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牧場の牛は何時間で草を食べつくすか?

小学6年生の冬休みが迫ってきていました。

少年は完全に「受験勉強」に興味をなくし、塾での勉強は苦痛以外の何ものでもありません。それでも「契約」によって、どうにか苦痛の日々を乗り越えています。

学校の勉強は遊びみたいなものでした。というか、小学校に通っている時間は「休憩時間みたいなもの」でした。学校で習う内容なんて、とっくの昔に塾で終わらせていたからです。

相変わらずボンヤリと担任の先生の話を聞き、授業中のほとんどを空想にふけりながら過ごしました。余った時間は、クラスのみんなにわからないところを教えて回りました。

小学校の担任の先生は「勉強とは、自分だけでするものではない。人に教えることによって、自分の理解度もより深まるのだ」と口ぐせのように言います。実は、この言葉は真理を突いていました。塾での勉強などよりも、この言葉1つの方がよほど価値があったくらいです。でも、そのことを本当に理解できるようになったのは少年が大人になってからでした。


冬休みに入り、少年の一家は田舎のおばあちゃんの家に泊まりに行きました。毎年、年末年始は親戚一同が集まって、この家で過ごすことに決まっていたからです。

少年は、塾で渡された厚いプリントの束を持参させられていました。入学試験の日が迫っているので、ここでも勉強しなければならないのです。

「もう、いい加減にして欲しい。お正月くらい勉強のことは忘れて、自由に楽しく過ごさせて欲しい」

そう思ったところで無駄なこと。例の母親は、いつもそばで監視しているのですから。

「今すぐ試験を受けさせて欲しい!中学の入学試験を!そうすれば合格してみせるから!」

そんな風にも思いました。

奇しくも少年のその願いは当たっていました。この時点で入試が行われていれば、見事第一志望の学校に合格していたでしょう。その可能性は非常に高かったのです。


もしも、この場に「受験メンター」のような人がいたなら、結果は違っていたかもしれません。中学受験に関するプロフェッショナル。メンタルトレーナー。そういった人がいてくれたなら…

何もそれは受験だけに限りません。たとえば、プロのスポーツ選手や格闘家。競馬場に出走する競走馬などなど。

必ず、試合当日に最高のコンディションになるように体調や精神状態をもってくるのです。

ところが、この母親は素人でした。ズブのド素人。だから、そういった考え方がわからなかったのです。「ひたすら勉強さえさせておけば、それに比例して自然に成績は上がっていく」そんな風に単純に考えていたのでした。これまでの人生を努力と根性で乗り切ってきたからこその考え方でした。


話は変わって、「ニュートン算」に話題を移しましょう。

塾や小学校での少年の資質は理解度を必要とするもの。つまり「算数」や「理科」であり、記憶力に頼る「社会」は苦手科目でした。「国語」はその中間。

苦手と言っても、小学校のテストくらいであれば、小学6年間を通して80点を下回ることはほとんどなく。平均点は85点とかもっと高かったはず。得意の算数・理科であれば、100点を取るのがあたりまえといった状態です。

塾で行われる「全国模擬試験」でも、「トップ10人に1人」とか「100人に1人に」入るレベルでした。

そんな少年でさえ、算数の問題集にある「ニュートン算」だけは解くことができませんでした。簡単に説明すると「牧場の牛は何時間で草を食べつくすか?」という問題です。

これだけ聞くと「な~んだ!簡単じゃん!」と思うかもしれません。ところが、やっかいなことに「牛が牧草を食べるスピード」とは別に「牧草が成長するスピード」も計算に入れなければならないのです。

中学に入ってから習う「連立方程式」を使えば解けるようになっているのですが、あいにく小学生は連立方程式を使うことは許されていません。それは、中学の入学試験においても同じ。

なぜかはわかりません。そういうルールになっているのです。この国には、そういったよくわからないルールが数多く存在しているのです。


※参考資料(Wikipediaより)


このニュートン算が、例の分厚い参考書「自由自在」の中で少年が唯一解けない問題でした。イコール塾で同じクラスの子たちは誰一人として解けない問題でもありました。

受験勉強に興味をなくしかけていた少年にとっても、このことだけは悔しくて、問題を解けないことで涙を流したくらいです。

ところが、ある日、塾に行くと算数の講師がこう言ったのです。

「このクラスには、難易度の高い問題が解けなくて、悔し涙を流した生徒がいる。こんなにもやる気のある子は珍しい!この塾始まって以来である!みんなも見習うように!」

明らかに自分のことを言っているのがわかりました。

「嬉しい!誇らしい!よっし、もっと勉強をがんばるぞ!」と、普通の子供なら思うでしょう。事実、少年にもそのような気持ちも、ある程度はありました。でも、彼の心を支配していたのは全然別の思いでした。

「おかしいな?なぜ、塾の先生がそのことを知っているのだろうか?そんな話は1度もしたことがないはずなのに…」

考えられることは1つだけ。母親が話したに決まっています。その時の会話もありありと目に浮かぶようでした。

母「うちの子が、算数の問題が解けないと言って泣いているんですが。どうしてくれるんですか?」

塾講師「泣いている?どの問題ですか?」

母「確か、ニュートン算とかいう問題で…」

塾講師「ああ~、ニュートン算ですか。アレは難しすぎるので、生徒たちにも捨ててかかるように言っているのです。ニュートン算が1問解けないくらいで受験に落ちたりはしませんからね。どうせ他の塾で学んでる子たちも解けやしませんよ」

母「でも、あの子は悔しくて泣いているんですよ。どうにかしてください」

塾講師「悔しくて泣いている?それは素晴らしい!実にやる気のある子だ!わかりました。今度の授業で懇切丁寧に解説いたしましょう」

おおむねこのような会話が行われたのでしょう。

塾の講師がニュートン算の解き方を説明している間、少年はそのようなコトを考えていました。そうして、同時に大人に対する不信感も抱きました。自分の知らないところで情報が共有されている。そのような不信感です。

「さあ、どうだい?わかったかね?」と講師が少年に目くばせしながら言いました。

少年は静かにうなずきました。その一方で「大人は信用できないな」という不信感の種のようなものが心の大地に撒かれるのを感じていました。

そう!この少年は、周りの大人たちの想像を遥かに超えるくらい賢かったのです。彼は受験戦争に参加しながら、同時に大人たちの言動からその心理を読み取る術を身につけていったのでした。

ただし、この能力自体、すぐに発現するものでも役に立つものでもありませんでした。本格的に役立つのはもっと年月が経過してからのことになります。


そして、ついに受験の日がやって来ます。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。