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エッセイ 苛烈な人(読書日記 中村きい子「女と刀」ほか)

誰のために何をしたって
人の心も行動も決して
動かせるものではないと思っておくといい
ほとんどの行動は
実を結ばない
まして感謝も見返りもない
そうわかっていて
なおすることが
尊いんだとも思うよ
「違国日記(9)」ヤマシタトモコ

 「違国日記」という漫画をシリーズで読んでいます。最新刊が出たので、やっぱり読む。事故で両親をなくした高校生の主人公と、主人公を引き取った叔母の物語です。叔母は小説家で、主人公の母親の妹で、独身です。共感するところが多く、つい何度もみてしまいます。例えば冒頭に挙げた文。彼女が学校の人間関係に悩む主人公に言ったセリフです。高校生に言うべきじゃないかもしれないけれど、人間関係で悩んでいる年下の女の子がいたら、自分も同じようなことを言ってしまうだろうなあ、と思います。

 このすぐ後に、主人公と、叔母の恋人が話すシーンがあって、『苛烈な人』と恋人が彼女を表現するのを見て、共感していた自分が驚愕します。うそだろ。普通だよ。苛烈じゃないよ。むしろやさしい。やっさやさだよ!

 ……。いや、優しくはないかもしれない。

 自分のことは棚にあげるとして、フィクションでも、現実世界でも、「きつい」と表現されるような女の人を「美しい」と感じてしまいます。はっきり言うと、経験上、こういう人と喧嘩するとめちゃくちゃめんどくさいことになるので、うかつに近付くのは危険です。でも、美しいなあ、と、やっぱり思ってしまいます。

 「同志少女よ、敵を撃て」は第二次世界大戦の独ソ戦において戦った狙撃小隊の少女の話です。女性だけの狙撃部隊が本当に存在したらしいことに驚きましたが、実践兵士となると、相当きつい女性たちが……と謎の変態じみた興味が湧きます。これは、仲間の兵士がなくなったシーン。

「アヤは死んだ。彼女のスコアが伸びることはない。故に優れた狙撃手として記憶されることもなければ、故郷へ帰ることもない。彼女が出会うはずだった人間と出会うことはなく、子を産み、育てることもない。無だ。それが死だ。お前たちは彼女を悼み、彼女の分も戦うのだ。」
「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬

 慰めるのではなく、厳しいことを言う上官…ですが、私も言う通りだと思います。「違国日記」の驚愕がちらつきます。いや、戦場なんですから、そのくらいのことは言いますよ。言うって。

 この本、主人公の少女は、自分の村が襲われ、生き残りとして軍に保護され、『戦いたいか、死にたいか』の選択を迫られて『戦う』の方をとった、という設定があります。村が襲われるシーンの容赦なさもあわせて、彼女の舐めた苦渋に胸が痛みます。この2択を少女に迫った上官の冷徹さも強調されるところです。
 ところが、後に、この境遇が彼女ひとりのものではなかったことが分かります。(『シャルロッタ』は主人公と同じ部隊の少女の名前、『セラフィマ』が主人公の名前です。)

 「シャルロッタは、なぜ狙撃兵になろうと思ったの?」
 セラフィマは初めて訪ねた。今なら、きっと生の言葉が聞けると思った。
 「モスクワが攻撃されたとき、お父さんが死んで…軍隊の病院で泣いているとき、指の治療訓練に来ていたイリーナ教官長に出会ったの。私がモスクワ射撃大会の優勝者だって周りに聞いたら、教官長は訊いたの。『お前は戦いたいか、死にたいか』って。」
 すっと音を出して息を吸った。
 自分だけではなかったのか。セラフィマのなかに、得体の知れない感情が芽生えた。
「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬

