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東京8区所感と見えない有権者。見えないことは、いないことを意味しない。

東京8区大騒動について双方の説明動画

熱量がある内に書いておく。またすぐにうんざりしそうなので。
政治が嫌いだ、政治は汚い、と感じる方にこそお読みいただきたい。

れいわ側説明についてはこちら

りっけん側説明についてはこちら


完全に置き去りで大草原

山本太郎の振る舞いを「行儀が悪い」だとか「今政局すな」とか、「吉田が街宣できないとか甘えるな」とか「太郎が嫌いなんでしょ」とか。

一般の支持者でも上級市民たちでも御用学者でもなんでもいいが、洪水のように流れるTL、キャスのコメント欄、現場の怒号、バカみたいな言い訳。それぞれを見て思う。

あのさ。その前にさ。お前らやることあるだろう?
誰が一番迷惑しているか考えたことあるかい?

東京は言わずと知れた大都市だ。なんせ首都なんだし。
しかし今回騒動になっているのはあくまでその一部分。東京8区という限られた街だ。

そこで自分らの預かり知らぬ頭上で、勝手に候補者調整に失敗してgdgdやって、そのことが無駄に報道され、双方の支持者がお互いを口汚く罵っている。ほとんどの人は住んでもないのに。

なーんて思っているかもしれない、住民の、有権者の気持ち、想像してみたことあるかい?

「必ずしもお前がいうように感じているとは限らない!」という人もいるだろう。然り。然り。だがもしもワタシが杉並区民だったら、やっぱりすっごい気持ち萎えるわ。

選挙戦に入れば「まるで一度も罪を犯したことがない顔をして候補者や支持者は自分に媚びを売ってくるけど、この間までお前ら醜い争いしてたじゃん。どうせ気に入らないと思ったらすぐ手のひら返すんだろ」なんて思う人もいるかもしれない。少なくとも自分はそう感じただろう。

もしかしてそう感じる人たちは果たしてバカなんだろうか。

維新とか自民とか、りっけんとか共産とかに投票する人は、
あるいはれいわの支持者は、バカなんだろうか。

もはや政党要件を満たせないことがほぼ確定的の社民の支持者はバカなんだろうか。

N国とか、ファーストの会とか、国民民主の支持者はバカなんだろうか。

派手だが逆に派手さしかない自分が目立ちたいだけの出馬オタク。
そんな名物泡沫候補の支持者はバカなんだろうか。

「正しい」投票をしない人たちはバカなんだろうか。

ワタシはよっぽどそんなこと言ってるやつの方が頭悪いと思っている。


政治世界こそ、もう1つの世界線

市井の人々の気持ちから乖離してしまうから、ワタシはなるべく政治屋に染まりたくないなと思っていた。政治のお作法の話を聞いたことはあるし、ほんの少しだけなら垣間見たこともある。お仕事もボランティアもした。だがもう正直関わりたくないなと思っている。

常々思う。政治ってヤクザな世界やなぁ。って。

本職のヤクザの皆様はこれを聞いていろいろ思うところもあるかもしれない。イメージで語って申し訳ないのだが「素人さん」のワタシなりに思うところを書くつもりだ。似ているところが少しでもあるかもしれないので怒らずに読んでほしい。

そもそもだ。政治(特に国政)の世界では、市井の、一般社会のルールが、簡単に捻じ曲げられる。

それが建前であったとしても我々が一応は社会ルールとしている規範を凌駕する独特のルールが政治世界にはある。それこそが彼らの世界の法である。

「太郎が悪い」と言ってるやつらの大半は政治に詳しい人たちだ。
彼らはその暗黙の了解を知っているので「今政局をするな」という。

つまり選挙前にイメージを下げるようなマズいことを水面下で調整して「いっせーのーせ!」でうまーくソフトランディングさせずに、勝手にポロっと出してしまった山本太郎は、それ故に批判されている。

