心のエラーはシステムエラーに出がち
前回に引き続き、クラウドファンディングネタです。
深層心理と言いますか、自分でも気がついていないような、心の深いところでの動きや葛藤は、ネット決済とか、ウェブデザインみたいな、システムのエラーとして反映されやすいですよってお話です。
信じるか信じるかは、あなた次第。笑
前回の記事で、「自分が何を感じているか分からなくなる」時の話を少し触れたんだけど。
その時の記事はこちら↓
「何感じてるか分からない」がヒントになって、その下に何かがあるんだなってことが判明した。
感じられないその下にある感覚
言い換えるなら、「感じていることをスルーする瞬間」とも言えると思うんだけど、ようは、自分の感覚があるはずなのに、スルーしてたりとか、感じてることが分からないことの話。
私自身、ヒーリングを仕事でやっていて、クライアントさんの中にも「感じるってどういうことかわかりません」っていう人もよくいる。
で、今回よーく分かったんだけど、感じられない時こそ、スローダウンする必要がある。
脳にも関係があるんじゃないかなって思うんだけど、例えば、交感神経が優位になっている時って、すごく集中できるし、頭がクルクル高速回転して、すごいスピード感の中にいる感覚になる。
だけど、交感神経が優位になっている時って、そんなに体の感覚を感じていないし、ましてやリラックスとは反対で、ある意味 緊張状態にある。
感じられない時って、まさに、どこかに緊張があるんじゃないかな。
だから、ゆっくり呼吸をして、体に意識を向けなおすことで、副交感神経優位(気味w)にバランシングすることができるような気がしてる。
そうすると、今まで感じる余裕がなかったところに、スペースが生まれて、感じやすくなるのかもしれない。
それで、今回の私も例外ではなく、ゆっくり呼吸しながら、自分の体に意識を向け直してみた。
あっ!と、その前に…
どんなシステムエラーがあったのか、話すのを忘れていた。笑
計画なしな文章で申し訳ないけれど、一旦どんなシステムエラーが起きたのか、少し説明させておくれ。
私の心のエラーが引き起こしたシステムエラーとは
クラウドファンディングのページに、「後援」という機能が付いている。
リザーブストック(通称リザスト)というシステムを使っているのだけど、同じようにリザストを使っている人に後援リクエストを送ると、後援者としてページに表示されて、後援者のメルマガなどでも自動的に紹介してもらえる便利機能…。のはずだった。笑
ある人が、「後援してもらったらいいよ」とアドバイスをくれて、その人自身が後援者になってくれた。と思ったんだけれども、後援リクエストを承認してくれたはずが、なぜかその人のクラウドファンディングとしてページがすり替わり、クラファンの権限ごと持っていかれた状態になってしまっていた。
今までご支援してくれていた方々の金額も0円と表示されているし、私の書いた文や、リターンも全部なくなっていて、空っぽなページに後援者のプロフィールがただ書いてあるだけの、謎なページになっていた。
けど、ここでミソなのは、一瞬「えっ…!」って混乱しただけで、私がなんとも思ってなかったってこと。
この「なんとも思ってない」って結構落とし穴で、実は感じているはずのものを感じないようにブロックしているだけだったりする。
つまり、感じないようにしてしまったものを、もう一度感じることで、本当は何が起きていたのか?を、深い意味で理解することができるようになる。
本当は何が起きていたのか…
こういう、スローダウンしていく時(自分の感覚を取り戻していく作業をするとき)に大事なのは、どんな些細なことでも「気のせいだ」と思わないこと。
気のせいだ、と思ってしまうと、せっかく掴みかけた感覚を、自ら手放してしまうことになる。
そして、感覚を取り戻すヒントになるのは、体の感覚。体の感覚を頼りに身を委ねていると、色んなものが上がってくる。瞑想してる人なんかにもおすすめ。
今回の私のポイントは、クラファンのページが突然自分のものではなくなってしまって、誰か別の人に権限が渡ってしまったのに、そこで何も感じていなかったこと。なので、その時の感覚を思い出してみる。
そうすると、頭の方にエネルギーが行っていて、喉から下に感覚がつながっていないのがわかった。そこをゆっくりと、喉から少しずつ下に下にと、意識を向けていくと、なんだかすごく広い空間にポツリとしているような感覚に陥り、それと同時に、私が子どもの頃に大切にしていたものを親に捨てられた時の記憶が出てきた。
自分の大切なものを守るために闘っていた小さい頃の私は、「やるかやられるか」という世界観(フィルター)を通してしか、自分の大事なものを守れなかった。それが、何か物であろうと、自分の世界観という目に見えない非物質的なものであろうと、やり方は同じで、私が自分の世界観を守ろうとするそのやり方も、「やるかやられるか」という二元的な世界観だった。
しかもトリッキーなことに、私は、親の世界観はクソだ!くらいに思っていて、「お前みたいな悲惨な価値観や性格に比べたら、私の世界観はなんてピュアなんだ!」くらいな、ものすっごい優越感もお持ち(笑)だったので、この優越感を手放すことも、「やるかやられるか」という自分の守り方も、なかなか手放そうとせずに今まで来てしまっていた。
この「やるかやられるか」という二元性にどっぷり浸かってしまうと、現実的にも、「取るか取られるか」という二元性に陥ってしまう。
システムエラーで起きていたのは、まさにこの「取るか取られるか」で、自分が自分のものをどう持っていいか分からず手放してしまった場所だった。そして、手放してしまっているから、感じない。という、結構内側はカオスな葛藤があったことを初めてここで認識することになった。
全部持っていい
小さい頃の体験って、本当に巧妙に大人になってからのその人に、良くも悪くも影響を与え続けてる。いつまでも子どもの頃の感覚に引っ張られていては、私はいつまで経っても大人になれやしない。笑
心の内側にある、優越感、特別感は、劣等感の裏返しでもある。だって、「やるかやられるか」で、いつもやられる側だったわけだから、そこでの屈辱感があったのは想像するに容易い。
でもそうすると、どうやって人と対等につながったらいいか分からない。
でも逆に、自分のものを守れるのは、自分でしかないのも事実。ここを、自分では守れないと、力を手放してしまっては、ずっとこの特別感や優越感に浸って、問題をすり替えるしかない。
だから、問題は、私自身が、「これは私のもの」と、自分の持っている大切なものを、自分のために守っていく強さを持てるかどうか?というところだった。
システムエラーから、随分遠い話になったように聞こえるかもしれないけれど、本当にこうやって、見えにくい形でつながって反映されている。
クラウドファンディングをやると、色んな人たちにお知らせを出してお願いしたり、こうやってnoteを書くのも含めて、自分を表に表現していく必要が出てくる。そうすると、今まであんまり意識に上がってこなかったような感覚もたくさん出てくるし、関わる人が増えるほど、一つひとつ別々の感覚になっていく。
その瞬間に、「私が感じていること」を丁寧に、そして素直に感じながらも、「これが私」と、自分に対して、自分のために、自分を表明していく。
そんな力を取り戻すきっかけになったシステムエラーだった。
だから、改めて、私ってどんな価値観を持ってるのか?とか、どうしてそういう価値観になっていったのか?っていう生い立ちとか、クラファンをきっかけにして、自分のためにも表現してみようって思った。
クラファン継続中ですので、
ご支援・シェア応援、よろしくお願いします!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?