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ショートショート#11 肺に睡蓮は咲かない

お世話になっております。お返事が遅れまして大変申し訳ありません。

度重ねお問合せ頂いております睡蓮の花ですが、ここ1年は不作が続いております。もともと滅多に咲かない上に最近は更に希少性が増しました。有り体に申しますと、今年に入ってからは、まだ1輪も入荷しておりません。

お客様におかれましては、長年この花をお探しと伺っております。ご落胆も致し方がないことか存じ上げます。

しかし、再三ご説明申し上げておりますように、いくらお値段をご提示いただいても、在庫のないものをお売りすることはできません。

昨今の風潮で、市井にマスクをつけて外出する人が増えました。口元を隠すこの薄い布が、肺に咲く睡蓮の繁殖を妨げていると当商会では推測しております。

ご存知のとおり、泥ではなく、人体の、それも肺に寄生する睡蓮は非常にデリケートな品種です。

一昨年から当商会が苗床の契約をしていた種の保有者についてですが、先月、レントゲン撮影で寄生していた苗の枯死が確認されました。

肺に咲く睡蓮は、宿主の感情を栄養としています。とりわけ、思春期の豊かで鮮烈な感情を好みます。若く、美しい人間が人生の幸福を噛み締めたときに、その栄養を吸って咲くのです。

宿主にしたら、この花は大変に恐ろしいものです。若さと幸福の絶頂期に命を奪うのですから。だからこその美しさ。だからこそのお客様のお求めでしょう。

このままではこの睡蓮が絶滅するかもしれないという、お客様のご心配ももっともかと存じます。当商会でもそれは懸念しております。街の人々の笑顔も若さも青春も、より恐ろしい、目に見えないものによって奪われたのですから。

空想を、現実が凌駕する事態に、当方も激しい憤りを感じております。

しかし、どの様な悲惨な時代にあっても日々に己の小さな喜びを見出してきたのが人類という苗床です。古今の文学作品にお詳しいお客様ならご存知でしょう。青春の煌めきはどの時代においても確かに瞬いているということを。それがある限り、睡蓮の花が絶えることはないかと存じます。

また入荷の見通しが立ちましたらこちらからご連絡申し上げます。苗床の契約をお考えでしたら随時ご連絡下さい。

では、お客様もどうぞお身体ご自愛ください。


泡沫商会 代表 B.V.