ようは【仁義】に反していると叩かれているわけだ。

一方、山本太郎側につく人たちもまた別の世界線にある。
こちらには「政治不信が極まって、程度の差はあれカルト化した人たち」が多い。

はっきり申し上げれば、れいわの支持者というより太郎個人の信奉者といったほうが正確だなと思える人が多く、特に濃度の高い太郎支持者は、そもそも、事実を考慮しない傾向が強い。

りっけんの支持者は事実が黒でも白だといい、
れいわの支持者はそもそも事実を考慮しない。

乱暴な言い方だが、少なくとも政治に疎い人たちの目にはこういう状態に見えていることだろう。

あるいはもっと極端な言い方をすれば「内ゲバ」とか「仲間割れ」に見えている。または「どっちもどっち」だと。


ボトムアップの足切りラインが高すぎる立憲民主党。主張とニーズの圧倒的なズレ

政治に詳しくなりすぎて市民感情から乖離する人々が後を絶たない。
そうならずに済む人は政治から遠ざかった人だけだ。
実際いつぞやの熱は既に完全に失われていることは誰もが認めざるを得まい。

様々に理由は考えられるだろうが、ワタシはそもそもの根本的な問題を指摘する。野党、特に、曲がりなりにも野党第一党である立憲民主党のボトムアップの足切りラインが現実に即していない。

そのことを支持率が低調であることの原因の一つに挙げるが、れいわ新選組を含む他の野党も似たような「ニーズとのズレ」問題は常に抱えているのでそれぞれ考えてみてほしい。

「市民の共闘でなんとかこんとか」

よく言われるセリフだ。市民連合などという市民の代表みたいなツラした団体まである。

だが、その市民の顔をよく見れば、いつぞやの衆院選でも、いつぞやの都知事選でも、どこかのメディアのコラムみたいなところでも見たことがある。というような顔ばかりだ。

それらの面々も市民でないとは言わない。
だがその多くは学者だったり、どこかの団体の代表だったり、メディアによく出てくる人だったり、既に何かしらの支持政党を持っていて、その政党の党勢拡大または選挙で一票でも多く投票してもらうように動いている人たちだ。

もちろん与党側にもそういうやつは普通にいる。
どこかの政党に特有の問題だとも思わない。

だが圧倒的に野党の皆さんはお分かりではない。
野党第一党は立憲民主党ではなく無党派層なのだということを。

もっといえば与党の支持者の中にも嫌儲といってね、どこぞの小さなWeb会社に雇われてたらしい人のステルス広告も地味に嫌われているようだ。ってことくらいは把握なさればよろしいのになぁと思う。

野党の支持者に濃い支持層と薄い支持層があるように、当然に与党にも濃い層と薄い層がある。

なぜそれに何年経っても気づかずに、最初から決まった思想に凝り固まったバラモン左翼を重用するのか。彼らは市民の代表者としてはあまりにも階層が高すぎるし、少なくとも多くの市民の代表足り得ない。

マイノリティの権利向上はとても大切なことだし後回しにしていい問題ではない。だが、運動と選挙の目的や方法論を混同していることもこの大いなる過ちの原因だ。

選挙は一票でも勝たなければ負けだし、逆に一票差でも勝てば勝ちだ。マイノリティ票を取り込みつつ、マジョリティ票も逃さないことが絶対条件であるということは、長年選挙やってきた人のほうが良く知っているはずではないか。

可能な限り、政治の腐臭を己の身にまといたくない無党派層には、そんな簡単な誤解も自分たちの中で解決できないでいる政治世界の人たちを「自己完結している人たち」と見ている。

そこに自分はいないんだな。って。

ワタシには政治世界の人々は、屏風に描かれる天上の世界か、
そうでなければ川の向こう側にいる人々に見えているけれどもね。

そもそものボトムアップの足切りライン、彼らいわくの「市民」とやらを、実家が太い学者たちだったり、雇われの身の辛さを知っていそうにもない弁護士たちだったり、がっつり活動系の団体代表たちだったり、特定政党と仲良しだということが自明であるジャーナリストたちに設定している時点で

ターゲッティングに失敗しているんじゃないのか?

