見出し画像

最遅本命発表~日本ダービー編~

俺には金が無かった。
周囲から羨ましがられるような車も時計も持っていない。
もちろん、結婚なんて夢のまた夢だ。

いつかは大金を掴んで人生を変えたいと思っていたが、仕事の稼ぎは少ないし、売れば金になるような物も持っていない。
何でもいいから金に替えれるものはないものかと、死んだ祖父母の実家を漁ったが、何も出てきやしない。

もうこうなったら臓器の一つや二つ売るしかない。
そんなことを考えて闇サイトを探してみたが、自分の内臓の値段がいわゆる成功者の年収にも満たないことを知って絶望した。

貧しさで飢えるのは腹だけではない。
貧しさの中にあると、人は本来持つ優しさや思いやりさえ失ってしまうものだ。
俺の精神は日々荒んでいき、気付けば親しかった友人達まで俺の元から離れていった。

ある日、将来に対する絶望と虚しさに包まれながらネットサーフィンをしていると、ふとこんな一文が書かれた広告が目に留まった。

「あなたのことわざ、買い取ります」

ことわざを買い取る?
ことわざって、あの小学生の頃に国語の授業で習う、あのことわざ?

俺にはまるで意味がわからなかったが、とにかく何でもいいから売れるものが欲しかった俺は藁にもすがる思いで記載されていた電話番号に電話をかけた。
すると電話の主よりとあるビルの住所を伝えられ、「そこでお待ちしています」とだけ告げられ電話は切れた。

俺はとにかく話を聞いてみるべく、伝えられた住所に向かった。
見るからに怪しい雑踏を抜けた先にあるビルでは、1階から順に「コートジボワール料理店」「60分1200円ピンサロ」「天性の超能力開眼塾」「スキンヘッド専門理髪店」が営業されていて、最上階の5階に噂の「ことわざ屋」の看板が出ていた。

なんかもう、この時点で帰りたかった。

俺の中にコートジボワールに関する情報はディディエ・ドログバ以外に一つも存在しないし、60分1200円のピンサロで働く嬢の時給は幾らなのか気になりすぎるし、塾に通わないと開眼しない超能力は天性のものではないし、スキンヘッドの客が来客したところでどこの毛を理髪するのかわからない。

こんなビルに入ってる時点で「ことわざ屋」もろくな店じゃないと確信できた。とはいえ背に腹は代えられないのも事実だ。やむをえず俺は終わり過ぎてるラインナップのビルの階段を登り、最上階に辿り着いた。

手動じゃないと開いてくれない自動ドアを抜けると、善性を産道に置き忘れた江原啓之似の男が俺を出迎えてくれた。電話で対応してくれた男と同じ声色をしていた。
かつては占い師をしていたが、近頃の副業ブームに乗って副業として始めたのが、この「ことわざ屋」らしい。

金にならなそうだと思ったら、こんな店すぐに出よう。
そう心に決めて俺は店主に「どれぐらいの金になるのか」と直球で尋ねた。

すると店主は分厚いリストを持ちだした。リストの中には「あ行」「か行」「さ行」…といった具合に50音順にことわざが並べられており、それぞれのことわざの横には「50万円」「60万円」と買取価格が表記されていた。

おいおいおい…。
思わず俺は舌なめずりをしながら、リストの中に書かれている買取価格を眺めた。
この間眺めた裏サイトに載ってた眼球一つよりも、ことわざ一つの方が高く売れるのだから、俺が驚くのも無理はない。

ただし、まだ肝心の部分がわからない。
ことわざを売る、とはつまりどういうことなのか。
俺は怪しげな店主に疑問をそのままぶつけた。すると店主はこう答えた。

「何も難しいことはありませんよ。
買い取らせていただいたことわざは、あなたの運命から消えるだけです。
お売り頂いたことわざに関する記憶はあなたの中に残らず、そしてそのことわざがあなたの運命に実現することもなくなります」

…店主の説明を受けても、まだイマイチ理解できない部分があり、俺は続けてこのように質問を投げかけた。

「じゃあつまり『猿も木から落ちる』ということわざを売ったとしたら。
俺の人生の中で、猿が木から落ちることはなくなる、ってこと?」

店主はやたらと柔らかな微笑みを浮かべながら、頷いた。

心の中で俺は「チョロすぎる…!」と呟いた。
猿が木から落ちなくなっても困ることはないし、むしろ猿の暮らしに平穏が訪れるだけだ。猿は木から落ちない方がいい。

そんなことわざを一つ売るだけで数十万?
捨てる神あれば拾う神ありとはこのことだろ。気付けばさっきまで怪しげに見えていた江原啓之似の店主の背後に北欧のオーロラのような後光が射していた。

