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13blog_sasayama
「一九八四年」リアルすぎるほどに恐ろしい、本当にあったような絶望的な小説
「戦争は平和なり」
「自由は隷従なり」
「無知は力なり」 一九八四年 ジョージ・オーウェル作より引用
この作品のことを語る上で欠かせないのが、この三つのスローガン。「党」とだけ呼ばれている政党がイギリス全体を支配しており、このスローガンはことあるごとにでてくる。 ちなみに、党の名前は主人公の子供の頃の回想で初めて登場する。それも記憶が曖昧で、それが本当なのかはわからない。
民主的な選挙で選ばれた「党」は形を変え、強権的で、独裁色を帯びていく。それは、人民のための権力ではなく、権力のための権力であり、永遠に持続していくかに思われる。
主人公の、ウィンストン・スミスは、党員であり、真理省の記録局で働いている。ただ、そこでは記録の改竄や抹消を目的としていた。
ウィンストンは、表向きには党に従う忠実な党員であった。だが、疑問は消えず、ひとりの女性と関係が結ばれることで次第にエスカレートしていく。
街中は監視カメラ、録音マイクが張り巡らされ、プライバシーは存在しない。部屋の中には、テレスクリーンと呼ばれる双方向型のテレビがあり、常時、録音、録画が行われており、電源を消すことさえ許されていない。
「ビッグブラザーはいつも見ている」
父親のような安心感と、裏切りを絶対に許さない恐怖の権化として描かれている彼は、存在しているのかさえわからない。実態を超越して観念の中に生きている。
ウィンストンは民衆に対する諦め、行動を起こそうとしない愚鈍さに呆れ、怒りを覚えている。ただ、それでも、民衆にこそ力がある。変化は民衆から起きることを彼は固く信じていた。
感想
この小説を3回読んだ。けれど、今後何回読んだとしても飽きることのない、心を捉えて離さない魅力がある。
1984年。どこにもないけど、きっとどこかにはある世界の話。
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