本稿のPDFは下記リンク先からDLできます.荒川幸也「マルクス『資本論』試論②」(researchmap)
「商品」の定義 以下のパラグラフでは,分析の出発点となる「商品」の定義が端的に示されている.
(1)ドイツ語初版
商品とはさしあたり,ある外的対象であり,その諸々の属性によってなにかある種の諸々の人間的欲求を満たす物である.これら諸々の人間的欲求の性質は,たとえそれが胃袋から生じようと空想から生じようと,少しも事柄を変えるものではない².いかにして 事物が人間的欲求を満たすのか,直接的には生活手段として,つまり享受の対象としてか,はたまた一つの回り道であるが生産手段としてか,といったことについてもまたここでは問題としない.
(Marx1867: 1) (2)ドイツ語第二版
商品とはさしあたり,ある外的対象であり,その諸々の属性によってなにかある種の諸々の人間的欲求を満たす物である.これら諸々の人間的欲求の性質は,たとえそれが胃袋から生じようと空想から生じようと,少しも事柄を変えるものではない².いかにして事物が人間的欲求を満たすのか,直接的には生活手段として,つまり享受の対象としてか,はたまた一つの回り道であるが生産手段としてか,といったことについてもまたここでは問題としない.
(Marx1872a: 9–10) (3)フランス語版
商品とはさしあたり,ある外的対象であり,その諸々の属性によってなんら重要ではないある種の諸々の人間的欲求を満たす物である.これら諸々の人間的欲求が胃袋から生じようと空想から生じようと,その性質は事柄を何ら変えるものではない.いかにしてこうした諸々の人間的欲求が満たされるか,直接的に,対象が一つの生存の手段であるか,一つの迂回路として,それが生産の手段であるかといったこともまたここでは問題としない.
(Marx1872b: 13) (4)ドイツ語第三版
商品とはさしあたり,ある外的対象であり,その諸々の属性によってなにかある種の諸々の人間的欲求を満たす物である.これら諸々の人間的欲求の性質は,たとえそれが胃袋から生じようと空想から生じようと,少しも事柄を変えるものではない².いかにして事物が人間的欲求を満たすのか,直接的には生活手段として,つまり享受の対象としてか,はたまた一つの回り道であるが生産手段としてか,といったことについてもまたここでは問題としない.
(Marx1883: 1–2,岡崎次郎訳『資本論①』71〜72頁) 「人間的欲求」と一口に言っても,「胃袋から生じる欲求」や「空想から生じる欲求」など様々なものが存在する.もし仮に「商品」が「人間的欲求」のあり方に従って異なったあり方をとるならば,それによって「商品」の様々な形態の場合分けが必要となるはずだ.だがマルクスが「これら諸々の人間的欲求の性質は,たとえそれが胃袋から生じようとも空想から生じようとも,少しも事柄を変えるものではない」と述べているように,「商品」のあり方は「人間的欲求」の様々に異なったあり方によって左右されるものではない. しかしながら,「人間的欲求」という言葉の裏側で排除されているものが存在する.それは「人間」以外の存在者たちの欲求である.例えば,犬や猫などの動物が持っている欲求(そこには食欲などがある)は,それ自体では「商品」を定義するものたり得ない.しかしながら実際にペットフードが「商品」として流通しているのは,ペットにそれを買い与えることで飼い主の「人間的欲求」が満たされるからである.あるいは,「商品」の生産過程において撒き散らされた公害が,植物や海の生物の欲求を無視して,これらの天然の動植物へ危害を及ぼす可能性もある.こうした問題に対処するには自生的秩序に頼るだけでなく,法規制が必要な場合がある. また昨今見られるようなエシカル消費 もまた,人権や環境に配慮した商品ラベルを選択することによってその購買者の「人間的欲求を満たす」がゆえに「商品」として成り立っている.エシカル消費の「商品」の生産過程が実際に人権や環境に配慮しているかどうかを確認してまでその「商品」を購入する機会はほとんどない.
二種類の人間的欲求——身体の欲求と精神の欲求 マルクスは「これら諸々の人間的欲求の性質は,たとえそれが胃袋から生じようとも空想から生じようとも,少しも事柄ザッヘを変えるものではない」という箇所に対する註で,以下のような引用を行っている.
²)「欲望は欲求を含意している.欲望は精神の食欲であり,身体にとっての渇望と同様に自然なものである……最も多く(の物)は,精神の諸欲求を満たすことによってその価値を持つ.」(ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究.ロック氏の諸考察に答えて』ロンドン ,1696年,p. 2, 3.)
