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『欅坂46』から読む-デモクラシーと気候正義 第二話

第二話「不協和音」と闘うデモクラシー

 2020年8月、香港民主運動のリーダーの一人である周庭は、中国政府寄りの香港警察によって逮捕され、拘留されていた。このまま自由と尊厳を奪われるかもしれない不安と闘う彼女の心には、欅坂46の曲「不協和音」が流れ続けていたという[1]。

 センターの平手が「僕は嫌だ」と血気迫った表情で叫ぶこの曲には、国家による弾圧という現実の巨大な暴力に歯向かうまでの凄みがあったということなのだろうか。

・香港のデモクラシー

 遡って2011年、香港政府は中国本土への「愛国教育」を学校のカリキュラムに加えようと動いていた。これに最初に異議を唱えたのが、当時14歳だったジョシュア・ウォン(黄之鋒)である[2]。彼は10代の若者を集めて「学民思潮」を立ち上げ、2012年には何万人もの大人を巻き込んでストライキを起こし、香港政府に「愛国教育」の導入を撤回させた。これが後に続く「雨傘運動」や2019年の「民主化デモ」の嚆矢となったのだ。

 香港は形式上は中国に属するが、「一国二制度」のもとに中国本土とは異なる方針で自治が行われてきた。2017年の行政長官選挙には一人一票の「普通選挙」が約束され、より民主的な社会が実現されるはずだった。しかし2014年、香港・中国両政府は行政官の候補を予め選別する仕組みを導入し、市民による選挙を骨抜きにしようとする。これに「学民思潮」をはじめとする香港市民たちは怒りの声を上げ、「雨傘運動」が勃発したのである。
 百万を超える市民を巻き込んだこの運動に対し、政府側は警察を動員してデモ隊を暴力的に排除し、民衆の望む要求はすべて拒否された。

 だが、市民の「デモクラシー」への望みは決して消えなかった。香港の人々はもう充分に政府に苦しめられていたからだ。香港で政府と行政長官を選任するのは、特別評議会と呼ばれる中国政府よりの富裕層や実業家たちのグループである。彼らは財界の利益を優先し、香港市民の大半の生活を犠牲にする政策を取り続けてきた。家賃や食品価格は高騰し、多くの人々が社会の低層に追いやられている[3]。このような格差の拡大が民衆の香港政府に対する剥奪感を育て、民主化運動に火をつけたのである。

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[図1]「香港は中国ではない」と書かれた旗を被せる游蕙禎

2016年、香港の立法会選挙で番狂わせが起きる。香港独立派リーダーの一人、25歳の游蕙禎が、わずか400票差で当選したのだ。当選後の宣誓式で、彼女は「Hong Kong is not China香港は中国ではない」と記された旗を宣誓台にかぶせ、香港の民衆を奮い立たせた
 これにより游蕙禎は議員資格を無効にされ、懲役一か月の有罪判決を受けた。彼女は「香港人が自分の未来を自分たちで選択できる日まで、私は私のやり方で闘います」と、中国政府への抵抗の姿勢を鮮明に示したのだ[4]。

 2019年、香港で犯罪の容疑がかけられた者を中国本土に引き渡すことが可能になる「逃亡犯条例改正案」が提出された。香港市民は司法の独立を脅かすこの法案に異議を唱え、その声は大きなうねりとなって民主化デモへと発展した
 この運動で人々が掲げたのは「五大請求」というスローガンだった。
・逃亡犯条例改正案の完全撤回
・市民の抗議行動を「暴動」とみなす見解の撤回
・デモ参加者の逮捕、起訴の中止
・警察の暴力への責任追及や独立調査委員会の設置
・「真の普通選挙」の実現
の五項目からなるこの要求は、公正な選挙による「異議申し立て」を重視する「自由民主主義」や、市民の抗議行動=「政治参加」をデモクラシーの中核に置く「参加民主主義」を求めるものだといえる。

・闘うデモクラシー

 ここで、新たなデモクラシーの枠組みとして「闘技民主主義」を紹介したい。これは、異なる立場にある人々の妥協による和解や合意よりも、むしろ相互の対立や不和=「不協和音」を重視し、それを民主主義の活力とみなす考え方である[5]。