 誰かから何か特別なことを言われる、というのは自分の中で特別な思い出になりますが、その投げかけられた言葉が自分にだけではないとわかった時に沸き立つ、失望のような嫉妬のような、よくわからない感情。私にも覚えがあります。「自分は相手にとって特別ではなかったんだな」「どうして特別だなどと勘違いしたんだろう」「この人の方が相手には特別かも」など、複雑な気持ち。引用箇所の出来事は忠誠心の強い兵隊を集めるための、一種の策略として行われたことになっています。そういえば、ゴールデンカムイにも同じようなシーンが何度もあったような。軍隊を描いたフィクションをほとんど読んでこなかったためわかりませんが、結構あるシーンなのでしょうか。
 実際にそういうことがあったかどうかは別として、こうした感情はなんとなく「幼さ」であるような気がします。未熟さというか。ああ、やっぱり、冷徹さに染まろうとしても少女なんだな、と。こうしたことの繰り返しで、本当に冷たい心ができてしまうのかもしれないけれど。

 苛烈な人か…。

 小説の内容はさておいて、軍隊の少女を「幼さね」と思ってしまった自分に嫌気がさしつつ、次の本に手が伸びます。連休予定がなくてひまなのでしょう。「女と刀」明治から昭和にかけて生きた薩摩士族の女性をモデルに書かれた小説です。冒頭、いきなり70歳の主人公が夫に離縁を突きつけます。

 伊原キヲであったわたしが、権領司キヲにもどり、もはや夫でなくなってからの兵衛門殿は、それより半年も生きてはいなかった。
 ーひとふりの刀の重さほども値しない男よ。
 三尺の炉をはさんで、兵衛門殿は、炉のなかにのめりこむようにして、がっくりと首をおとし、ーああ、わしという男をないがしろにして、生きようとしてきた、おまえという女のこれからの世も、あまり楽なものではなかろうーとつぶやいた。
 返されたその言葉は、わたしのこころに響かず、むなしく灰のなかにこぼれおちた。
 だが、かろうじてこのように言えたことが、わたしにみせた兵衞門殿の最後の虚勢であったのかもしれぬ。
「女と刀」中村きい子

 「刀一本の重さもない」って70歳の明治生まれの女性が言って、旦那さんがその半年後に亡くなったって、さらりと言ってますけど、なんでしょう、これ。たまげました。キヲさん、めちゃくちゃきついな。なんだ。なんだこれ。

 その後、物語は主人公の少女時代に戻り、父親が厳しい人だった(そりゃあそうだろうよ)とか、喧嘩でうっかり弟の腕に傷を作ったら父親にばれて弟が叱られて傷口に塩をぬりこめられた(本当にやる人いるのそれ?)だとか、主人公の母親は実は他の縁談があったのに今の父親に夜中に無理矢理連れ去られて嫁に来た(昔話でしかみたことないよ?)んだとか、息もつかせぬ驚愕の展開が続きます。本当に実話がモデルなの? 知らない風俗ばっかりだよ?

 でも、多分本当なのでしょう。すごいな。登場人物もみな薩摩弁を話します。私はこれで、薩摩弁にも敬語があるんだな、ということが分かりました。興味深い。以下は主人公がお父さんにお願いごとをするセリフです。

 ー父さま、ここに四十七歳にもなって、まだいささかの男としての情を示さぬ相手の八人めの子を産もうとしている愚かな女がおり申す。まったく、ものわらいとなる女でございもす。そのような男の子どもを一人産むも八人産むも、おのれのこころを侵されたということには変わりございもさんめ。それゆえ、この女にとってせめてもののぞみは、これからにございもす。それには、どうであろうともこの刀が必要でございもす。父さま、この女はそれまでに不本意な結婚を二度も強いられ、それに従って参りもした。せめてその償いとしてでも。この女の意を汲みいれたもして、その刀を是非ともわたしにーと
「女と刀」中村きい子

