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買った?お迎えした?

嬉しくてちょっとむず痒くなっちゃう

最近ハンドメイドや作家モノ界隈でよく見かける表現「お迎え」、皆さんはよく使用していますか?
私は、ちょっとむず痒いような気持になります。
作家さんが心を込めて作った作品、大好きな作家さんが手掛けた商品をお金を出して「買った」と言うよりもより丁寧に、と言うお客様の気持ちが嬉しい言葉です。
今回はそんな「お迎え」についての独り言です。

何故ちょっぴり気恥ずかしいのか

以前、某メーカーのドールのお写真を眺めるのが好きで、カスタマイズしたりお洋服を作られている方のブログをロムっていた私は、「お迎えする」と言うのはドール界隈の専門用語なのだと思っていました。
人の形をしているし、「我が子」と言う意識でドールと接する方も多いので、「買った」「購入した」と言うのは抵抗があるのだろうなと思い、
「なるほどその気持ち分かる!」と納得しました。
なのでドールではない作品に対しても、手にできた喜びや、大事にしようという気持ちがあるからこそ「お迎え」と言う表現をするのだなと思います。
それは作り手にとってとても有難く、嬉しい事です。
言って頂くのは嬉しいのに、自分が言うのはちょっぴり気恥ずかしいのは何故だろうと考えると、未だに特定の界隈の専門用語と言う認識が抜けないからではないかと思います。

今この記事を書いた理由

実はこの記事、再掲です

以前やっていたブログに、この事を書いたことがあります。
何故今一度この記事をここで書いたのか、それは今だったら以前よりも誰かの目に留まる可能性が高いと思ったからです。

そこに気持ちの差はない

このままもっと「お迎えする」と言う表現が浸透した場合、
「あの人は作家さんの作品を買った、と言っているから本当のファンじゃない!」
「購入した、と言う人は作品に対する思い入れが少ない!」
と、誤解する方もいるんじゃないかな、なんて危惧があります。
作品をお手に取って頂く作家として主張したい事があります。
他の作家さんはどう思われているか分かりませんが、私は私の作品を「お迎えした」と言う方と「買った」と言う方、どちらも同じく嬉しく思います。前述の通り自分は「お迎え」と自分が言うことにちょっと抵抗を感じます。それは購入できた喜びや大事に思う気持ちとは全く別問題、気恥ずかしい、と言うだけです。
なので「買った」と「お迎えした」は異なる表現だと言うだけで、その裏に気持ちの大きさの差などないんじゃないかと考えています。

実際に自分も「お迎えした」

数年前に先代の愛犬を亡くし、二度と犬は飼うまいと思っていたのですが
家族の強い要望により元繁殖犬が愛犬になりました。
その時に「この子を家族としてお迎えした!」という実感がありました。
うんうん、この幸福感とそれに伴う責任感、これがお迎えするって事か!
と思い、過去に書いた記事を思い出して加筆修正して掲載した次第です。


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