ヘイトと紛争の先にあるもの
おぞましいものを見た。これらを見て自分が感じたこと・考えたことを残しておこうと思う。おそらくリベラルを自認する人ほど読むのは辛くなるだろう。そういう方には無理に読めとおすすめはしない。一方、結論だけ気になるという方もいると思うので、そうした方は目次の最後のほうだけでも拾っていただければと思う。
① ワタシが見たもの
二日ほど前だったか、昼過ぎから夜までずっと整理したかった衣類を整理しながら配信をしていたらXにDMが届いていた。
かつて、ワタシのパートナーたる馬の眼とは月刊菅野完ゲゼルシャフトでお世話になった選挙ウォッチャーちだい氏の配信だ。どうやら数日前に馬の眼はちだい氏にブロックされたらしい。そのことを伝える内容のDMだ。配信中であったため、「後で見るよ」と返信し、ある程度その時の話に目途がついたので、リスナーさんと一緒に鑑賞しようという話になった。
知らないと三度口にしてしまう前に
実はこの日、選挙ウォッチャーちだいが仁藤夢乃氏と音無ほむら氏の裁判に言及した動画はもう一本ある。
冒頭からハイテンションに語られるナレーション。
「あいつ(音無ほむらこと江藤貴紀)は俺のこと知らないかもしれないけど」とか、「俺は知らない」とか言っているのだがそんなはずはない。
音無ほむらこと江藤貴紀氏はかのハーバービジネスオンラインでちだい氏ともに執筆した仲ではないか。傍聴まで行って被告の名前がわからないはずはなく、そんな基礎情報さえ拾えないのならライターとしては三流以下でしかない。もっと突っ込めば、会ったこともなく知らないのなら、なぜ「エレベーターであいつ会釈してきた」などと言えるのだろう。
ちだい氏が読者やリスナーに小さな嘘をつくのはこれが初めてではない。草津の記事でも、そのほかの記事でも、あいまいな表現で重要な論点を覆い隠す手法はこれまでも使っている。エンタメなんだから多少の嘘は盛り上げるためのスパイスとでも考えているのだろうか。元放送作家としては当たり前なのかもしれないが、真摯に政治に向き合ってきたこっちからすると「なんなんだ?こいつ」となってしまう。
選挙ウォッチャーちだい氏が馬の眼をブロックした理由
ある程度作業に目途がついたところで、ワタシの配信でリスナーさんと一緒に拝聴した。馬は「そんなのお前がアホみたいな記事を書くからだろ」と一蹴した。草津町を「セカンドレイプの町」と呼び、その後の事実が明らかになり町長の冤罪疑惑が晴れた後も真摯な謝罪もなく、誰かに配信で問われた際にもキレ散らかしてうやむやにして以来、ワタシも馬もちだい氏の配信を聴くことがなくなっていた。
まして能登半島地震に関してはろくに調査したとも思えない浅い内容と言わざるを得ない記事だった。もう少し事実を客観的に検証することができなかったのだろうか。これまでもおそらくはこれからもコンスタントに記事を書き、シモとカネのトラブルも起こさないちだい氏をそこそこ評価していた自分としてはガッカリするには十分の粗雑なものだった。
それらのことについて馬が批判したことを「もう(馬が)おかしな方向行っちゃってるから(ブロックした)」「俺のこともなんか言ってるらしいんだよ。俺はそんなに馬さんのこと言ったことないのに」とまるで小学生のガキのように喚いていた。それがブロックの理由なのだという。まぁ君は確かにドイツの戦後教育が目指した「最後の一人になっても抵抗できる人間」ではないだろう。ご自身でも認めるところだろうが、まったくもって小市民らしい小市民であるとワタシは思う。
馬の眼本人による補足
以下はこのnoteの原稿を読んだ馬の眼自身の補足であり、同時にちだい氏への回答となります。面倒くさいのでそのままコピペじゃ。とくと見よ。
ーーーーーーーー馬の言い分ここから
馬がちだいを批判したのはなぜか、正確に紹介しておこう。
ちだいは、「能登半島地震は他県の迷惑ボランティアで大渋滞はデマ。」という記事の冒頭で、次のように書いていた。
「ありもしない渋滞」を理由に石川県全体に来るなという誤ったメッセージを知事や政府が出したせいで、災害対応の妨げになったというのがちだいの記事の論調で、この記事は野党支持者界隈で大変にバズったのでした。
ところが、この記事はきわめて初歩的な事実の間違いがあります。
実際には馳浩はそもそも「石川には来るな」とは一言も書いていなかったのでした。実際にはなんと書いていたのでしょうか⇒こちら
