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エッセイ 「正直」な人【山本伸子「fumbling」ほか感想】

 私は日中、どちらかというとサービス業に従事していて、顧客や関係業社と話をする機会が多い。勤め出して20年近くになる。けれどいまだに対人対応が不得手である。
 接客が苦手、というよりそもそも人との対話が苦手なのだと思う。「裏表」とよく言ったりするけど、私はこれを認識するのが昔から著しく下手だ。
「今度、食事に行きましょう」から「よろしく言っといて」まで全部忘れないように手帳に書いてしまう。他人に話をすると、この中には本気のものと社交辞令のものがあるという。どこで判断しているのだろう。社交的な方はこれが区別できないと予定だらけになると思うかもしれないが、本気にしている分、ダメだと思ったら即座に断ってしまうため、社交辞令自体をあまり言われなくなる。(多分ダメな対応だと思う)

 友好関係を結ぶなら、正直な人がいい。品行方正、というのとはちょっと違って、あんまり自分を繕わない人。そうでないと相手の真意を汲み取るだけで自分のリソースを使い切ってしまうから。

 「正直な人がいい」と簡単に言ってしまったけど、「正直」でいるのはとても難しいことだと思う。今、自分を繕っているな、ということは自分ではなかなか気がつけない。カッコつけたり、「こういうものだ」と無意識に思い込んでいたり、相手に気を使ったり、理由は色々だけどすっかり自分に正直、というのは一種の悟りの境地なのではないか、と思うほど遠い。

「つまずく本屋ホォル」さんからの定期便でちょっと変わった本が来た。山本伸子さんが「ヒロイヨミ社」として制作した「fumbling」という本だ。糸で製本してある。印刷がレトロ印刷さんなので、リソグラフだと思う。紙とインクの取り合わせがとても綺麗である。

 「fumbling」自体は不器用さや手探りな様を表す言葉のようである。

薄い白い雲が水色の空に揺れ、鳥の声が蜂蜜のようにしたたり落ちます。(後略)

山本伸子「fumbling」

 始まりの文章から、詩集なのかなあ、と思って読む。でも、絶対に一筋縄ではいかないと本の手触りが言っている。(どうなるのかはここでは書かないけれど)。

 売っている綺麗な本の文字を追っているとつい忘れてしまうけど、紙の本にはそこに本そのものが存在する、という事実が存在する。たいていの本の中身はそのことに言及していなくて(せいぜい後書きくらい)、だから本文の中で印刷されている紙の色や文字の色のことを言われるとどきりとする。本に印刷された記号を意味のある文字、誰かの語りとして読み取る行為自体に、一種のごっこ遊びのような虚構が含まれているからだと思う。突然紛れ込む正直さにどきりとするのだ。

 本の後ろ側(手に取らないとわからないけど、本当に本の後ろ側)の真ん中の見開きは、何か隠された大事なことのような気がする。このページはとても読みにくい。でも、多分本当のことを言っているんじゃないだろうか。

 詩の技法だよ、と言われたらそれまでだが、この本の文章の一部は著しく乱れたり、ぐるぐると繰り返したり、一見では意味がわからないような箇所が散見する。でも多分、実際何かを作る時の考えって、こんな感じだと思う。こういうページもある。

わたしは本棚の前に座って、お気に入りの詩をひとつずつ読み、ありそうもない独自の詩集を作成します。(中略)正直なところ、今日はなにをしているのかわかりませんが、外はもう暗いです。

山本伸子「fumbling」

 少し笑ってしまうような文章だけど、そんな日は、結構ある。何かを作っている時なら、なおさらそうだ。ほんとんど毎日そんな日ばかり。けれどそれを見つけ出して、その上文章で書けるかとなるととても難しい。

 これは定期便ではないけれど、同じくホォルさんで「世の人」という本を買った。大阪のラッパーである著者の日々を書いたエッセイ集だ。カバーにエッセイの一部が抜き書きしてあり、そこだけで、著者がびっくりするほど正直に書いてしまう人なんだな、と驚いた。

三回目の逮捕の後、もう本当にダメかも知れない、という気持ちと、確実になった刑務所生活を一秒でも短くしたいという気持ちから、ダルクに通所することにした。アルバイトとダルクを両立させていること(社会生活に問題がなく薬物依存を認めその治療にあたっていること)、家族、友人との関係が良好であること(社会的な受け皿があること)が、裁判において有利に働くらしいということをプッシャーの友人に教えてもらったからだった。

マリヲ「世の人」

 薬物や家族関係など自分からは幸いにも縁遠い環境にいる方だけど、それを追い越して、本当にありのままに書いてしまうのだな、と思う。自分だったら例えそう思っていても、そうは書かない。公正しようと思った、と、嘘でも立派なことを書いてしまうと思う。

 自分の利害の関係がないことでも、この人の文章は驚くほど正直だ。

 その人がいつもくれる缶コーヒーは、土井さんには微糖、僕にはレインボーマウンテン、となんでか決まっている。

マリヲ「世の人」

 おそらくは障害を抱えているらしいおじさんについて書いたエッセイの最後の終わりの一文を引用した。多分、本当にそうなんだと思う。「土井さん」には微糖、著者にはレインボーマウンテン。どうしてだかわからない。ちょっと気になる。それだけ。多分裏や含みはないと思う。そう。だからそう。
 思ったことや会話文や描写が一緒に連なっている独特の文章で、このエッセイは必ずしも読みやすいとは言えない。街中で人が喋っている言葉をそのまま書き起こしたような文章をしている。

 何かを書く時、思っていることをそのまま書く、なんてことはまれだ。断片的にでばらばらで、なんだかふわっとしたものだから。だから何を思っているのかグチャグチャと書き起こしたり、並べたり、紐で繋げてぶら下げて、どうにか形にする、みたいなことをしている。
 その過程で、カッコつけたり、理屈をこねたりして、結局自分の本当に思っていたはずのことなんてどこかにいってしまう。

 だから、「ああ、これ本当のことだ」という文章をみつけるとどきりとする。あこがれとともに手帳にメモしてしまう。それでどうするつもりなのかはわからないのだけど。

エッセイ No.065

  埼玉にある本屋さん「つまずく本屋ホォル」さんの「定期便」をとっています。毎月一冊、店の方が選んだ本が小さな紹介文つきで届くしくみです。どんな本が届くのかな、と楽しみにしながら、先月以前に届いた本の感想をこっそり言うエッセイです。
エッセイに登場した本

山本伸子 著「fumbling」 ヒロイヨミ社

山元伸子さんによるリトルプレス「ヒロイヨミ社」の本です。
特殊装丁で、紙と文字の取り合わせの美しい本です。好きな触りごこちの紙です。本を読んだり、読めなかったり、書けたり、書けなかったりすることについての本だと、私は思います。

マリヲ 著「世の人」百万年書房

著者による薬物依存症サポート施設「ダルク」の体験記です。社会的問題を書いたもの、というより、著者の見たこと感じたことが書かれたエッセイだと思います。話の内容が水のように流れて、いつの間にかどこかに行ってしまったり、突然飛躍したりと、本当に誰かと話しているかのような特徴のある文章で、読みにくいと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。リンク先に本文がかなり長く引用されていますので、ご興味のある方はご覧になってみてください。


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