げつけてしまうのは
お前が悪いからだ、と相手のせいにしたりして
なんとか 無きもの にしようとする。
だけど
無きものにしようとすればするほど
「気づいて」と言わんばかりに
その声は大きくなっていって
取り扱いが難しくなっていきます。
自分にそうした醜さがあること
ひどいやつだなって思う部分があること
それらを認めるというのは
私は愛だと思います。
どんな醜さがあっても
私は自分という存在を受け入れます。
どんなひどい側面が自分にあったとしても
私は自分という存在を受け入れます。
だってそれは
私の一部だから。
そしてね、
それらは私の一部であるけれど
全部ではないんです。
受け入れるための愛や勇気があるように
光と闇は どちらもあります。
闇を受け入れていくために
光を使う。
自分を本当に許せた時
今まで許せなかった相手のことも
真に許すことが出来るし
また、
同じ悩みを持つ人に
寄り添っていくことが出来る
ギフトに変わっていくのだと思います。
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