「猿も木から落ちる、売らせてください!」

もはや迷う必要一切ナシ。
即決で売買は決まり、店主は両手で俺の頭を抑えながら何やら念仏のようなものを唱え始めた。
そして、怪しい念仏が唱え終わる頃にはもう、スッカリ俺は何のことわざを売ったのかさえ覚えていなかった。
代わりに、俺の目の前には50万円の札束が置かれていた。

札束を目にした俺の理性は2秒で吹き飛んだ。
そして5秒と経つ前に俺は口にしていた。

「さ行のことわざ、全部売ります!」

どんなことわざを売ったのかは覚えていないが、さ行に載っていたことわざ一つで50万円を手にしたことで、その場の勢いで俺はさ行のことわざを一つ残らず売り払った。

さ行のことわざと引き換えに俺に支払われた金はもはや数千万円を超えており、思わず俺はその場で叫んだ。

「ことわざ屋、最高っ!!」

かくして、一文無しの生活は一変し、身の丈に合わない俺の大富豪ライフが始まった。

高級車、時計、宝石、一瞬でも「欲しい」と思ったものは即購入した。
マッチングアプリで出会った女にブランド物を貢げば、すぐに結婚もできた。新築の一軒家を買い、できたばかりの妻との共同生活も始まった。

ここから俺のめくるめく幸せな日々が始まっていく…はずだった。

あの日、ことわざ屋で大量のことわざを売り払ってから、静かに、されど確実に俺の運命は狂い始めていたのだ。

まず、あれ以降とにかく何をしても失敗が続いた。
一度や二度ならまだしも、何度も何度も同じ失敗ばかりを繰り返すのだ。

この時の俺は知らなかった。
「失敗は成功のもと」ということわざを売らなければ、こんなことにはならなかったということを。

更に、大金を手にしたことで2人の経営者と手を組み3人で共同ビジネスをすることになったはいいが、3人でどれだけ話し合おうとも新しい事業が軌道に乗ることはなかった。

この時の俺は知らなかった。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざを売らなければ、こんなことにはならなかったということを。

せっかくのマイホームにも、居心地の良さを感じることはできなかった。
どれだけ時間を重ねても、新居を我が家とは思えないのだ。

この時の俺は知らなかった。
「住めば都」ということわざを売らなければ、こんなことにはならなかったということを。

更に、妻との結婚生活も上手くはいかない。
妻が他の男と連絡を取っていることや、自分の悪口をSNSに書いている事実など、知りたくもないことを知ってしまう機会が続いたからだ。

この時の俺は知らなかった。
「知らぬが仏」ということわざを売らなければ、こんなことにはならなかったということを。

とにかく、ことわざ屋に足を運んだあの日から俺の人生がおかしい。
せっかく掴んだ大金もみるみる減っていき、ことわざ屋に足を運ぶ前の自分に戻りたいと願う日も増え始めていた。

こんな時にギャンブルというのもなんだが、久しぶりにストレス発散で競馬でもしようと思い俺は競馬新聞を手に取った。

【2024年5月26日 日本ダービー】

そうだ、今週は競馬の祭典ダービーウィーク。
全ての競走馬がこのレースで優勝することを夢見てデビューする、正に年間最高峰のレースだ。

俺は出馬表を見渡した。

そしてある一頭の馬名と、騎手の名を見た時に鋭い頭痛がした。

無神論者の俺が言うのもおかしな話だが、

“勝つのはこの馬だ”

とすぐさま確信することができたのだ。

ことわざ屋とかいうおかしな店に出会い、労せずして大金を手にしたあの日から狂い始めた俺の人生。
人生からことわざを消し去ることで、まさかこんな風に人生が狂い始めるとは思ってもいなかった。
このレースを的中して、そこから地道に人生をやり直そう、俺はそう決意した。

