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読書記録Vol.64『人生のこつあれこれ2012』よしもとばなな・著

本日は、よしもとばななさんの
エッセイシリーズ、
「人生のこつあれこれ2012」

人生のこつあれこれ2012

わたし、、、
気づいたのですが
小説家さんのエッセイが
大好物です。

朝井リョウさんも、
小説もすきなんだけど
「時をかけるゆとり」
が一番好き。(笑)

きっと
「小説家さん」と聞くと
漠然とすごい人だとか
世界が違う人に感じてしまう人たちが

エッセイで
「あのすごい小説家さんも人間んだったんだ」
「こんなに身近に感じられる普通の人なんだ」
って降りてきてくれる感じが
好きなんだと思う。

よしもとばななさんは
言葉のつながり1つ1つが
美しいから
マインドマップにすると
ちょっと違う感じになってしまうね。

不満を思ったら限りない。
一から十まで文句ばっかりになる。
かといって幸せばっかりに目を向けていたら、幸せの中の二軍の幸せをいつのまにかつくり出す。
よかれと思って感謝の檻に自分を閉じ込めたら、外の生き生きした雑多な世界を見なくなる。

「不満を思ったら限りない」は
ふんふん、と読んでたんだけど

かといって幸せばっかりに目を向けていたら
幸せの中の二軍の幸せを
いつのまにかつくり出す。

っていうところに
どきっとした。

わたしは結構無邪気に
「物事の幸せの側面を見ればいいんだ」
って”思おう”としてたけれど
そうじゃないんだよ、
もっと自分を研ぎ澄まして
一軍の幸せを探しにいく力があるんだよ、
と優しくばななさんが
励ましてくれてる気がする。

遠くの人の厳しいつらい長い夜に優しく、私以上の深みを持ってよりそってあげられるから。

ばななさんが、自分が
本を書く意味について
書いていたところの一文。

その直前には

私の個人的などぎつい好みを語っているときには決して人に伝わらない静かな思いが、なぜか寓話の形にすると遠くの人と共有できるようになるから。

と。

これが、なんだかじーんときて。
ばななさんオリジナルでは伝わらないものが、
ばななさんの「作品」というフィルターを通ると
すーーーーっと響く人たちがいる

もしかしたら、それが
「ばななさん本人」の何倍も何十倍も
人を包み込むことも
あるのかもしれない

寓話の形なら、届くのかもしれない

「自分が」誰かを助けてあげたい
「自分が」誰かの支えになりたい
なんてエゴが1ミリもなくて

でもきっと大切な何かは
こうやって循環して
いくものなんだ、きっと。

うまく言えないのだけれど、
やっぱりわたしは
【自分を出す】ことと
【自分をなくしていく】ことは
同じことなんじゃないかって
思う

みほ

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