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目的としての愛を卒業するとき

ふと思ったのですけど、SNSって面倒くさいですよね。

それはみんなが普段思ってるSNS疲れとかそういうのと多分ちょっと違う理由なんですけどね、

まあ僕もTwitterやってるんですけど、こう、過去ログが溜まっていくわけですよ。

他愛ない呟きしかしてない、それはおよそ他の人もそうだと思うんですけどね、何でもない事でも溜まっていくと、段下という人間はこういう人間なんですよ、って何だかアイデンティティを表明出来た気分になる。

例に出しただけで、別にSNSじゃなくてもいいんです。そういうことは人間に限らず、美容液とか食品のキャッチコピーに例えても良い。

このnoteもそうですけど、タイトルを付けて、文字をつらつらと書いていくだけでそれっぽくなるでしょ?なってると思いたいんですけどね。

だとすると、食品にキャッチコピー、絶対付けるじゃないですか。

そりゃ、付けたほうがそれっぽくなるでしょ?なんとなくいい感じになる。ならせっかくだし付けちゃおうぜって僕が責任者だったら言うと思うんですよ。

書いてる方もすごいとは思ってないけど、1gって書けばいいものを1000mg配合とかね。もはやニュアンスの世界ですよ。


そんでもってSNSに話を戻すんですけど、SNSやってる人間は億単位でいるわけですよ。

でね、何となく気付いてる人は良いんですよ。ここまでの話で、

ああ、この段下って男はつまりそういうことが言いたいんだな、と

察していてもらえるとありがたいんですけど、


つまりね、SNS上では、

自分という人間は、呟いてるだけだけど「ちゃんと」コンテンツになってる

って思い込んでる人が多そうだなって思ったんですよね。


うん、勿論Twitterってのは「そういうもん」なわけですよ。

段下のツイッターアカウントには段下の知り合いが居て、面白いことをシェアしたり気になる発言をしたりすれば身内にシェアされたりとか。そういう風土が密接に繋がり合ってコンテンツになってますよ。

まあ、別にSNSどうよって話をしたいわけじゃないし、学校とか職場でしかコミュニケーション取れてなかった時代よりもそういう浅く広い交流が出来るようになったってところに関しては良しとしましょうよ。


ただ、

我々がそうやってSNSって媒体を使って「自分自身のプロモーション活動」をしていくに当たって、気付かなければいけないことがあると思うんですね。

何だと思いますか?

まあ話の流れがあるんでね、本当に聡明な方ならきっと先読みしちゃうんだと思うんですけど、僕が言いたいのはね、


「PRするに相応しい自分になれ」


これに尽きますね。

もっと言えば、

「口より先に手を動かせ」ですかね。


注目を浴びたいって気持ち、すごく分かるんですよ。

僕は生粋の目立ちたがりなんでね。社会人になって大分丸くなりましたけど。


でもね、誰でもSNSっていうマイセルフ・コピーライティングって活動をするようになってる時代なんだから、気付かなきゃいけないことなんだよね。

まるで実績のない奴が、上辺だけの肩書とか能書きをプロフィール欄につらつらつらつら徒然なるままに大仰に愛のままにワガママに書いたってね、

バレるんですよ。そんなの。

母親が見たら「あんた頑張ってるんだね」って辛うじて言ってもらえるかも知れないけどね。


僕もそうだったから分かるんですよ。

なんかそれっぽくてすごそうなことを書きたくなるわけですよ。モテたいしね。

でもさ、SNSやってて俺すごい言ってる何億人って人達は全員、自分を自分でアピールするほどの価値がある人なんですか?

ま、アピールしたくてやってる人達はまあ良いですよ。

でも、なんか充実してるなって思われたい人のSNS活って、

誰のためなんですか?

中身がないのを認めたくなくて、それらしいことをガシガシ書いて、写真上げて、ひょっとしたら他人の目を上手く誤魔化して、

その次、どうしたいんですか?

あわよくば、「自分自身」まで騙そうとしてませんか??



まあズルい言い方をするとね、本来こんなのブーメラン発言以外の何物でもないんですけど、僕は自分で気付いたから良いんですよ。


僕はね、未だに人生で成し遂げたことが何一つ無いから。

今死んだら絶対後悔するんですよね。

人生の目的の王道ってあると思ってて、生物として言えばそれは多分「遺伝子を残す」とか、もうちょっと人間よりに言えば「愛を与える」ってまあちょっと哲学っぽくなっちゃうんですけどそんな感じだと思うんですよ。

この「愛」とか「遺伝子」については余すことなく語るには余白が少なすぎるししようとすれば激しく今回の趣旨と脱線するのでまた今度気の向いた時にしますけど、

「愛に溢れた人であることが素晴らしい」のは感覚で分かるんです。

でも、人生の目的としての愛を曲解してね、

さっきSNS話で言ったみたいに、「愛をもらうために」SNSやってるとか、そもそも人生は「愛されるために」あるみたいな考え方非常に蔓延しちゃってませんかね?って個人的には思ってるんです。

そんで、熱狂的なSNS信者だったらイメージしやすいと思うんですけど、周りの価値観に合わせるでしょ。流行に乗るでしょ。世間体めっちゃ気にするでしょ。負のスパイラルなんですよね。それって。

ここで更に「結婚」って言うパワーワードを軽く挙げて本筋は例によってまたいつか書きたいと思うんですけど、ぶっちゃけ、人生の本筋、目的、達成したいことの前に「結婚したい年齢」が来る人って何なんすか??

幸せにしたい人、されたい人が見つかるかどうかも分からないはずなのに、妥協してもいいから恥ずかしくない人生を…って思ってるかもしれないんですけど、それ、本当に正しいんですか?

SNSやってるとしたら、多分ね、こういう感覚なわけですよ。

私のプロフィールは学歴。年齢。性別。勤務先。好きな食べ物。最近はまってる趣味。ときて、さあ、あと残るめぼしい社会的ステータスといったら…

「やっぱ「結婚歴」かな~!!」

って、そういうことでしょ。

まあ「結婚」についても語ろうと思えば読んでる人の結婚がゲシュタルト崩壊するまで語りますけど、今日のところはここまでにします。


長々と書いたのでちゃんと伝わってるか全然自信ないですので、僕がこのnoteで結局言いたかったことを一言で仰っている先人の言葉を借りて締めくくりましょう。

成功者になるためではなく、価値のある者になるために努力せよ。
(アルバート・アインシュタイン)


最後までお読み頂きありがとうございました。

読んでくれてうれしいです。