「能登への不要不急の移動は控えて」というのが、馳知事の一貫したメッセージです。石川県と能登を混同していたのは、馳浩や音喜多や政府ではなく、ちだい本人やその支持者たちだったという訳です。
物書きとして基本的な事実確認をするのは、最低限守らなければならないルールです。そうでなければ、読者からお金をもらう資格はありません。
まして、誰かの批判をするならば、批判対象がなんと言ったのか正確に引用しなければなりません。ちだいが馳知事や岸田首相や音喜多駿の引用をした上で記事を書いていたなら、執筆中に自分の勘違いに気がついていたでしょう。
まあ、そんな初歩的な間違いにすら気が付かずに大拡散してしまう支持者たちも、たいがいメディアリテラシーが低すぎる訳ですが。
ちだいを僕が批判していたのは、事実確認を怠ったために、ちだい自身がデマ拡散者になってしまったからです。
ーーーーーーーー馬の眼による言い分、ここまで
こうした反論をちだい氏自身が予期していたかどうかは不明だが、馬の眼のことについてはさほど問題ないというか、むしろずいぶん遠慮したdisりだなとさえ感じた。だがその後、現在Colaboと裁判で争っているエコーニュース音無ほむら氏の尋問を傍聴したという部分にワタシは衝撃を受けてしまった。
② 日和見リスナーという毒。無知を絶賛する蒙昧な人々
そういえばこれを機に名指しでたびたびいろいろ言うてくれている地方の会計屋氏(@the_metal_cpa)にお返事を書いておこうと思う。
あのさあ。Colaboの毎度中身が変わる財務諸表を問題ないと言えちゃうあんたが本当に会計屋なのかむしろ疑問なんだけども、普通に馬の眼も働いていますので行けるはずないです。大阪在住で仕事もあるのにどうやって平日昼間の傍聴行けっていうんですか。有給申請してでも行けと?毎月ワタシや義母の通院に付き添ってくれる馬の眼に、あなたがその分のお給料と足代出してくれるんですかね?
いくら自分が毎日暇で、まるで菅野完がすでに亡くなり草葉の陰で泣いてるかのような前提で馬の本にアンチコメを書いて自爆してしまったからって少しは頭使って物事考えてくれ。マウントの程度が低すぎる。
本当の「キモいおじさん」とはどういうことか
そういえば、第六感でも働いたのだろうか。この記事を書き始めたころ唐突に地方の会計屋氏からフォローリクエストがあった。
何のつもりか知らないし興味もないが、連絡取りたければ馬キャスにでもワタシのキャスにでもコメントを打てば良い。
だが大抵の場合、「キモいおじさん」はこういうとき必ずDMで言い訳をしてくる。しかも馬ではなくワタシに。鍵垢の今は比較的平穏に過ごしているが、オープンだった時は、国会前で良いこと言ってるおじさんや小難しい社会学理論を振り回す既婚の学者などが、DMで性的なことを聴いてきたり、聞いてもないのに自分の性的魅力をアピールしていた。
本当のキモいおじさんは閉鎖的な空間でのみその本性を現す。ワタシはそう考えている。本当に真摯に何かを対話を求めているなら、たとえアウェイでもコメント欄に降臨すればよいのだ。あの菅野完でさえ恥をさらしにくるだけの勇気はあったのだから。
「モブ」はさておき、どうやら当日の傍聴席には尋問中ずっと爆笑し、コーヒーを飲むおじさんがいたようだ。
「自由に笑っちゃって。俺も自由に笑いたかった」「きゃっきゃっつって観るのが一番楽しいだろ」なんてちだい氏の発言に同調するコメントの数々も含めて絶句した。いや、あんたら、いくらなんでも無知すぎるだろう。己の無知蒙昧さからくる愚かな行為を恥じていただきたい。
リベラルとあなたがたが称賛する各国(おなじみの米英豪加独仏のほか香港、シンガポール、インドなどでも採用)では、その行為は「法廷侮辱罪」にあたる。日本には厳密には法廷侮辱罪はないが海外のそれと同様の理由で制裁を課すことはできる。
つまり、裁判官は退廷を命じるなどの権限があるということだ。刑事訴訟であればその根拠は刑事訴訟法294条(公判期日における訴訟の指揮は、裁判長がこれを行う)となるらしい。訴訟指揮権は裁判官にあるってなんだかMC(master of ceremony)みたいだな。これは誰しもが知るであろう芸能人の薬物事件裁判でも発揮されているようだ。
また別の条文でも大きな声で騒ぐなどの行為は妨害行為とみなされるといってよく(引用したブログはこちら)、民事と刑事とでは違う点も多いだろうが法廷の秩序を維持する必要がある点は変わりないように思う。
