【書評】ジニのパズル

インスタと連動してこちらにも書評を載せることにしてみる。暑くて思考停止しているような、全身がばらばらになっているような感覚は強いが書くことをとめてはならないと思った。誰かに批判されようと、書かなければ始まらない。自分の所感を伝えようとする事は自由でなくてはならない。そんな事をおもいながら。

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広島原爆投下の日に、北朝鮮がテポドンを発射した事で人生に転機が訪れてしまう少女の話の感想をあげる、というのは何というかシンクロニシティだ。改めて普段から普通に生活しているだけの自分が情けなくなる。私たちはもっと知ることに貪欲になるべきだ。自分たちの歴史や世界との経緯を、それも多角的に。
無知であることから周囲の意見に流され、特に自分の志向というものを持たないまま偏見や差別が生じて、そしてまた世相に流されて差別的なことを批判するという薄っぺらい行動にでる。そこからちゃんと目を向けるきっかけになるなら構わないが、果たしてどうだろうか。
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こうやってお祭りと勘違いして世の中の動きに乗るにわか活動家を揶揄する自分自身も差別的で、その人々を斜に構えてしか捉えていないよな、というのも実に情けない。
宇宙圏に出て立証されない限り世界はひとつであり国や人種はあれど総て同じ人間であって、ただ文化の違いというものが断絶を生む。それは根付いたものだから理解できるか否かとは別で、互いにその違いを受容するかどうか、なのではないかと思う。
では受容する態勢を整えるにあたり必要なものは何か、というと冒頭の話に戻り多角的な知識だ、ということが言える。国境を越えなくてもすぐそこにある自分たちの知らないものからまずはみるべきなのではないか。無知は不安を呼び、不安は扇動するマジョリティに利用される。決してそうなってはならない。

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