 なぜ和解や合意が問題とみなされているのか?
 それは、参加者の合意を目指して行われる政治の場では、場にそぐわない意見=「不協和音」を退ける力が働くからだという。「落ち着いて冷静に話し合おう」、「空気を読んで話し合いの場を乱さないようにしよう」という口実のもと、過激に思える意見や多数の人にとって奇妙に感じられる意見が出しにくくなることが往々にして起こる。妥協しあって合意に至るのを前提とする政治は、新たな「異議申し立て」の声をあらかじめ排除してしまう危険を孕むのだ。
 また闘技民主主義は、政治における感情が果たす役割とアイデンティティの多様性に重きを置く。当事者が本当に切実に感じている課題について、果たして「落ち着いて冷静に」主張することなどできるだろうか。社会的立場やアイデンティティが異なれば、ある課題に対する熱量も異なるのは当然だ。それを理解しない多数派が「冷静になれ」、「場を乱さないでくれ」というとき、立場の異なる少数派は沈黙を強いられるのである。

 つまり、「不協和音」を重んじる闘技民主主義は、人々の立場の違いを受け容れることで、社会の多元性、意見やアイデンティティの多様性を認め、政治に新たな変化の可能性を呼び込もうとするものなのである[6]。

・僕は嫌だ!「不協和音」

 さて、ここで欅坂46の「不協和音」を考えてみたい。歌詞は以下である(一部略)。

僕はYes と言わない 首を縦に振らない
まわりの誰もが頷いたとしても
僕はYes と言わない 絶対沈黙しない
最後の最後まで抵抗し続ける
叫びを押し殺す 見えない壁ができてた
ここで同調しなきゃ裏切り者か 仲間からも撃たれると思わなかった
僕は嫌だ 
不協和音を 僕は恐れたりしない
嫌われたって 僕には僕の正義があるんだ
殴ればいいさ 一度妥協したら死んだも同然
支配したいなら 僕を倒してから行けよ!
君はYes と言うのか 軍門に下るのか
理不尽なこととわかっているだろう 
君はYes と言うのか プライドさえも捨てるか 
反論することに何を怯えるんだ?
大きなその力で ねじ伏せられた怒りよ
見て見ぬ振りしなきゃ仲間外れか 真実の声も届くって信じていたよ
僕は嫌だ 
不協和音で 既成概念を壊せ!
みんな揃って 同じ意見だけではおかしいだろう
意思を貫け! ここで主張を曲げたら生きてる価値ない
欺きたいなら 僕を抹殺してから行け!
ああ 調和だけじゃ危険だ
ああ まさか 自由はいけないことか
人はそれぞれバラバラだ 何か乱すことで気づく もっと新しい世界

 前回見た「サイレントマジョリティー」では「Yesでいいのか?」だったのが、「僕はYes と言わない 絶対沈黙しない」と、更に強い調子で抵抗が謳われている。「まわりの誰もが頷いたとしても」という歌詞からは、自分の主張が多数派と対立するもの、不和を招くものであることの自覚が読み取れるが、それでも「叫びを押し殺」さず「同調」することなく「僕は嫌だ」と言い続けよう、それがこの曲のテーマなのだ。

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[図2]「不協和音」MVより

 「人はそれぞれバラバラ」なのだから、「みんな揃って同じ意見だけではおかしい」。「調和だけじゃ危険」なのは、それが「妥協」を強いて「僕の正義」、「自由」を捨てるように誘導するからである。「不協和音」で場を「乱すことで」、政治・社会に新しい変化=「新しい世界」をもたらすことを目指す、まさに闘技民主主義=闘うデモクラシーである。

 上述の香港デモでは、市民が決して普通選挙の実現を諦めず、政府の妥協にも一切応じなかったことが運動の持続を支えていた。2019年のデモで、政府はいったん逃亡犯条例改正案を引き下げたのだが、「五大請求」全ての実現を求める民衆は抗議の声を緩めることをしなかった。興奮や憤慨といった感情を隠さずに、むしろそれを運動の原動力とする激しい抗議行動は、中国に対し少数派である自分たち=香港の主張を受け容れさせるためには不可欠であった。中国・香港政府側はこれを「暴動」と呼び耳を傾けようとしなかったが、香港の人々は紛れもなくデモクラシーを体現していたのである。

<参考>

[1]堀井憲一郎「平手友梨奈という「壊れやすい奇跡」に震撼し、涙する…「欅坂ドキュメンタリー映画」の凄み」現代ビジネス 2020
[2]ジョー・ピスカテラ『ジョシュア: 大国に抗った少年』Netflix 2017
[3]フィリップ・コーカール『ケージで暮らす人々』2018
[4]野嶋剛『香港とは何か』筑摩書房 2020
[5]山本圭『現代民主主義』中公新書 2021
[6]ムフ, シャンタル『政治的なものについて-闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序の構築』酒井隆史ほか訳 明石書店 2008

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