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過激な画像や動画が「自己満」の域を出られないアルゴリズム的な理由

誰かにとっての必要は別の誰かの必要とは限らない

きのう、死体の写真を流すこと自体が倫理上どうなんか、という投稿を見た。確かにそう。本来なら。自分も、正直毎回ためらいます。けれど、イスラエルが虐殺など存在しないということにしようとしているのに、それにどう抗うのか。

とあるXの投稿より

という投稿を見た。その投稿をした人は昨日自身のポストへのリプライで「センシティブ設定を使ってはいかがか?」とアドバイスされていたが、読めなかったらしい。

日頃ゾーニングゾーニング言ってるくせに、高みの見物してるだけの我々がそんな欺瞞でええのんか。

センシティブ設定の画像や動画を見たい人はタップして見るし、その時点で本人の責任として見ることを自発的に選んだと言い切れる。つまり傷つくかもしれないと分かった上で開くのだから正しく自己決定だ。

また、その選択をしたくない人の目には触れないようにもなっている。それでも投稿に添えられた文字は読めるので何を訴えたいかは文章次第で相手にきちんと伝わる。

7歳の女の子のご遺体の画像は、親族によって投稿されたものでした。
そこには「どうか目を逸らさないで。目を背けないで。」と書かれていました。(中略)
辛い話ですが、その子の身に起きた真実を知ることは、とても大切なことです。

とある別の方によるXのポストより

という意見もみた。

ご遺族にとってはそうなんだろう。旭川のイジメ(あれは性暴力を含む明確な犯罪であってイジメなどではない)自殺の場合も、ご遺族が望んで本名や画像を提供している。それはご遺族の思いとしては全く否定されるべきものではなく、むしろ勇気を持った告発だとワタシ個人はリスペクトする。

だがね。それはあくまで情報の発信手の考えであって、情報の受け手の事情は考慮しないし、また情報の受け手には発信内容に関わらず「見ない権利」がある。

平和憲法だ、戦争反対だと言っている正義の人たちは、同時にアニメや漫画で「性的搾取されている!」「公共の場にそれを設置するのはいかがなものか!」と騒ぎ立てる人たちとほぼクラスタ的には相関する。

日ごろ「勝手にエロを見せてくるな!」と叫んでいる正義の人たちが、殊に政治的意味合いの強い残虐な画像や動画に対しては、「世界中の人々が、目を逸らさないように 、懸命に努力しているんだ!」「残酷でも知らせなくてはならないんだ!」「無断使用じゃないから問題ない!」と叫んでいる。

じゃあワタシも残酷な真実を一つ告げてあげよう。彼女は誰かの大切な家族であり、とても愛らしい少女だった(存命中の動画はワタシも観た)ことにはワタシも同意するが、

誰かにとっては単なるグロ画像なんだよ

これは残酷だけれど事実だ。誰かにとっては共感しようもなく、ただただ恐怖と吐き気しか及ぼさない場合がある。てかまぁ普通の神経持ってたらとても不快だろう。決して愉快なものではない。

とはいえ、今日の本題は少女のご遺体画像の掲示の賛否ではない。SNSの利用についてもう少しテクニカルな話を、なるべく簡単に書こうと思う。

政治的主張をゴリ押しすることの無意味さ。アルゴリズムとの関係について

昨日の記事に書こうかどうしようか迷ってやめたが、今、特に、インスタの方がXよりその傾向強いと感じるのだけど、関心領域にないものは全くタイムラインに表示されない。「表示アルゴリズム」ってので検索してみるとどういう仕組みかはわかると思う。

たとえばこれなんかは分かりやすく解説しているのではないかな。

【2024年最新】Instagramのアルゴリズムを理解しよう

この手の正義のおバカさん達は「初手で相手に最も強烈な印象を与えてやろう、そうすればあまりにも悲惨なガザの現状がわかり、共に反対するに違いない」と考えているように見える。

