ハロゥ・ミスター

超短編小説が好きです

ハロゥ・ミスター

超短編小説が好きです

最近の記事

駅構内の屋根から、大きな女が3メートルほどある下ぶくれた顔だけをぬっとだして、わたしをみている。目玉が落ちそうなほど、彼女は目をむき出している。 だがしかし、この女は、ぬっと出ているのではなく、にょきっと出しているのかもしれないので、どちらのつもりで出しているのか、はたまた別の答えがあるのかと、女本人に尋ねるつもりで口を開いたら、彼女ははじけて消えてしまった。 聞こえたのはまさにパチンという破裂音だったような気もするが、パラパラと崩れる音だったかもしれないと考えるが、彼女

    • かげ裁判

      いったいなにを見て怖がっているんだい。 きみは何もないところに蟻を思い浮かべてコワイコワイと震えながら泣いているんだ。 大層な想像力だね。 ドン・キホーテより滑稽なのに、人を笑わせることができていないよ。 ピエロになれない無駄な愚かさであることに気づいているのかい。 そういうと、私の体を離れ、そいつはどこかへ消えていきました。 こういう経緯でわたしは影を失ったのです。 いえ。わたしが要らなくなって捨てたとか、そういうことは決してございません。 わたしはそいつが自分の影であ

      • 奥ゆきのある人

        祖父の家の洗面室はかび臭いにおいがする。ステンレス製の洗面台の上には、固形石鹸、チューブに入った洗顔剤と歯みがき粉、六本の歯ブラシが並ぶブラシ立て、それに蓋付きの背の低いガラス瓶が置かれている。瓶の中身は塩だ。祖父は入れ歯を外すと、歯みがき粉ではなく瓶を手にし、塗らした歯ブラシに塩を山盛りのせる。それで磨く。入れ歯にブラシの毛を強く押し当てて。磨いている間、祖父の口は何かを噛んでいるかのように、常にもがもが動きっぱなしになる。時々、開いた唇の透き間から、空っぽで赤い内側がのぞ

        • 牛だって

          赤い夕日が西方に立ち並ぶマンションの影に沈んでいった。 窓から差し込む赤い光は徐々に短くなり、やがてなくなっていった。 「チクショウ。さみいがや」と熱い風を噴出しているストーブの前で男は叫んだ。彼女も家族もおらず、友人もいるのかいないのか分からず、男は心が寒かった。ぶるっと体が震え、両腕で自分を抱えた。 ふと気がつくと、目の前に牛がいた。茶褐色の、小型で華奢な牛が、黒い大きな目で男を見ていた。 人の家に勝手にあがりこむなんて、不貞な野郎だな。男は牛の顔を叩いた。太くて短い毛は

          人間のいない町

          駅を出発してしばらく経つと家々は急に少なくまばらになっていき、遠く離れた向こうで屋根は群れを成している。それらの上で高速道路は東西に伸び、時折、車が走っているのが見えた。 名古屋へ向かう急行列車の窓に、カタツムリが張り付いている。腹は白い液体にまみれてみずみずしく光っている。町子が座ったまま頭を傾けて覗くと、殻が欠けているのが見える。制服姿の町子が景色に薄く重なって窓に映っている。 前方に立ち並ぶ電柱はゆっくりと近づいてくるが、目の前で急に速度を上げるとあっというまに通り過ぎ

          人間のいない町

          相手

          激しく私に吠える犬の声にふりむいたが犬はいない ようするにそういうことだ と、老婆は孫に教える 孫はすべてを悟って頷く フリをする

          とても静かな真夜中に

          とても静かな真夜中に、道路に大根で大きな大きな円を描く。 しばらく待っていると、円のなかに無限の星が落ちてくる。 すぐそばで、わくわくしながら僕は眺める。

          とても静かな真夜中に

          よん

          昼が裏返って夕方になる。僕たちはそんなことを全く知らない。 夕方だと気づかされるのは、決まって橙色の陽によって。

          さん

          彼女が走ると、かかとからコロコロという文字が転がり出す。 そんな音なんてしてやいないのに。

          空から水という小さな文字が落ちてきた。蜜柑の葉の上を素早く滑り、その下の土に滲んで消えていった。

          曜日

          日曜日が来ない。 何もせずただぼうっと土曜日を過ごしたのが悪かったのだ。とんでもないことをしてしまったと、男は後悔で窒息しそうになる。 それでもひょっとしたら、今日は来なかった日曜日が、明日はひょっこり訪れるのではないかと一抹の望みを持って日が替わるのを待つが、来たのは火曜日だったので男は恐ろしくなってドアを打ちつけ開かないようにし、カーテンを締め切る。 やがてカーテンの隙間から朝日が差し込み、もうとっくに日が替わったことを教えるが、やっぱり日曜がこないので、男は窓を本棚で

          いち

          レントゲン写真に写った僕の胃の中に、たくさんの文字が沈んでいる。 診察室はやけに静かである。

          几帳面な

          几帳面な殺人者がおりました。 人を殺す度に事細かに日記を丁寧に書くのです。 彼はその仕事(報酬が発生するわけではありませんが、彼は仕事だと思っています)にはいつも同じナイフを使い、刺した時刻や、ナイフの角度、何センチ刺さったか、血の滴り方や、量まで、文字と精密な絵で、それを読めば全く同じに再現できるぐらいまで丁寧に書きこみます。 窓から入ってきた春一番がノートの上を過ぎると、文字が少しめくれました。浮いた箇所を爪でかりかりとこすります。すると、一文字づつ剥がれていき、空中に浮

          チーズとネズミが

          男はふたつの目玉を出したり戻したりして遊んでいるうちに、うっかり黒目を眼窩のほうへ向けて、反対向きに戻してしまう。何も見えなくなって慌てた男は足を滑らせて窓から飛び出す。マンションの7階から逆さまに落ちていく。 701号室に穏やかな春の日差しが開きっぱなしの窓から差し込む。住民がいなくなって取り残された家具を、春の光が優しく包む。日差しに照らされた木製の学習机は、表面を艶やかに輝かす。 外は色鮮やかな青空が広がり、下の地面にはマリオネットの様に体を奇妙にねじった男が倒れて

          チーズとネズミが

          欠ける

          昼食を済ませた人であふれている街中のガラスに映ったわたしのからだが穴だらけである。 顔にも腕にも腹にも膝にも、全身に大きな穴が幾つもあいていて(もちろん服にも穴があいている)、後ろの景色が見えている。 いつからだろう。 朝起きたときは? あいていたような気もするが、はっきりしない。 ひょっとしたら昨日からかもしれないし、一年前、ひょっとしたら十数年も前からかもしれなかったが、頭のなかがぼんやりしていてどうにも思い出せない。 ただ、いつのまにか、わたしの大半がかけていたのだ。

          歌う

          目の前の信号が黄色に変わったので、女は止まる。車通りも人通りも少ない道。一匹の蜥蜴が女を抜かし、尻尾を振りながら素早く横断歩道を渡っていく。蜥蜴は道の真ん中までたどり着く前に、タイヤの下敷きになった。破裂したとき微かに音がした。車には黄色帽を被った男の子と母親が乗っている。会話を交わしているようであり、親子の口が交互に動いている。車はそのままゆっくりと去って行ったので、もうすっかりゴミになってしまった蜥蜴の死骸と女だけが取り残された。 信号が青になる。女は歌いながら横断歩道を