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ネコメンタリー 猫も、杓子も。 #好きな番組

ネコメンタリー 猫も、杓子も。
もの書く人のかたわらには、いつも猫がいた。


NHKにて、おそらく不定期で放送されている番組。
猫を飼う、主に物書きの作家さんの日常を映した、ドキュメンタリーである。
愛猫との何気ない暮らしぶりを垣間見ることができるのだが、時に、その最期に立ち会うようなこともある。
しかし、そういった場面も、ことさら粒立てずに、淡々と映し出す。
それが逆にグッと来てしまう。

その一線の、著名な方々の暮らしであるから、およそ優雅なものであり、そこで飼われる猫は、さぞかし幸せなことだろう、なんてことは人間である私の、勝手な価値基準に基づいた想像に過ぎず、猫にしたら他と比べる術も無く、その真意はおそらく、永遠にわからないだろう。

ところで、私はガチャガチャなどで得た、小さな動物、それこそ猫などの置き物を、何となくそれが居心地の良さを感じるようにポジショニングしたり、それの前に同様のサイズ感の小さなカップを置いたりする。いい歳こいて。
そして、心の中で「良いね。快適だね。」なんて言ったりする。あるいは漏れ出ているかもしれない。

これは"ごっこ遊び"と言うだろう。
幼少の頃に染み付いたものが、近年、40を過ぎてから再燃している感がある。

猫に対しても、日向ぼっこなんかしているのに遭遇すると、ワントーン上げた声で「あら、良いね〜。気持ち良いね〜。」なんて言ったりする。
すると、目を細めるなどして、友好的な反応を示してくれるが、その実は、わからない。
一応、私の脳内では「快適だにゃ〜。」との返事を貰っている。

人間は、生き物に対峙する際、"ごっこ遊び"、もしくはファンタジーの要素が強く出るように感じる。
それの最たるものが、売れていない時期に、家に出るネズミに愛着が湧きすぎて、言うなれば"こじらせ"て成功した"ウォルト・ディズニー"ではないだろうか。

生物の感情は、私たちの脳内で確実に、だいぶ盛られている。
私に至っては、そういう感情が全くないであろうクモにさえ、そんな感じである。

ただ、例えばSNSに盛った写真をあげたり、YouTubeの動画作りも芸能人ごっこ、テレビごっこみたいなもので、また、ゲームにしても、その中の世界での"ごっこ"であり、それは他の何気ない日常の場面でも無意識に、そのような頭になっていることは多々あるだろう。

そもそも、今ここでこんなことを記している行為こそ、"エッセイストごっこ"と言えよう。

そう考えると人間のすることには何かしらの"ごっこ"的な要素が付きまとう、なんてことはとっくの昔からドラマや映画でも扱われてきたような題材であり、今更感もあるが、しかし、改めてそう思う。

そして、猫も"ごっこ遊び"をする。
猫じゃらしを始め、それが偽物だと承知の上で、飛び付く。
また、人間に対して「遊べ!」と促すも、その動かし方が気に入らなければ、そっぽ向く。あるいは無視。

こちらの"ごっこ"的な問いかけなどに対しては、猫もまた、それを織り込み済みの、承知の上での、目を細めるなどの諸々の友好的っぽい意思表示なのかもしれない。

とりあえず、私がもし猫ならば、この番組に出てくるような人達のもとで生活を送る、エリート猫でありたい。
それがエリートだという考えが極めて人間的であり、さらにエリートが幸せだろうとの考えが自身の浅はかさを物語り、ひいては、エリートを経験したことがないからこその思考であろう。

自身の幸せすらわからないような人間が、到底、猫のそれをわかるはずもないのだが、ひとつ確実に言えるのは、これに出てくる飼い主さんは皆、猫に対する愛情が人一倍強い。

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