4月16日:土曜の朝から精神論の是非を語らった。
おはようございます。
為末大さんのTwitterに影響を受けて、noteの原稿を書くつもりで連ツイしてみたへいなかです。
昨日(15日)、久しぶりに楽しい酒を飲み、寝不足と軽い二日酔いをこじらせながら今朝…こども発達支援研究会のオンラインスクールで臨床心理士&学校の先生とともに「精神論・根性論はありかなしか」というテーマでトークセッションしました。
今日はトークセッションからツイートに落とし込んだものに補足を添えて。
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昨今「精神論」はあまりいい意味で使われない。
それらの精神論ワードがしばしば、的確な指導を生み出せない力不足な人間によって乱発されるからだ。
それは確かによくないこと。僕も基本的には使わないようにしている。でも…「不要」ではない。
下手な指導者による中身のない精神論は害ばかりだが、それは「心のあり様なんかどうでもいい」ということではない。人が物事に向き合うに時、その「向き合い方」や「やり抜く力」が結果に与える影響は決して小さくない。
それらいわゆる「精神」と呼ばれるものは大切だ。
「精神論」「根性論」は基本的に「よくない指導」として話題に登るが、その反動として精神や根性を取り扱うこと自体を悪とする風潮が見られるのはよくないと思っている。
具体的な指導ができないからと相手のやる気などに原因を求め「真剣にやれ!」と言うのは論外だが、精神や根性自体は必要なのだ。
それら「やり抜く力」は重要で、それを育むことは教育・支援においてとても大切。それらを無視したスキル・知識だけを目的とした関わりはあまり意味がない。
ただ…
それらを育むには「ちゃんとやれ!」ではないのだ。
だからこそ「ちゃんとやれ!」「逃げるな!」じゃダメ。
そんな状態を作り出し,最後に「素晴らしい取組だったな」とほめればいい。やれでできるなら苦労しない。
明らかに手を抜いている子に「ちゃんとやれよ!」でパフォーマンスが激変することもある。
結果として子どもに肯定的な変化が起きてるのだから間違ってない。
けれど…
明らかな手抜きに対してすら「ちゃんとやれ!」以外の手段もあるということは忘れたくない。大事なのは結果。手段は無数にある。
手抜きに対する「ちゃんとやれ!」…それは自分が真剣にやっている事にいいかげんな態度で臨むその子に対する自分の怒りであることが少なくない。
それは自分の怒りに対する対処であって相手のための指導ではない。 僕は指導者が怒りを表現することも必ずしも悪ではないと思っているが、自覚は必要だ。
いいかげんな態度の子にこちらの怒りを伝えることは時として効果的。
でも
「いいかげんな奴にはガツンと言ってやらなきゃいけない」ではない。
目的は子どもの肯定的な変化。怒りはそのための手段でしかない。そこを踏み外すと一見正しそうな義憤を掲げて意味のない指導もどきを繰り返すことになる。
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これは、一言で言えばたぶん…「目的と手段」という話だ。
やり抜く力などの精神面を鍛えること、根性を身につけることは大切。でもそれは目的であって教育の手段ではない。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。