これも飽きるほど言ってきた言葉だが。


「投票行こうよ」とよく言われるが

我々市井の人間の世界線の向こう側にある政治の世界の人間が、どういうわけか選挙が近くなると「こっちにおいで」「そっちの水は苦いぞ」と囁いてくる。

ワタシはこれが本当に嫌だなと思っていた。

言う側としても聞く側としても。

こんなツイートしたら下記のようなリプライをいただいた(間に挟んだ自分の返信は割愛している)。

こんなこと1

こんなこと2

こんなこと3

こんなこと4

完全に同意すぎてエスパーかと思った。

「存在しない奴から票もらえるとかあり得ない」

その通りだ。なのになぜ議員、予定候補、政党関係者、政治クラスタたちには市井の人々が見えないのだろうか。


バイアスを取り除かないと見えない人々

無党派層は青でも赤でも緑でもない。
政党支持率のグラフに表される灰色でもない。

求められているのは、ただひたすらに無色透明だ。と、政治的関心はあるが投票には行かない層である幾人かお話をさせてもらって感じた。

無党派層は可能な限り政治的に無色透明でありたい。内側に秘めたる思いがどうあれ、少なくとも色のついた群れではありたくない。

当然に当たり前に何かしらの思想(色)を帯びているものだと思っている人たちにとっては彼らは見えない。無党派層のささやきの多くは単独で、常に小さく、あまり目立たない。

だって目立ちたくないんだから。

ぷんぷん匂う政治のうさん臭さにうんざりした無党派層、そして一度も選挙に行ったことのない無党派層の子どもや孫たちは、色を付けられることをことごとく嫌う。鮮烈な白に置き換えてアピールすることですら、彼らにとっては胡散臭い。

なぜなら一度そのペンキの色が身に付いたら消えないし周りが消させてくれないから。

ちょっとその手の話を聞きに行こうとすると、やり手の選挙クラスタがわーっと寄ってきてはウチに来いよと囲い込んでロックしようとする。意外かもしれないが、何度か話を伺った維新の市議でも国会議員でもそういう囲い込みはしないんだよね。それが若者にとってはイイのかなと思うこともある。

囲まれることに馴染めば居心地はいいだろう。コンフォートゾーンから出たくない政治クラスタは多いし。

だがそれは「わたしらしさ」を常にある一定程度抑圧する。
群れの論理が個人の論理よりも優位になる。

囲い込んでやろうとする動きは特に自分らしさに飢えている人たちにとってはマイナスに働く。

今や労組の組織率にかつてほどの勢いがない。2020年は新型コロナの影響でやや上昇している(nippon.com該当記事はこちら)といわれるが、今後の人口減を考えれば組織票の衰退は免れないことは自明だ。

流動性の高い層である無党派層に苦手意識を抱いている場合ではないのだ。


過去から今への指摘

2004ともう17年も前の随分古い論文で現在の状況に適さない部分もあるが、今に通じる示唆的で有意義な内容を含んでいると思われる記事が興味深いのでここに置いておく。

時事世論調査に見る政党支持率の推移(1989-2004)

”政党が基本的に選挙・議会を通じて政権を掌握する存在であるが故に、政党の再編成は政治家レベルで先行する。しかし、新しい政党システムが安定するか否かは、エリートレベルで成立した政党システムが有権者の心理に定着するかにかかっている。”

バラモン左翼たちよ、聞いているか?
商人右翼に負けたくなければ方法論を変えなくてはならないと、もう17年も前に言われてるぞ。

君たちは間違いなく維新を商業右翼に分類するだろう。ワタシもそう考えている。ならば余計に文中のこの言葉には危機感を持たねばなるまい。

”政治家レベルで新しく編成あるいは再編成された政党システムが、有権者の心理に定着するまでには10年単位の時間を必要とする(Converse 1969)”

ヤバいんでないかい?ワタシの住む大阪では既に既得権益層に入ってしまっている維新がやたらと安定した支持を稼いでいる。その理由がなぜなのかを多くの野党支持者は「大阪府民がバカだから」と断じる。でも本当にそれでいいのだろうか。