だが、その強烈な一撃が、政治参加拒否層に届くことはない。まずない。今や、ますます、ない。

「政治と関わりたくない人たち」がもたらす政治的帰結

にも示されるように、ただですら、政治に関わることや関わっている人物と接触すること自体に忌避感がある人が増えている。

そんな中で残虐な画像や動画が政治参加に繋がる正しい教育だと思っているのなら、その人はもはや救いようのないほど、そうした過激な画像や動画に依存し、慣れきってしまっている。

あ、そういえば

「最小参加社会」日本における分断は、政治に(まだ)関与し続ける人々と、政治的な領域から撤退した人々の間にこそ立ち現れるのではないか。」

「政治と関わりたくない人たち」がもたらす
政治的帰結(Newsweek 小林哲郎 2024)

という一文はとてもよかった。ここでは詳しく書かれなかったので今後の記事に出てくるのだと期待するが、(まだ)撤退したという言葉は、生まれた初めから政治に絶望していたわけではないことを示しているように思われる。自己努力・自己責任についても「政治への関与をあきらめ公的な領域から撤退してしまう人々」の選択として描かれており興味深い。これからの記事も楽しみにしている。

話を元に戻すが、複雑なアルゴリズムを組み合わせて作る、ユーザーの興味関心、好みなどにカスタマイズされた投稿の表示優先度の切り分けは、さまざまな「シグナル」を元に判断される。

シグナルとは、先に挙げたリンクに詳しいが、どの投稿にいいねを押しているか、どのワードで検索しているかなどユーザーのアクションやフォロワーの性質などのことで、それらから傾向が分析され、自動で表示の可否を切り替えている。

一方、X(旧Twitter)の場合はインスタとは異なり、スコアの概念なども若干独特で(時間の経過と共にスコアが下がるという考え方は嫌いではない)、ここで詳しく説明はしないが、基本的な考え方はインスタとそう変わりない。

コミュニケーションをたくさん取る=ユーザーからの反応をより多く獲得すること

これが第一の法則だ。

二つ目に、ユーザーが長く投稿に止まる=ユーザーが読みたいと思う内容の文章をしっかり作り込むこと

三つ目にブロックや報告を受けてペナルティを発生させないこと

ブロックやミュートでは「いいね」のマイナス148倍、報告に至ってはマイナス738倍のペナルティが課される。つまりどんどん表示されにくくなるということだ。

「政治的な主張が強すぎる」場合、このペナルティを喰らいやすい。コミュニティノートをつけられると収益が悪化すると言われるが、影響は金銭面に限らず、おすすめにも表示されにくくなり波及効果が望めなくなる。

収益を稼ぐためだけなら政治色が強くても構わない。SNSはどのサービスであれ、その高度なアルゴリズムは「顧客の囲い込み」に高い効果を表すよう設計される。そうでなければ儲からないからだ。心地良いぬるま湯の中でぐるぐるしていてくれた方がSNSの運営者としては望ましい。

だが、曲がりなりにも(最近はそれも形骸化していたり、表向きとは裏腹に小規模のグループをカモにしてカンパを稼ぐ下劣な人間もいるが)政治無関心層の1人でも多くに政治参加をお願いしたいと思うなら、元々連帯できる同じ関心領域のグループの外に、どのように波及させるかが常に課題となる。

ロジカルに考えれば、一撃必殺で(政治参加する)新規顧客を獲得しようとするのに過激な映像を流しギャンギャン騒ぐことはあまり効果的といえない。つーか、リスクが高い。

逆にただの一回でもタップさせられれば「おすすめ」やらに出てくる確率が上がるんだけどね。その辺のこと知らないから自己主張を押し通すのだろう。正義を押し通せば伝わると勘違いしているのだ。

「SNSの空中戦にはなんの意味も効果もない」という意見はネット選挙が解禁されて割と早くから言われるようになったが、それは使い方が間違ってるんでしょう。と思っている。

そのこともいずれ取り上げたいと思うが、なによりワタシ自身が政治クラスタに疲れ切っており、「政治への関与をあきらめ公的な領域から撤退してしまう人々」の1人なのでこれも気が向いたらその時に書くことにしようと思う。

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