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世界中、どこに寄付したっていいのだけど。なぜそこを選んだのか。

「世界の恵まれない子に愛の手を」これを初めて聞いたのはいつだっただろうか。多分、小学生ぐらいだった気がする。
世界のいろんな国が困っていて、”募金”というのはそこらじゅうにある。クラウドファウンディングだってある。
内容は、貧困、自然災害、戦争などなど。日本だって、困っている。
では、「なぜ、そこへ募金するのだろうか?」といつも考えていた。

「行ったこともない、日本から遠く離れた国の子供がお腹を空かせているんです。ワクチンが足らないんです。」そんなことを言われても簡単に想像ができないのが普通だと思う。
じゃあなぜ、地震被害のあったネパールにお金を寄付するのか。
はたまたチェルノブイリに寄付するのか、日本の台風被害の長野県に寄付するのか。外国に寄付するんだったら、まずは自分の国、日本に寄付した方がいいと考える人もいるだろう。
なんでネパールなんだろう。なんでジンバブエなんだろう。
その答えは、ここ数年、私の中でいつの間にか出ていた。

「出会ってしまったものは仕方ない」という、なんともざっくりとした答え。

あとは、少しでも自分に関係があれば、払いたいと思うのが人情なんだろうか、と思う。だから、人によっては、「長野県に友達がいるから」「同じ日本人として」という理由だったり。

途上国で暮らしていると、盲人や老人、子供、大人まであらるゆる人に寄付をせがまれる。
「この人にあげるのに、あの人にあげない」「今日はあげたけど、先日はあげなかった」曖昧な自分の行動には、いつも悩まされてきた。
無心をする人たちも、そんな曖昧な心を理解してか「あわよくば」を期待して、声をかけるのだろうと思う。

途上国は、お金を寄付すると、他のことに使われてしまう場合があるので物の寄付がいいと言うが、私は今回、ある一人の孤児の女の子の学費を払うことにした。

なんでかというと、孤児や動物は、弱い存在だ。
自分で声をあげられない。孤児は、親戚に引き取られている場合もあり、お金を巻き上げられてしまうかもしれないのだ。

今回は、信頼できる学校の先生が、孤児二人の学費をこっそり払ってあげていると聞いたので、そのうちの一人分を払わせてもらうことにした。
続きは、また次の記事で。







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