ヴァレンティノのハイヒールを履いた女の人
昨日、ヴァレンティノの靴を履いた女性がきた。
わたしは飲食店で働いている。ホテルのバーと、ワインショップだ。そのワインショップは女性1人でも気軽に一杯から飲める雰囲気で、平日の昼間はヒマだけれど、夕方から夜、そして金曜や土曜になってくると席が埋まってくるお店。
土曜の昼ごろ、その女性はきた。2名様でご来店。ワインをオーダーするときに、もうひとり連れの女性が英語がかった発音をして、持っていったスパークリングワインを2人で「cherrs!」と乾杯していた。
最初、そのヴァレンティノを履いた女性の靴が、ヴァレンティノだとはわからなかった。だけど、明らかに素敵なそのヒール、しかもハイヒールである、目がいかないわけがない。淡いピンクの、石型のアクセサリーがストラップにふんだんに付いている、いかにもブランド物のヒールだ。でもどこのブランドだろう?
彼女は髪型をハーフアップにして、真っ白な、真っ白すぎるパンツを履き、ブルーのGジャンを羽織ってなかには黒いキャミソールのようなものを着ていた。肌は白く、目がリスのようにきゅるんと丸い。薄いピンクリップで、一緒にいた英語まじりの女性と、スマホをのぞき込んで喋っていた。テレビ通話で誰かと話しているらしい。
彼女は、店員のわたしが案内や説明(メニュー表や軽いワインの紹介)をするたびに、「はぁい」と小さく返事をし、チーズを注文した。「苦手なチーズはございますか?」チーズのオーダーが入ると必ず聞く。もうひとりの女性が、ブルーチーズがダメだという。彼女に苦手なチーズはなかった。
「あの靴、どこのブランドだかわかる?」
チーズをサーヴし、わたしはキッチンに戻って隣にいたスタッフに聞いた。彼はコスメに詳しい(らしい。詳しくは知らない)。Diorのネクタイをつけてきていたし、バーバリーのカバンを買う予定だという。ほどなくして彼はスマホを見せてきた。「VALENTINO」
ああそうだ、ヴァレンティノか。なるほどね。およそ約13万円也。ひえ。「靴に15万もかけられない」とスタッフの彼は言った。
はるか昔、といってもわたしがまだ高校生から大学生はじめくらいの頃、「クリスチャンルブタンのヒールを履いて表参道通りを闊歩する!」という、夢のような目標のようなものを持っていて、まあとにかくそういうイメージに当てはまる女を目指していた。
だけどわたしはガシガシと歩くことが好きなのでほとんど毎日のようにスニーカーを履き潰している。
持っているヒールで一番高いのはDIANAの9センチヒールだ。
高い靴を履く女になること。
それが、わたしのなりたい大人の女だった。
だけどそれだけじゃない。
足が痛くなるからと敬遠されがちだけど、そもそも高い靴を履くということはガシガシ歩く前提ではないこと。タクシーに乗れるから、ほとんど歩かなくたって平気なのだ。お金をかけているのは靴だけではないのだ。
わたしはタクシーを使わない。自分の足で歩いて、街を知りたい。
だけど、靴が魅力的だということは知っている。いかに自分を高めるか知っている。たった3センチのヒールでさえ、かかとが地面から浮いているだけで胸が張る思いになることを知っている。
ヴァレンティノのハイヒールを身につけた彼女は、見るからにお嬢様だった。わかりやすさは靴だけで、あとはシンプルな装いだけど、それでも感じの良さや仕草、動きが、令嬢だと思わせた。
あの靴を手に入れたとして、自分はそれを履くだろうか。
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