むしろ、そのおじさんが法廷内で爆笑し続け、純粋な水分補給とはいいがたいコーヒーまで飲んでいてもお咎めがなかった様子から、ワタシは「東京の司法やべぇんじゃねぇか?」と逆に心配になってしまった。判事は相当の無能なのですね。まともな判事なら法廷内での審理妨害についてはしっかり警告し、正されない場合は強制退廷を命令しなければならない。公平公正に裁定するつもりがあるならね。正直、かなり心理的に不利な状況を作られての尋問だったのだなと感じた。
そもそも原告が誰で被告が誰であっても、大声で爆笑する、法廷内で飲食を行うなどは通常禁止だ。ちだい氏のことだから優等生しぐさがどうのこうのと「まぁ堅いこと言うなよ」などと思うのかもしれないが、あんたら三権分立をなんだと思ってるんだろうか。国会が神聖な場であり品性が問われるのなら、司法の場だって同じだろう。少しは頭使えよ。
人を裁き、時にその命にさえ言及するような厳粛な場所で尋問中の相手に圧力をかけるなどというのは司法そのものへの侮辱だろうに。その尋問される人物が仁藤夢乃氏であったとしてもワタシは確実に同じことを言って糾弾するだろう。当たり前だ。ワタシはこの国をまだ立憲主義の国であると、民主主義国だと信じているのだから。もう最近はあまり自信なくなってきちゃったけど。
③ そもそも法廷は何をするところか
どうもこの数年リベラルを自称する人々はその主戦場を法廷へと移したようだ。元より政治家に弁護士は多いが、公人が一般人を訴え、それを絶賛する支持者たちがお祭り状態になる風景が今や珍しいものではなくなりつつある。そのことについてはいずれまとめられればと思うが、今日はひとまず、置いておこう。
そもそも法廷、裁判所とは何をするところなのだろう。考えてもみれば我々そういった基礎的なことはそれほど丁寧には教わってこなかったのじゃないだろうか。
政府広報オンラインでは裁判所はこのように書かれている。
社会の中で起きる争いごと、つまり紛争だが、その紛争を解決するのが裁判所だということだ。重要なポイントはこの「紛争」や「善」「正義」などは一般の我々がなんとなくそうであろうと考えているものとは異なっていて、あくまで法律用語としてのそれであるということだ。
たとえば法律用語としての「善意」は善い行いをする意志のことではなく、知っていることまたは信じていることを指す。「悪意」も同様で、知らなかったこと、または、信じていなかったことを指すようだ。(図解六法を参照されたし)
本来比較できようもない、別々の、容疑も異なる二つの犯罪に対して、「Aはこんなに軽いのに、Bはこんなに重く裁かれる。不公平だ!」と叫び散らしてしまうのは、もちろん本当に衡平であると言えない場合もあるが(その最たるものは尊属殺人罪が撤廃されるに至った有名な判例であろう)、多くは法律上の善悪や正義は道徳的な意味を必ずしも持つものではないことを多くの人が理解していない、できないことにあると思う。かくいうワタシもその一人で、どうしても判決内容に納得がいかない刑事事件は多い。
とはいえ、「人権とは弱者に寄り添うことだ」という勘違いがなぜ起きるかはこうした事情によるもので、感情的な差配を当然としてしまう人は多い。どうも見ていると衡平とは何かにさえ弱者・強者という勾配で物事を考えたがる本職もいるようなので、まったく教育っていうのは質が重要だなと痛感する次第である。なお、ワタシはただの高卒であることをここに示しておきたい。
まとめよう。法廷とは、お気持ちの善悪の判断をする場所だと誤解する人が多いが、あくまで「概ねこれでつり合いが取れているであろう」という裁定を行うことで紛争を解決する場所ということだ。
「道義的に言ってどうなんだよこのクソが」と全く心情的には解決できないことは多いと思うが、そもそも法は個人の内心には干渉しないし、してはいけない。個人の内心にまで干渉するようになったらおしまいだ。日本国憲法第19条に掲げられる内心の自由は絶対的な保障であって、そこにはどんな権力も踏み込むことを許さない。
この憲法がある限り内心の自由は保障されるべきものとして在る。それがゆえに、あくまで客観的に再現できる範囲でしか、その紛争解決の効果を示すことができない。と、ワタシは理解したのだがいかがだろうか。
④ 嘲笑とヘイト
選挙ウォッチャーちだいとその取り巻きの行為に話を戻そう。
先にリンクした選挙ウォッチャーちだい氏のツイキャスで一番やばいと思ったのは、被告の音無ほむらこと江藤貴紀氏自身ではなく、その子どもたちまでも侮蔑する、まるで小学生のいじめのような発言とそれに同調する嘲笑の数々だった。
