夏-vol.3 福田花
サンバレー
逃げるようにサンバレーへ
風は縫うように近づいてくる
氷は黒い池にぽしゃりと落ちて
私も足を滑らせる
心だけ はやらないように
ゆっくりと腰を下ろして
夏でもここは私を冷やす小さな山
花の喫茶日記
宇都宮市 「サンバレー」
東武宇都宮駅の東口を出て、東武馬車道通り(通称一番通り)を駅を背に步く。1つ目の路地を右に曲がると、雰囲気が一変して朝でも昼でも毎度なんとも言えない緊張感が私にやってくる。入ってすぐの居酒屋がある角を左に曲がるとサンバレーにたどり着く。そうして私はホッと肩の力を落とすのだ。店先には緑色の看板。オレンジ色の洋風な瓦の屋根。扉は鏡のようなテカった銀とも何とも言えない色で中が見えにくく、目線のあたりに白色で「純喫茶SUNVALLEY」と書かれている。「営業中」と書かかれた札で今日もサンバレーのお母さんに会えるとわかる。
扉をひいて「こんにちは。」とお店に入る。椅子に座ってテレビを見ていたお母さんがマスク越しにニコニコしながら「こんにちは、いらっしゃいませ。」と返してくれた。
店内にはカウンターに7席分の丸い椅子、テーブル席は二人掛けと四人掛けが1つずつ。お母さんが座っていた席へ着く。どの椅子にも同じ白地に赤い小花が描かれたカバーがかけられている。テーブル席の椅子は背もたれのついた赤色のもの。テーブルや椅子と比べると少し新しそうな水玉の四角いクッションが2つ赤色の椅子に置かれている。その1つを「背中に入れると楽だから。」とお母さんが渡してくれた。おしぼりとお水、灰皿がテーブルに運ばれる。「アイスとホットどちらにしますか。」と案内してくれたので「アイスコーヒーをください。」と答えた。汗ばんだ手をおしぼりで拭くと、少し絞りがゆるい気がして、お母さんの手の大きさや力加減のことを考えた。水をがぶりと一口飲む。
床は緑色の布のようなものが敷かれている。壁はざらざらしていて天井も同じ素材。天井と壁はなめらかにカーブを描いて繋がっている。元は白色だったという壁や天井はいい具合に空気やタバコの色が付いて、オレンジ色っぽい明かりがそれを優しく照らす。壁には椅子の場所にならって茶色の革のクッションのようなものが頭の位置についていた。どこかで、そういったものは整髪料などを付けた髪のセットを崩さないためのものというのを聞いたことがあるけれど、それなのかな。近未来のような懐かしいような、私の知識がないせいでなんとも説明がつかないが、今の時代には作れないだろうな~という印象の店内。こぢんまりとしながらも窮屈感は全くなく、お母さんの可愛らしい雰囲気と相まって優しい空間が広がっている。
手に持つあたりがくびれた透明なグラスにブロックの氷が入ったアイスコーヒーがやってきた。お茶菓子に、とおせんべいも1つ。初めてアイスコーヒーを頼んだ。「暑くなってきましたね。」と声をかけると水が減ったグラスに「お水どうぞ。」と冷蔵庫から冷えた水をとり出し、注いでくれた。それから「クーラーつけようか。」とも。あのクーラー動くんだ。入口の扉上には茶色と黒のいかにも古そうでえらく大きな三菱のクーラーがある。毎度気になってはいたが、動いてるところは見たことがなかった。お母さんは軽々と椅子にのぼり、そのスイッチを入れてくれた。ワクワクする光景。一気に涼やかな風が吹いた。そのクーラーは40年ものらしく、バリバリ現役。弱ボタンでも寒くなるほど店内は冷えた。アイスコーヒーとゆるいおしぼり、40年選手のクーラーが蒸し暑さから私を救ってくれた。
サンバレーは今年2021年の6月4日で54周年を迎えたらしい。お母さんの一代で54年。27歳で始めたお店とのことなのでお母さんの年齢も想像してしまったが、病気一つせず今日までやってきたという。「病気も全然しないし、入院もしたことないの。子供をひとり生んだ時に4日だけ。それだけ。」と、元気で何よりだ。足腰も悪いところなく、家からお店間を毎日歩いている。定休日はなくお母さんの用事によって休みにしたり。そのスタンスは開店当時から変えていないそうでどれだけお母さんが健康を維持してきたのかと尊敬する。
去年の秋ごろ、近くの映画館ヒカリ座で映画を見るために街中へ来て、母と2人で初めてサンバレーに来た。それから何度もお世話になっているが1回入れなかっただけで、お店はいつも開いていた。一方で、日記を書いたこの日に一緒に行った友人は初めて来たときは閉まっていて、2回目は私のその1回だけ行けなかったという日に一緒に行っていたのでまた入れず(その日はなぜかお店が開いているのにお母さんが不在だった)、三度目の正直でやっと入ることができた。気に入ってくれたようで嬉しかった。ここには母と、親友と、友人と、付き合う前の恋人と、いろんな人と来ている。もちろん一人でも。ヒカリ座で映画を見る前に、久しぶりに友人と会う場所として、勉強の息抜きに、お母さんに会いに、いろんな理由で来ている。誰と行っても、一人で行っても、どんな理由でも穏やかな気持ちで過ごすことができる。何度行ってもあたたかく、私は大変救われている。この場所は現実から少し離れられる。街のことや、人のこと、SNSや自分の勉強、仕事のこと、頭の中のモヤっとすることも忘れてコーヒーを飲む。お母さんと世間話を少しして、いつもは変えてしまうようなテレビ番組を少し大きな音量でお母さんと一緒になって見る。
サンバレーのメニューは一杯500円のコーヒーだけである。そのコーヒーとお母さんとお店の雰囲気に何度も通いたくなる理由がめいっぱい詰まっている。次はいつ行けるかなと店を出るたびに思う。次は久しぶりに一人で行こうかな、お茶菓子のおせんべいは何が出るかな、お母さんとどんな話をできるかな、と考えてしまいそうになるけれどなるべく気楽に気が向いたときにふらっと寄れる場所としてサンバレーがあると嬉しい。心のゆとりが欲しくなったとき、私はまたお母さんに会いに行くのだと思う。
サンバレー
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