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エッセイ ポケットに、旅(#私のコレクション)

 手ぬぐい派である。他になに派があるのかわからないが、自分は生粋の手ぬぐい派なんだろうなと思う。

 スーツの時も、ジャージの時も、家事で手を拭くのも、何もかも手ぬぐいを使う。ハンカチを持っていないのだ。昔はタオルも持っていなかった。
 理由は至って実利的なもので、会社に務めて一番はじめに住んだ集合住宅は日当たりが悪く、晴れた日に一日中ほしてもバスタオルが乾かなかった。天気によってはハンドタオルも乾かない。「乾かない」と嘆いて暮らしていてもつまらないので、全部を手ぬぐいに変えた。パイルがなく、縫い目もない手ぬぐいはどんな天気の日でも機嫌よく乾いてくれる。

 一度慣れてしまえば手ぬぐいは便利な布だ。手をふくのはもちろん、二、三枚持っていけば銭湯などもこれで間に合う。体や頭を拭いてすっかり濡れても、絞ればある程度水が抜ける。旅行に持って行くのもいい。夜に洗面所で洗って干しておけば翌朝にはもう使える。

 今はある程度日当たりのいい場所に住んでいて、バスタオルを持てる身分になった(なんと偉くなったっものよ)が、ハンカチに目移りすることもなく手ぬぐいを使い続けている。どんどん使えて、じゃんじゃん洗えるのが性に合っているのだろう。

 旅先やイベントでたまに手ぬぐいを売っているのを見ることがある。テーマパークの装飾品みたいなもので「こんなのを買ってしまってもな…」という心配をするとよく聞く。幸運成哉。わたしには無用の悩みである。手ぬぐいは生活必需品だ。至って気軽に買える。というわけで、わたしはいろんな手ぬぐいを持っている。

 これは、岩手県で買ったもの。遠野のお面だと、買った時に聞いた気がする。遠くに旅行に行った時は一枚だけお土産に手ぬぐいを買う。使えるものを買うのは嬉しい。しばらく部屋に飾って、今度はハンカチとして持って行って、仕事の合間に取り出してにやにやする。すっかりぼろぼろになっても愛おしくて、家の布としてお付き合いいただく。

 これは、去年岐阜で買った手ぬぐい。長良川鉄道の路線図が模してある。「郡上八幡」と「みなみ子宝温泉」に行った。他にもこんな駅があったんだな、と思うとまた行きたくなってしまう。結構、露骨に路線図なので、ふとした折に外で広げると「何それ?」と聞かれて旅の話ができるのも楽しい。

 これは結構珍しいデザインじゃないだろうか。「たまごサンド柄」。名古屋にある「なごのや」さんの手ぬぐいで、名物の、きゅうりとたまご焼きを挟んだサンドイッチを横から見た柄をデザインしている。たまご焼きがふわふわして、きゅうりがシャキシャキして美味しかった。見るたびにお腹が空いてしまう柄だ。

 どうでもいいが、突貫で撮った写真なので、手ぬぐいに皺が寄っている。手ぬぐい生活で一番面倒なのは、洗って乾かして、いちいちアイロンにかけて畳まないといけない点だと思う。アイロンは別にかけなくてはいいのかもしれないが、かけたほうが断然気持ちがいい。見ての通り、いい加減ではあるけれど。

 手ぬぐいは数年使うとすごく柔らかくなる。その頃にはすっかり色褪せて、よそ行きには適さない見た目になってしまう。しかし、そうなってからの方が使い出がある。柔らかくて、触り心地がいいから。もともとお土産で買ってきたものだ。これ、いつ買ったんだっけ、とふとした瞬間に眺めたりする。いつ、何をしたのか。手ぬぐいの染めみたいにぼんやりしてしまっているが、楽しかったんだな、と丸めてにぎにぎする。思い出は手ぬぐいに似ている。いや、手ぬぐいが思い出に似ているのか。いつも一緒にいて、時折思い出して、古びて擦り切れてもなんだか懐かしい。

 会社に着ていくインナーやらシャツやらの横に、ちょっといい加減にアイロンをかけた手ぬぐいを並べている。毎朝、ひとつづつとって、ポケットに忍ばせる。これで汗も水気も大丈夫。雨も少しくらいなら対応しましょう。毎日の生活に、特別な日の思い出がついてくる。今度はどこに行きましょうか。いつもポケットに旅がある。

エッセイ No.111



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