以下に、動画の09:40頃からの書き起こしを提示する。
傍聴人の属性をエスパーする透視能力も素晴らしいが、どうやらちだい氏は子どもたちの心情まで透視する能力がおありのようだ。
オネエ言葉だったらなんだっていうんだろうね。お前だってしょっちゅう街中の配信で有料アイテム入るたびに奇声あげてるだろ。そっちのほうがゾーニングされてないだけ周りびっくりだよ。実際自分でもそう言ってるくせに。
ワタシは絶句した。自分自身、在学中はほとんどずっといじめられていたので、これが単なる「心配」や「気づかい」でないことは容易にわかった。そこには全く陰湿ないじめそのものが再現されていたのだ。その声色、周りのリスナーのコメントと共にエスカレートしていく様からして、彼らは、この状況に完全に酔っている。
これをヘイトと言わずしてなんというのだろう。これは単なる悪口の範疇ではない。菅野完が先行する配信で、ネトウヨの妻を「ブス」と連呼していたときも同じことを思ったが、自分が唾棄する思想を持つ相手自身に対して吐き捨てるのならまだ理解できるが、まったく関係ないパートナーの美醜や、ましてや自ら抗議することもできない子どもが学校でいじめられるのが当然であるかのように侮蔑するとは何事か。
かつて大袈裟太郎が配信で菅野完の子どもを手を叩いて「(こんな親の下に生まれて)かわいそう!」と罵ったとき、お前らのうちの何人かはそのことに憤慨したはずだ。だが目の前に広がるその様子は、むしろコメント欄も一体となって、「非正義のアニメアイコンめ!オタクのネカマ野郎を子どもを使って辱めてやる!」とでも言わんばかりの最低最悪の大人の有様を示してしまった。集団いじめのようになってしまったのである。ちょっとは反省しろよ。いい歳した大人たちが揃いも揃ってなにやってんだよ。
オペレーションコドモタチとか、みんな地球のこどもじゃんとか、やってたんじゃないのかよ。それとももはや忘れ去られた過去の話か?いつか「記憶にございません」とか「個別の事案についてはお答えを差し控えさせていただきます」とか言うのかもしれないな。子どもたちが将来自らネットの世界に足を踏み入れた時、自分らの愚行が見つからないようせいぜい祈っておけよ。
あんたらが目指した社会ってなんだったんだろうな??
⑤ その延長上に何があるかわからない人間の説く平和とは何か
法廷は紛争を解決する場所だといった。国際社会においては国際司法裁判所がそれにあたる。
国際紛争の解決の方法は世界法廷で仲裁してもらう以外にもいくつかあり、外交交渉や仲裁、調停などがある。
そして、すべてのカードが切られ、それでも落としどころが見つからない場合、最悪の結果は暴力、すなわち戦争になる。圧倒的な暴力で言うこと聞かせちまうぞゴルァというわけだ。
戦争を外交の最終手段とみなすことを我々が良しとするかどうかにかかわらず、本質的な性質として戦争は外交の一手段として事実使われてきた。
また多くの戦争は実際のところあまり計画的に始まっているとも言えず、意外にもそれぞれの戦争の原因を調べ、分解していくと、さながら「モノを買うときは、どの人も100%感情で購入を決定し、購買理由はその後理屈によって正当化される」というマーケティングの格言に似ているとさえ感じる。
少なくとも外国と戦うためには、国内の意思を限りなく統一して安定を図る必要があり、兵を集めるためには民衆の支持を得なくてはならない。その民衆の支持を得るためには、彼らの感情を揺さぶり、味方につけなくてはならないのだ。
戦争には金がかかる。コストを削減するためには民衆の方から自発的にこのシステムに心地良く取り込まれてもらい、協力的になっていただかねばならない。
だからこそプロパガンダは生まれ、発展し、複雑に市民感情に入りこむようプログラムされてきた。今までも、そしてこれからも。
だけど君たちは本当になんにもわかっちゃいなかったんだな。
法廷が何をする場所なのかも、
我々がそれを受け入れられるかどうかにかかわらず、戦争が、国際紛争を解決する外交の最終手段として既に事実上定義されていることも、
何十年も抗争を続けているギャング少年たちがもはや何が原因で抗争が始まったかは知らないけれど、だけど身近な、大切な家族や兄弟や友人が殺されたために、お互いに憎みあい、復讐を続けていることも。
プロパガンダを格安で実装するのに最もコスパの良い方法は何だと思う?
