あなたは、その人をどういう人だと思っていますか?
written by 長田祐典
最近よく街中で耳にする曲の歌詞です。この曲が流れてくると、私は次のように問いかけられているような気がします。
自分自身にレッテルをはり、自分を枠の中に押し込んでいないか?
そうして安心感を得ているのではないか?
もっと自分の可能性を見たほうがいいのではないか?
また、次の一節は、Harvard Business Reviewに掲載された論文からの抜粋です。
あまりにも多くのリーダーが、決断というものに対して、正しいか間違っているか、よいか悪いか、勝つか負けるかといった二者択一の答えがあると考えている。このような 「二元論的思考」には、生来の限界が存在する。いかなる既存のソリューションも、それに頼り過ぎれば、いずれそれとは反対の問題を生み出すだけだ。(日本語訳:筆者)
どうも人は、二者択一の「二元論的思考」を持ちやすいようです。
「うまくやれているだろうか?」という問いはどこから来るのか
私はエグゼクティブコーチとして、これまで多くのリーダーのコーチを務めさせていただきました。経験を重ねたからといって慣れるわけでもなく、クライアントとのセッションの前は、自分の中に様々な感情が起こります。
ワクワクするときばかりではありません。このようなことを書くのは恥ずかしさを覚えますが、高い緊張を感じることもあります。嬉しいという感情もあれば、少し気後れするような感情の時もあります。そして、自分の感情が、クライアントとのコーチングの時間に少なからず影響することを感じます。
たとえば、セッションの日が近づいてくると、気持ちがとても重くなるクライアントもいます。セッションの日は朝から、焦りとも不安ともいえない落ち着かない気持ちが続きます。そのような状態で迎えたセッションでは、クライアントに対して少し下手に出たり、率直なコミュニケーションを躊躇したり、そして相手におもねるようなことをしたり。
これではコーチ失格です。
そのときに自分に起こっていたことを紐解いてみると、
「うまくやれているだろうか?」
これらの問いが、感情を創り出していることに気づきます。こうした問いはどこから生まれてくるのでしょうか?
相手のことが見えなくなるリスク
振り返ると、そこには次のような二元論的思考が存在しています。
コーチングに対して積極的な人なのか、そうではない人なのか?
コーチングを理解している人なのか、理解していない人なのか?
私とのコーチングに価値を感じている人なのか、感じていない人なのか?
ノリの良い人なのか、悪い人なのか?
こうした私の二元論的思考を経て、その人に対して自分の中で勝手に「〇〇な人」というレッテルを貼っているのです。
そして、そのレッテルが「コーチングを理解していない人」「コーチングに積極的でない人」だったときに、「うまくやれているだろうか?」という問いが発動していることがわかります。
前述の歌の歌詞にはこんな一節もあります。
そう、人は複雑で、二元論的に語れるほど簡単ではない存在のはずです。二元論的な思考パターンは、相手のことが見えなくなる危うさをはらんでいるといえます。では、この思考パターンからいかに抜け出せるのでしょうか?
「勝手な思い込み」から「興味・関心」へ
私は、こういう状態に陥ってしまったとき、同僚のコーチから
「そのクライアントを、どういう人だと思っているのか?」
と問いかけてもらうようにしています。
そう聞かれると、自分が相手に対して「勝手に」思い込んでいることがいかに多いかに気づきます。その人が本当にそういう人かどうかはわからないのに、です。
不思議なことに「その人をどういう人だと思っているのか?」という問いに答えていくうちに、自分の中には新たに「その人は、本当はどんな人だろう?」という問いが生まれ、興味・関心がわいてきます。さらには、その人が立体的な存在として立ち現れ、早く会っていろいろ聞いてみたくなってくるので、不思議です。
そしてその時には、さっきまで自分をざわつかせていた感情は静かになっているのです。
人との関係性を変えていく、大きなヒントがここにあります。
相手にレッテルを貼ってしまうのは普通のことです。しかし、そのレッテルは何らかのかたちで相手との関係に影響します。さて、あなたの上司、同僚、部下の顔を思い浮かべてみてください。
あなたは、誰との関係性を変えたいですか?
あなたは、その人をどういう人だと思っていますか?思い込んでいますか?
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