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神戸まちあるき ~苺摘みの場所まで~
その時突として一つの電報が余の手に落ちた。それは日本新聞社長の陸羯南氏から発したもので、子規居士が病気で神戸病院に入院しているから余に介抱に行けという意味のものであった。
(中略)
病床の一番の慰めは食物であった。碧梧桐君と余とが毎朝代り合って山手の苺畑に苺を摘みに行ってそれを病床に齎すことなども欠くべからざる日課の一つであった。
記:いけだ
先日の碧梧桐フォーラムで兵庫県に訪れた機に、神戸病院で入院している子規のために、看病に来た虚子と碧梧桐が苺を摘みに行くエピソードの場所を尋ねてみました。
ピンポイントの場所を探すのではなく、神戸病院の跡から苺摘みの場所の距離感を知るために歩いてみようという試みです。ぶらりまち歩きです。
こちらの論文を参考にしました。
寺島俊雄「子規と神戸病院」
神戸病院
上記論文によると、西本願寺別院(通称モダン寺)の近くに神戸病院があったようです。花隈駅のそばですね。
モダン寺の愛称のとおり、お寺とは思えないような大きい近代建築のつくり。聖母マリア様がいそうなところに観音様がいらっしゃいました。
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さてこちらを11時10分にスタート。
虚子は山の手のほうに苺を積みに行くと言っているので、こんもり山が見える北のほうを目指して歩きます。
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歩いてすぐ、大きな病院がありました。
論文でも、神戸病院は西本願寺別院(通称モダン寺)の近くと言っています。
病院の跡地に病院が建つのもあり得ない話ではないので、もしかしてここが神戸病院だったのでしょうか。
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爪先上がりの道
またてくてくと歩いていきます。遠くに仏像……お坊さんの像が。
近付くと、特徴的な字体の標石が建っています。日蓮宗のお寺でした。ではこのお坊さんの像は日蓮上人でしょうか。
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さきほどのお寺を通り過ぎたすぐ、小さな神社がありました。
街の中にひっそりたたずむ神社っていいですよね~。どれだけ街の姿が変わろうともそこに在り続けたのだろう……と思いを馳せてしまいます。
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ずっとゆるやかな上り坂です。論文にあった「爪先上がり」です。歩きでは苦にならない程度ですが、自転車では辛そうです。神戸の方は自転車に乗るのも大変なのではないでしょうか、馴れなのでしょうか。(筆者はド平野に住んでいるため、余計に気になるのでした)
流石神戸だからなのか、私の目に神戸フィルターがかかっているからなのか、小さい飲食店をたくさん見かけます。それのどれもが小洒落ていて、時間があればどこかひとつのお店に入って、紅茶を頼んでしまうところでした。
開店前の定食屋さんに行列ができています。さっきモーニングで地元では見たことないような分厚いトーストと、これまた分厚い卵サンドを食べておなかいっぱいになっていたので我慢しましたが、なんだか気になるお店でした。
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諏訪山公園
諏訪山公園に到着です。
論文では「たぶん神戸病院の山手にある諏訪山だろう。」と記されていたので、ここを一旦の目的地としたのでした。グラウンドがあり、野球の練習が行われています。なんだか賑やかです。
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すると、やまもとさんから声がかけられました。「諏訪山公園はもうちょっと向こうにあるそうです。」どうやら私は勘違いしていて、諏訪山児童公園に着いてしまったようでした。諏訪山公園の方に向かいます。
諏訪神社の鳥居を過ぎてすぐ、諏訪山公園の登山口に到着しました。
登山口……そうです、小山一帯が整備され、軽いハイキング感覚で楽しむタイプの公園だったのです。
案内マップの説明によると、先ほどの諏訪神社を中心として温泉や動物園があった、ファミリー向け行楽地だったようです。動物園の開園は昭和3年で、温泉は明治5年頃に発見されたとのこと。子規の神戸病院の入院は明治28年なので、行楽地とまではいかずとも、ちょっとした温泉宿があるような雰囲気でしょうか。
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登山をする気持ちで来ていなかったため、登らずに今回のぶらり旅は終了です。
時間は11時30分。スタートが11時10分で、だいぶ寄り道したので、半分にしても10分。そして碧梧桐は健脚で足が速いので、碧梧桐の足だったら5分くらいで着いたのでは?などと考えています。
Googleマップによると、大体1kmちょっとくらいの距離みたいでした。
検索してみた
今、「諏訪山 苺」で検索してみたら、レファレンス共同データベースで、神戸の諏訪山で苺栽培が行われたという裏付けとなる資料はないか、という質問を見つけました。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000115038
外国人さんが母国から持ってきた苺を栽培していたものを分けてもらっていたんでしょうか。それとも、外国人専用の苺ということは、栽培していたのは日本人?どちらにしても、毎朝50個くらい苺を持っていかれるから、栽培していた人も、まさか病人が食べてるとは思わなかったでしょう……。
最初に挙げた「子規居士と余」では虚子と碧梧桐でかわるがわる摘みに行ったとありますが、『子規について 子規五十年忌雑記』によると2人で摘みに行ったこともあったようですね。
子規と虚子と碧梧桐の、苺をとおしたあたたかい思い出の地をあるいてみた記録でした。
良い天気で、楽しかったです。(い)
明治廿八年の五月の末から余は神戸病院に入院して居った。この時虚子が来てくれてその後碧梧桐も来てくれて看護の手は充分に届いたのであるが、余は非常な衰弱で一杯の牛乳も一杯のソップも飲む事が出来なんだ。そこで医者の許しを得て、少しばかりのいちごを食う事を許されて、毎朝こればかりは闕かした事がなかった。それも町に売っておるいちごは古くていかぬというので、虚子と碧梧桐が毎朝一日がわりにいちご畑へ行て取て来てくれるのであった。余は病牀でそれを待ちながら二人が爪上りのいちご畑でいちごを摘んでいる光景などを頻りに目前に描いていた。やがて一籠のいちごは余の病牀に置かれるのであった。このいちごの事がいつまでも忘れられぬので余は東京の寓居に帰って来て後、庭の垣根に西洋いちごを植えて楽んでいた。
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