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命のバトン を 見て

僕は、あらゆるドキュメント番組を
好んで予約録画して
時間が 在る時に 勉強がてら
見ています!
国営放送も民放も 知らなかった事を
知れる そこに自分が出来る事は無いか?
そんな気持ちも ……

命のバトン そんな番組をみた

『命のバトン~移植医療後進国ニッポン~』
日本で進まない移植医療、その実態と背景は

臓器移植法(1997年10月16日施行)がスタートして25年の日本。欧米諸国と比べ、依然として移植医療は進んでいない。関心を持つ人が少ない一方、切実に臓器提供を待ち続ける患者がいる。番組では、近親者の臓器提供を決めた家族や、医療関係者などの声を幅広く取材。移植医療を取り巻く問題を明らかにし、日本での臓器移植を「普通の医療」にするためには何が必要か、考える。

臓器提供を待つ人、大切な家族の臓器提供を決めた人、それぞれの葛藤は

広島市の高校教師・森原大紀さん。学生時代からレスリングに打ち込むなど体力には自信があったが、26歳の時に突然体調を崩す。告げられた病名は、1万人に1人と言われる難病「特発性拡張型心筋症」。生きるために残された道は、心臓移植しかない。体に埋め込んだ「補助人工心臓装置」で命をつなぎながら、移植の順番を待つ長い日々が始まった。

日本で心臓移植を待つ人は年間約900人。それに対して臓器提供者(ドナー)は50人程度。肺や腎臓など他の臓器も含めると、年間約1万5000人がドナーを待つという厳しい現実がある。「臓器移植法」施行から25年が経つ中で、欧米諸国と比べると日本は、移植医療が極端に進んでいない。

亡くなった人からの臓器移植には、ドナーが「心停止=死亡」した場合と「脳死」した場合の2つがあるが、日本では「脳死は臓器提供する場合に限り“人の死”とする」とされている。つまり、「死」の定義が2つあるのだ。これが、残された遺族を苦しめる。

実際に、家族を亡くし、その臓器を提供した人たちがいる。悲しみのなかで、その決断を後押ししたものは、故人の「生前の意思表示」だった。数年前、夫の臓器を提供した米山順子さんは、「“脳死は人の死じゃない”と言われることはやはりある。だったら私が夫を殺したんだと思いますね」と、家族の葛藤と重圧を語り、「“人の死”は医療側が決めてほしい」と願う。
「当事者になるまで、自分も関心はなかった」という森原さんは、心臓移植を待ちながら、自分が生きるため、そして自分と同じように移植を待つ患者のために、移植医療への理解を広める啓発活動を始めた。一方で、森原さんの母・ゆう子さんは、「本人には元気になってほしいけど、ドナーにも家族がいる。そこには悲しみもあるので、すべてバンザイではない」と複雑な心境ものぞかせる。

番組では、患者・医療従事者・ドナー家族などを幅広く取材。日本の移植医療が進んでいないのはなぜか、問題点と課題を探った。そこから見えてきたのは、自らの死に向き合い、「人生の最期」について考えることの大切さ。「命のバトン」をつなぐことのできる社会にするため、私たち一人一人ができることとは。

こんな内容だった
僕に 出来る事は? 運転免許証の裏
見た事ありますか?
僕は知っていたので
更新すると 直ぐに〇をして
その 年月日と 名前を書く
たった コレだけです。

亡くなって 器は もう動かない
魂は、そこには無いのだから
使えるなら 全て 使って貰って結構!
逆に 僕が必要とする場合が来るかも
早い話が リサイクルorリユース
誰かの 役に立つならと

      人によっては簡単な事 では無いはず
        でも、実際問題 日本では深刻な事

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