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「事実」と「真実」は違うということ

凪良ゆうの「流浪の月」を読了しました。

文学Youtuberのベルさんが書評しているのを見て、すごく読みたくなったのがきっかけです。
まず私自身、大人と子供の恋愛話はあまり好きではない。
なので漫画とかでも先生と生徒がくっつく結末は読まない。
「恋は雨上がりのように」みたいな、人間性の成長を描いたものは好きなのですが、「うさぎドロップ」のような結末はあまり好きではなかったです。

それを踏まえて、この本もきっとそういう大人と子供の恋愛なのかなと思っていたけど、全く違った。

ネタバレ有りで感想書くのでまだ読んでない方は注意。




佐伯文はまず小児性愛者なんかじゃなくて、誰も愛せない人だった。
いわゆる無性愛者なのかな、と個人的には思います。

でも周りは「事実」しか見ていなくて彼を小児性愛者だとレッテル貼りをする。
そもそもその「事実」は「真実」ではないのに。

実際、こういうことってあるのかなと感じる。
わたしたちが日々ニュースを見て「うわあ」と疎ましく思うことも実際は目に見えない「真実」があるのかもしれないなと思った。


事件は色んな形で2人を付き纏う。2人がいればいるほど、人々は「普通」を押し付け、介在してくる。

でも2人は「命綱」を必要としていて、そんな関係性と現実との壁が分厚く遠く離れているなと思いました。2人の出会う形が違っていればこんなことにはならなかったんだろうけど、出会い方が変わっていればここまで深く関わらなかったのだろうな。

「恋愛」でも「友情」でもない、「何か」の関係でありながらもこの先2人が末長く幸せでいてほしいと感じる作品でした。

ちなみに、私の中の想像でしかないけど、「佐伯文」という人を好きになりそうなくらい、私の好みだった。





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