だが、どうしても嫌な予感が拭えなかった。
今のままこのレースで勝負しても、絶対に馬券が的中しない予感があったのだ。

来たる、日本ダービー。
俺の本命馬が勝利するには、あの日失ってしまった何らかのことわざを取り戻さないといけない、俺の直感が強くそう告げた。

この予感を消し去る為に、俺はもう一度ことわざ屋のドアをくぐった。
そして店主に頭を下げ、俺は懇願した。

「あの日売ったことわざを、返して欲しい」

だが、店主は俺の依頼にある条件を提示した。
ことわざを買い戻すには、ことわざの売却によって手にしたものを手放せと、店主は俺にそう告げた。

もはや、迷っている余裕は俺には無かった。

まず初めに、大金を得たあの日に購入した腕時計を店主に納めた。
すると店主は、俺に一つことわざを返してくれた。

「猿も木から落ちる」

…違う、俺が必要としているのはこのことわざじゃない。

次に俺は、あの日から愛車としていた高級車を手放した。
するとまた、店主は俺に一つことわざを返してくれた。

「袖振り合うも多生の縁」

…これも違う、俺が必要としてるのはこんなことわざじゃない。

そこから俺は、自分の持てる全ての所有権を店主に引き渡した。
宝石も、アクセサリーも、家の権利書も、土地の所有権も、全てだ。
一つ、また一つとあの日から手にしたものを失う度に、店主は俺にことわざを返し続けた。

「善は急げ」

「青天の霹靂」

「白羽の矢が立つ」

…違う、違う、違う!
どれも大切なことわざなのだろうが、俺が探し求めることわざとは違う。
だけど思い出せない。あの日俺が失ってしまい、週末の日本ダービーで勝つために必要なことわざが何なのかが、どうしても思い出せない。

もはや持てる全てを失い、俺は店主にもう返せるものは無いと伝えた。
が、店主は更にこう告げた。まだあと一つだけ、手放せるものが残っていると。そしてそれは、あの日を境に結ばれた婚約者であると。

薄々はわかっていた。
あの日掴んだ大金で出逢った妻との間に、本物の愛など存在していなかったことは。
俺は全てを受け入れ、その場で離婚届に署名し、店主に提出した。
すると店主は言った。これが、俺に返せる最後のことわざだと。

「●●●●●●」

店主より返還された、最後のことわざを見て俺は震えた。
そう、俺が必要としていたたった一つのことわざはこれだったんだ。

東京競馬場にて行われる日本ダービーに出走する馬の中に、どうしてもこのことわざ無しでは勝利を掴めない馬がいる。いや、正確にはこのことわざを必要としている騎手がいる。

2021年5月30日、日本ダービー。
1番人気を背負いながら、彼は惜しくも「2着」に涙を飲んだ。

2023年5月28日、日本ダービー。
再び1番人気を背負うも、彼はまたも「2着」に涙を飲んだ。

もう、3度目の2着はいらない。

店主から受け取ったこのことわざを見て、俺は彼の勝利を確信した。


「三度目の正直」


来たる、2024年5月26日。
東京競馬場にて行われる、日本ダービー。

このことわざを胸に、大一番に臨む「彼」が騎乗するこの馬が俺の本命馬だ。

本命は、アーバンシック
若き鞍上、横山武史と共にいざ三度目の正直を。

彼の勝利を見届け、俺もこの人生をもう一度一からやり直そう。
今回の一件を通して、安易な方法で手にした大金なんかじゃ人生は豊かにならないことを俺は学んだ。

店を出ようとする俺を、店主が呼び止めた。
もう売りたいことわざはないのかと、そう聞いてきたのだ。

もう、ことわざを売って人生が狂うのはこりごりだ。
俺はそのまま店を出ようとしたが、ギリギリのところで踏みとどまり、店主に言った。

「すみません、最後に一つだけ売りたいことわざがあります」

店主は相変わらず、どんなことわざでも買い取ってくれるらしい。
俺はそこで、本当に最後に一つだけことわざを売って店を出た。

ああ、このことわざだけは俺にはもう不要だ。
威勢の良い、店主の挨拶を耳にしながら、俺はもう二度と立ち寄ることのない店を後にした。

「毎度あり~!

“二度あることは三度ある”

確かにこちらのことわざ、買い取らせて頂きました~!」

~~完~~

●あとがき

「最遅本命発表~日本ダービー編~」をお読み頂き、ありがとうございました!
ことわざを買い取ってくれる、ことわざ屋さん。皆様なら、どんなことわざをお売りになるでしょう。個人的には「口は災いの元」を売って失言とは縁のない人生を歩みたいものです。
毎度のことながら、noteを投稿する度にあたたかなリアクションをくださる皆様のおかげで最遅シリーズを続けることができています!
少々これまでとは異なるテイストでお送りしました今回の最遅本命発表、少しでもお楽しみいただけた方はどうぞこの先に記します「知名度は低いけど、これを知ってればスピッツ好きの女の子からモテること間違いない曲ベスト3」をご覧になってくださいませ。
では改めて、今回もここまでお読み頂き誠に感謝致します。

ここから先は

21字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?