時間-福田花

ー新年のご挨拶
新年明けましておめでとうございます。
更新頻度をあげようと意気込んだ2023年でしたが不発に終わりました。
今年は大きなことは言わず、不言実行系で何を志していたか分からないまま達成していこうと思います。
今年も細々続けていきます。
どうぞよろしくお願いします。

今回は時間のお話です。
2023年は瞬く間に終わったように感じます。
だいぶ大きく変わった一年だったはずですが、また「あっという間の一年」を過ごしてしまいました。


歳を追うごとに一年が短く感じるというのは大体の人が感じ、大体の人が言っていることですが、本当にそうなんです。
今回ばかりは多数決にも賛同です。
年々、1年は間違いなく短くなっています。

誰かが、「3歳における1年は人生の1/3だけど、26歳における1年は1/26だから速く感じるもんなんだ。」というようなことを言っていました。私はその時なるほど!と大きく頷きその通りだ!と思いました。
が、なんとなく悔しさが残っています。

そういうことがあるにせよ、絶対に速くなっていると思います。
世界中の時間のスピード(時間のスピード?)が一斉に速まった時、誰が「これは速まってます。」と気がつけるのでしょうか。

全部一緒に速まったら、全部一緒に速まっているので、元のペースが消失し、比較対象がなくなるので速まっているとは言えません。
体だけがなんとなく違和感を残し、決められた時間のスピード(時間のスピード?)で過ごしていくのです。
可能性としてはゼロではないかと思うのですが、賢い方、どうですか。

短い=速いとしていますが、ここもちょっと違和感です。しかし長くなりそうなので考えるのはまた今度にします。

時間が速まっているのには情報の収集量の増加にも原因があるように思います。
現代人の1日の情報の収集量は平安時代の人間が一生をかけて収集する量と変わらないそうです。(ソースは忘れました…)
平安時代の人はどんだけ情報なかったんだよ、というよりも今の人間、情報過多にも程があるよと思いたいところです。
それだけ情報に溢れた世界で、受動的であっても不必要な情報が入ってきてしまう仕組みになっているのだから脳みそだって疲れてしまいますよ。
人間は大して進化していないなと思っていますが、ノイズの取捨選択能力は格段に上がっているのだと思います。

どれをノイズとするかは人それぞれなので、同じ情報を摂取していても関心を寄せたり記憶に残るものは変わってきます。

脱線しましたが、この情報過多も時間を速めている気がしてなりません。

もっとのんびり草木を眺めて色や形の違いに一喜一憂して不思議に思っていたいのに、あまりにも速いスピードで過ぎていく社会にしがみつかなければ現世に立っていられないように思います。

ここまでかなり速いスピードで文字を書いてきました。もっとのんびり書けばいいのに頭の中は猛スピードで進んでいました。

今年は長い一年にしたいです。ゆったりのんびり過ごして穏やかに心安らかに暮らしたいです。

自分のペースを掴んで離さず、人のペースをちょろっと見ながら流されることなく自分の時間で進みたいと思います。
これ以上、時間のスピード(時間のスピード?)を速まらせるわけにはいかないのです。




最後に、私はいかなる理由があろうと戦争に反対です。私ができることは限られてはいますが、反戦を訴え続けていきます。

また、石川県をはじめ、大きな地震の被害に遭われた方、物に対してできる限りの支援をしていきます。こちらも微々たるものになってしまい無念ではありますが私が現在できることをしていきます。
いまだ余震が続き、不安な状態なところに対し、復興という言葉は早いかなと思います。まずは心と体を第一に。ちっぽけな言葉でしか表せないことが悔しいです。とにかく思って、祈っています。これ以上の被害が出ないこと、心安らぐ時が1秒でも早く訪れることを心より祈ります。



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