ましてや野党同士で政争をやってる場合なんだろうか

既に政治世界の仁義なんてものは古臭い骨董品なのだよ。
現実の有権者のライフスタイル、価値観、行動に即していない。
各政党の関係者やそれらを支持する方々は、いい加減にお気づきになられてはいかがか。

あなた方のやり方は変える必要がある。と。こうもはっきり過去に指摘されているのだから。

自身は労働者や弱者に寄り添っている「つもり」政党。れいわ新選組について

この記事が「りっけん叩きだ」と言いたそうな人のアイコンを幾人か思い浮かべる。毎度毎度誤誘導でおなじみのこたつぬこ大先生なんかは、きっと苦々しく思っていることだろう。

だが、そんなりっけんと一心同体の方々は安心するといい。いまいち、れいわの票が伸びないのにもちゃんと理由があるとワタシは考えている。こちらはターゲッティングのズレというより単純に理論構造の甘さに原因があるので批判も具体的にならざるを得ない。

れいわの戦略は基本的には社会に不満を抱える人の気持ちを煽るやり方で、現在れいわは「れいわニューディール」という政策を発表している。

※余談だが、れいわ新選組チーム福島のみなさまへ。サイトトップが出て来るまでの時間が長すぎます。これでは離脱率が上がり中身を見てもらえないので早急の改善を。離脱率については検索を。お応えできるとは限らないが改善のご相談はいつでもどうぞ。

ニューディール政策知らん人もおるんちゃうん?とも思うが、それ自体がちょっと騙し要素あるなと自分は思っている。何故ならオリジナルのニューディール政策というのはSDGsに真っ向反対するような政策だったし、その効果のほどを含めて論争が絶えないからだ。まさか公共バラマキのダム政策知らなくて使ってないよね?

れいわがいまいち票を伸ばせないのは、言ってみれば有権者の高学歴化にあるものとワタシは考える。

実際に、山本太郎の街宣において、問題を指摘するのは多くがサラリーマンであり、この国の経済の動きに多少なりとも関心のある層が多い。

彼らの政策の問題点の、最も深刻な問題は、海外との貿易や為替変動や格付けを完全に度外視した【カネを刷って配れ】だ。

鎖国ならうまくいったんだろうね。あるいは、有権者が無学なら。

でもな。カネの「入り」の政策それ一本で、「出」の政策は一体いくつあるんだろうか。それらの財政出動計画を支える財源がこれ1本だけというのは何とも心もとない。

山本太郎が一生懸命全国行脚で広めようとしているコロナ政策と財源について公式サイトに見られる財源への明言はただこれ1つである。

国が「通貨発行権」を使い、徹底した政府支出を行う。
「大胆な給付と徴収の免除」を大々的にやることが、
政治の使命であると考えます。

さすがにこれでは労働者層の大半を巻き込むことはできないだろう。それくらいのリテラシーを持っている有権者はまだまだ多い。大学全入時代の有権者はそれでは納得しない。我々が耳に甘く財布に厳しい政策に苦しめられてきたこの30年を山本太郎が知らないはずはない。なにせリアルタイムに見つめてきた世代なのだから。

興味深いことにれいわ政策における財源の不確実性については、なんとあの東京財団様が大々的にフルボッコしてくれている。

アーミテージナイレポートや軍産複合体への言及もいいけれど、そろそろ日本国内に目を向けてもいいんじゃないのかww


結論:原因がわからないのに無駄打ちしても弾ギレ起こしすだけだろうに


「いつかは必ず選挙が来る」

これだけは揺るぎなく避け得ない事実だった。
それがいつ来るかわからないのだとして、各党や各党の支持者たちは一体今まで何をしていたのだろう。

動かない、言いっぱなしの、ベッタベタに色のついた市民たちの、自分の耳に優しい言葉を真に受けているうちは無党派層はわざわざ投票所に足を運ぶことはあるまい。

だって我々の声は聴かれないのだから

投票行く気持ちをこれ以上萎えさせないでくれ

これが本音である。ワタシの。そしてワタシが話を伺ってきた無党派層の。



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