グループの外部に敵を作り、似た者同士のグループで互いに争わせること。これが一番お得なのさ。
ほんとうに、
あんたらは、
何もわかっちゃいない。
わかろうともしない。
夢物語かもしれないが、ワタシは子どもの安住の地がたくさんあってほしいと願っていて、ネット社会はその一つになり得ると今でも信じている。自分の子ども時代にネットへのアクセスが容易であったら、ワタシはこうまで壊れずに済んだだろうと思うことが多い。
我々は何を残してやれるのだろうな。少なくともそれは誰かの子どもを使いその親を侮辱することで得られるものではないと思う。
最もおぞましいもの。偽善者どもの滑稽なコケッコー
恥ずべき人間というのはこういう人間のことだなとつくづく思ったので、記録しておこう。
立憲民主党が立憲主義を捨てた日、立憲民主党がその魂を捨てた日、ろくな調査も受けられず、ろくな反論もできず、やいのやいのと不確実な情報を元にバッシングを受け、最終的に議員辞職に追い込まれた本多平直の会見に意味不明の誘導発言ばかり繰り返した自称ジャーナリストの記事がYahooニュースに掲載されている。内容はもちろん本件でも取り上げている法廷闘争について、原告の女性側に寄り添った記事だ。あいつのことだからさもありなん。驚きはない。そこにも、このnoteの冒頭に掲示した選挙ウォッチャーちだい氏のYouTube動画は転載されているという。
へぇw。まぁ、ちだいも菅野も横川も自分自身では闘わなかったもんな。渦中の栗を馬が拾ってくれるなら情報提供するよと言ってくれた日もあったよね。君たちは総じて小心者で心の弱い人たちなんだな。我々は発達障害だからくだらねぇ空気なんか読まねぇよ。空気は吸って吐くもんだからな。ちゃんと表で批判したしワタシらが死んでもそれらの記事は残るだろう。お前たちのそのチンケな生き方がワタシの目にはチキンに見える。
だが、さすがにこれを見たときは絶句し、そして顔を覆った。
なんと、ちだい氏のYouTube配信は、その中身が
・法廷闘争を取り上げている
・ちだい氏の感性によって被告の尋問がさんざんに嘲笑されながら紹介されている
にも関わらず、動画の最後にこの画像が挿入されているのだ。
おいおいおいおい。ガザ関係ねぇじゃん。
ガザの子どもを殺すなと主張するその口で、手で、ほむらの子どもはあげつらっていいのか?ガザの子どもに同じこと言える?言ったら批判されると思うが。
それとも何か?日本人の子だからサゲてもいいのか?別に死ぬわけじゃないって?将来お前のクソみたいな侮蔑動画にうっかり遭遇してしまい、万一子どもがショック受けて自殺したらどうなっちゃうか考えたことある?まさかお前これまでテレビ出演した女性がさんざんネットで暴言吐かれて自死してしまったことをよくないって抗議したことないよな?あるんだったら、自己矛盾激しくないか?
「そんなことなるわけないじゃないですかー。冗談ですよー」とでも言う?やった側は冗談でもやられた側は冗談と感じないのがいじめなんだけど、そういうの、わかる?
なにより、この動画ではせめて外してやれよ。ガザの子どもたちは誰かを侮蔑して嘲笑する動画の最後に利用されて嬉しく思ってくれるだろうか。私たちのこと取り上げてくれてありがとうって、言ってくれると思う?
ワタシは、せめてこの動画だけでも、この画像は外してやればいいのにと思った。そう考えられないお前らは、小さな子どもが死んでいる傍らで、それを利用して、インプレ稼いでいるだけのほんまもんのゾンビや。
たまたまそこに生まれただけで
先日見たポストを探せないでいる。
そこにはこんな意味のことが書いてあった。
ウクライナがとかガザがとかじゃなくて、ただ、殺すなって言えばいいだけだ。
と、いうような意味だったと記憶している。
(何とこの後、リスナーさんが見つけてくれたのでそのポストのスクショを追記します⬇️)
たまたまそこに生まれただけでヘイトされなきゃいけない理由なんてどこにもないはずだよね。
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