 どうでしょうか。ついてこられたでしょうか。
 いろいろはしょりましたが、キヲさんは怒涛の少女時代を送った後、結婚して離婚してまた結婚して47歳で8人目の子供を産みます。そして旦那さんが超嫌いです。あと、不本意な結婚をさせたお父さんにも激おこです。怒りの結果として、お父さんに日本刀をおねだりしています。どうであろうとも必要だそうです。キヲさんのものすごさが薩摩弁でびしばし伝わってきます。この人、本当にすごいな。ちなみにこの後刀をもらい、刀は飾るものではないと、自分の枕元において、旦那さんに嫌がられます。それはそうだろうよ。

 その後も息子に「母さんにかかったら全ての人間が壊される!」って薩摩弁で怒鳴られたり、しかりとばした嫁の自殺さわぎがおきて鬼婆呼ばわりされたり、一向に安息の日々は訪れません。常に薩摩弁で怒鳴り合う波瀾の展開が続きます。

 ちなみに、明治から昭和、ということは太平洋戦争もキヲさんはくぐりぬけているわけですが、単行本本文401ページ中、太平洋戦争は310ページから340ページまでのたったの30ページです。しかも、この項のタイトルは『わたしの「いくさ」ではなかった』。キヲさん!(ファン)。敗戦を知ったときのキヲさんの感想をちょっと聞いてみましょう。

 わたしのあらんかぎりの力を押しとおすということはーそれは、この国のうごかしがたいひとつの権力とわたしのいくさではないとしているこの「こころ」が刺しちがえるところまで、ゆきつくすことであった。されど、そのことで何の咎めもこぬうちに日本はいくさに敗けたのである。
ー無条件降伏という、ざまもない敗けようであった。
「女と刀」中村きい子

 何か日本と刺し違えようとしていますが、キヲさんが何をしようとしていたかは長くなるのではしょりまして、この反応。『ざまもない』って。本当に気が強い。ほれぼれします。絶対にこんな奥さんは嫌だけど。美しいと思います。私。思いますよ!

 この後もキヲさんは一向に丸くなる気配をみせず、自らを薩摩弁で押し通し続け、旦那さんと70歳で離婚し、一人暮らしを始めます。

 わたしが、独立をはじめてより、五年の間は実に文字どおりのやり直しの苦しみであった。日傭、土方と生計を立て直すということでは、おのれの骨をわりわりとけずるような日々が続いた。
「女と刀」中村きい子

 『骨をわりわりとけずる』という表現がいいなあとか思います。ん? 『土方』? 70歳で土方を? ものすごい気力です。もう本文も終わりあたりの描写ですが、ずーっと驚きっぱなしです。あっという間に読み終えました。

 散らばった本たちを眺めます。
 「違国日記」の叔母さん。
 「同志少女よ、敵を撃て」の上官。
 「女と刀」のキヲさん。
 一番苛烈なのは、どうみてもキヲさんでしょう。まさかの実在の人物です。しかもダントツです。TOP OF 苛烈。こんな美しい人に私も…
…なりたくは、ない、かなあ…。

エッセイ 002

でてきた本

「違国日記(9)」ヤマシタトモコ 祥伝社
小説家の叔母と、両親を事故で亡くした高校生の二人暮らしの話です。個人的には、女性の本音に近いところを抉ってくると思う。でもそれは個人の話で、要するに、女の人にもいろんな人がいるんです。

「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬 早川書房
2022年本屋大賞受賞。第11回アガサクリスティー賞受賞。息もつかせぬ怒涛の展開。どことなく、「ゴールデンカムイ」や「幼女戦記」を思い出します。『軍隊を扱った作品をそれしか読んだことがなかった』というのが正確で、ジャンル特有の匂いなのかもしれません。歴史物なのに、読みやすいです。(ちょっと苦手なジャンルです。直に歴史の本を読む方が好き。)

「女と刀」中村きい子 筑摩書房
とにかく全編びっくりのし通しです。紹介文だけ読むと男女差別や不遇と戦った女性の話、みたいに見えますけれど、それを超越するキヲさんの苛烈さを是非味わってみてください。
 巻末に鶴見俊輔さんの解説がついていて、それもこのなにやら得体のしれない話を冷静にずばっと解説していて痺れるので必見です。