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ショートショート 耳のみの法師【ショートショート100|No.8「終焉」|1,106文字】

 信濃の善光寺に盲目の琵琶法師が住んでいた。平家物語の弾き語りが得意だった。一度、京都でさる高貴なお方のお屋敷によばれたことがあるだとか、そのあまりの秀演ぶりに、屋敷に残るよう強くせがまれたとか、様々な噂があった。

 欲のない男だった。功名心もなかったのだろう。名前すら残っていない。
 ある日、名も知らぬ、大家のお屋敷に呼ばれた。目の見えない男だ。異常がわからなかった。けれど、善光寺の住職がすぐに気づいた。男が、見違えるほどにやせこけていたからだ。こっそりと後をつけた。男が呼ばれていたのは落人の墓だった。未だ救われることのない、滅びたものたちの衆怨。青い鬼火にかこまれた男を見て、住職は生きた心地がしなかった。
 男が寺に戻るやいなや、住職は自分の見たことを洗いざらい男に話して聞かせた。そして二度とそこへ行ってはならぬと申し渡した。しかし、男は言った。
「明日の夜も、平家を語って聞かせるとお約束をいたしました。できれば、ずっと屋敷にいて欲しいとか。」
 住職は悩んだ。しかし、行かせることにした。亡者どもとの約束を違えれば、どのような災いが男にふりかかるとも限らない。
「次は、断りなさい。」
 と静かに言って、すぐに護摩をたいた。硯と筆を小坊主に用意させた。そして男の着物を脱がさせた。自分が神仏に祈る間、寺の他の坊主たちに、男の体に経文を書かせた。もちろん、耳もだ。くまなく、びっしりと。

ーーされども終焉の時、一念の菩提心を発ししによって、往生の素懐を遂げたりとこそ承れ-ー
 夜の墓場に、男の声と、琵琶の音が響く。鬼火がちらちらと揺れている。
「わたくしの平家語りは今夜でこれきりに。」
 男は住職に言われた通りにお別れをいった。屋敷の者たちーー幽霊たちーーは皆、惜しい、惜しいと涙を流した。きっと本当だった。男の周りに集まった鬼火たちは、合戦の場面ではみな興奮してあかあかと燃え、別れの場面では悲しみのあまり消え入りそうになった。炎が燃えたり消えたりするたび、目の見えない男は、肌で、自分の観客の熱を感じ取ることができた。

 つい、熱が入る。
 男は気づかなかった。あまりに夢中で琵琶を弾き語っがために、いつの間にか全身が汗だくになっていることを。流れしたたる汗で、肌に書いた文字はつぶれ、着物でこすれ、もはやただの炭のしみだった。
 最後の節を唸る。弦の振動がこだまする。
「これにて、終演ー。」
 男が言い終わるよりも早く、亡者たちの無数の手が伸びて来た。
 
 朝になった。
 帰らない男を心配した住職が墓を訪れると、そこには血の跡と、二つの耳だけが残っていた。汗を流さなかった耳の周縁だけに、黒々と経文の文字が残っていた。

ショートショート No.270

 「耳なし芳一」は平家の怨霊に、経文が書いていなかった耳だけをとられてしまう琵琶法師のお話です。他の怪談より比較的有名なのは小泉八雲が小説に書いたせいでしょう。
 元の話は口頭で語り継がれたもので、「有名じゃない」耳なし芳一の話がいくつかあります。江戸時代の「曽呂利物語」にある「耳ぎれうん市」は芳一じゃなくて「うん市」が名前ですし、平家の怨霊ではなく、痴情のもつれで尼僧の霊に耳を持っていかれます。

 時代や土地によって、同じ話にいくつかバリエーションができるのは、誰かに話すときに「こうした方が面白い!」という話し手の欲みたいなものが積み重なるせいでしょう。どうせなら、うけたいですものね。
 けれど、何かの加減で「お話の正本」が活字で残ってしまうと、『これが正しいんじゃない?』となってしまって、口承文芸がもっていた、本来のダイナミズムが失われていってしまうなと思うんです。なんというか、現役として死んでしまうというか。

 私は、「耳なし芳一」の話は結構好きです。特に、「芸事のうまさが呪われる原因」なところ。どうせなら、『呪われてもいいから琵琶ずっとひいていたい』という話であるといいのにと思います。「浮気でもいいからあなたとずっといたい」みたいな感じですね。後者ならすぐに怪談になるのに、前者は珍しい。

 というわけで「夢中になって琵琶をひいていたのが致命傷」という風に改変をはかりました。お題の「終焉」の言葉遊びにひっぱられて、「芸人の業」みたいなのはちょっと…届いていませんね。
 また書き直したいお話だな、と思います。修行が足りないね。
 呪われてもいいから、書いていたい、そういう感じ。


NNさんの企画「100のシリーズ」に参加しています。
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(No.0 extra)※小説・エッセイのヒスイさんとの共通課題

※ちょっとやりたいことに準備がいるので、No.5「探偵」を飛ばしています。