(Marx1867: 1,岡崎次郎訳『資本論①』72頁) バーボンは『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(Barbon1696)の中で,人類がもつ「一般的な諸欲求」を「身体の諸欲求 the wants of the body」と「精神の諸欲求 the wants of the mind」の二つに大別している.これらの欲求を満たすことによってあらゆる物は「価値 Value」を持つのだとバーボンはいう.マルクスが『資本論』で先に例として挙げている「胃袋」から生じる欲求と「空想」から生じる欲求は,バーボンが区別した「身体の諸欲求」と「精神の諸欲求」にそれぞれ該当する.要するにマルクスは『資本論』の冒頭でバーボンのアイデアを基本的に踏襲しつつ議論を進めているのである.
ニコラス・バーボン マルクスが引用しているニコラス・バーボン (Nicholas Barbon, 1640–1698)について軽く触れておこう(マルクスとバーボンを取り扱っている文献としては鈴木2014 がある).バーボンは1640年のロンドンに生まれ,ライデンで医学を学び,ユトレヒトで医師の学位を得た後にロンドンに戻った.そんなある日,1666年9月2日にロンドンでパン屋のかまどから出火して,ロンドン市内の家屋の8割以上が消失する一大事件が起きた(ロンドン大火 the Great Fire of London).燃え広がった原因は,家屋のほとんどが木造であり,街路も狭かったためだという.この反省を生かし,1667年の「再建法」では家屋はすべて煉瓦造または石造とされ,木造建築は禁止され,道路の幅員についても規定された.バーボンもまたロンドンの再建復興に尽力した.そのさい,彼は火災保険の必要性を主張し,事業を起した.いまでは彼は世界初の火災保険会社の創設者として知られている.
ニコラス・バーボン(Nicholas Barbon, 1640–1698) バーボンはポリティカル・エコノミーに関する著作をいくつか残しているが,その中で貨幣や自由貿易,需要と供給などについての革新的な見解を示した.彼の『交易論』(A Discurse of Trade, 1690)は,ケインズの『一般理論』やシュンペーターのような20世紀の経済学者たちに影響を与えたという点で,重要な著作である.バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(1696年)が公刊されたのは,バーボンの亡くなるおよそ二年前であり,彼が56歳になった年である.これがおそらくバーボンの最後の著作である. マルクスによるバーボンの著作からの抜粋は,1863年5月から6月にかけてマルクスが作成した「サブノート Beihefte E・F」に見出される(森下2010 ).マルクスがバーボンから引用した箇所は,バーボンの原著では二つのパラグラフにまたがっている(Barbon1696 : 2–3).拙訳「〔抄訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年) 」も併せて参照されたい.
「有用な物」はいかにして考察されるのか 以下のパラグラフは,「有用な物」がいかなる観点から考察され得るのかについて述べた箇所である.
(1)ドイツ語初版
どんな有用な物も,鉄や紙などのように,二重の観点から,つまり質 と量 に従って考察されることができる.そうした物はいずれも,数多くの属性からなる一つの総体であり,だから様々な側面からして有用であることがあり得る.こうした様々な側面およびそこから物の多種多様な用途を発見することは歴史的行為である³.有用な物の量 を測定するための社会的尺度 を見いだすこともまたそうである.商品尺度の多様性は,あるものは測定対象の様々な性質から生まれ,あるものは慣行から生まれる.
(Marx1867: 1–2) (2)ドイツ語第二版
どんな有用な物も,鉄や紙などのように,二重の観点から,つまり質と量に従って考察されることができる.そうした物はいずれも,数多くの属性からなる一つの総体であり,だから様々な側面からして有用であることがあり得る.こうした様々な側面およびそこから物の多種多様な用途を発見することは歴史的行為である³.有用な物の量を測定するための社会的尺度を見いだすこともまたそうである.商品尺度の多様性は,あるものは測定対象の様々な性質から生まれ,あるものは慣行から生まれる.
(Marx1872a: 10) (3)フランス語版
どんな有用な物も,鉄や紙などのように,質と量という二重の観点から考察されることができる.どんな有用な物も多様な属性からなる一つの総体であって,それゆえに異なる側面から役に立つことがあり得る.こうした多様な側面を発見するのと同じくして物の多様な用途を発見することは,一つの歴史的業績である.有用な事物の量に対する社会的尺度を発見することもまたそうである.こうした商品尺度の多様性は,測定対象のバラエティに富んだ性質や,はたまた慣行に起源を持っていたりするものである.
(Marx1872b: 13) (4)ドイツ語第三版
どんな有用な物も,鉄や紙などのように,二重の観点から,つまり質と量に従って考察されることができる.そうした物はいずれも,数多くの属性からなる一つの総体であり,だから様々な側面からして有用であることができる.こうした様々な側面およびそこから物の多種多様な用途を発見することは歴史的行為である³.有用な物の量を測定するための社会的尺度を見いだすこともまたそうである.商品尺度の多様性は,あるものは測定対象の様々な性質から生まれ,あるものは慣行から生まれる.
(Marx1883: 2,岡崎次郎訳『資本論①』72頁) マルクスは「有用な物」を考察するために,あたかも自然哲学的に分析するかのように,「質と量」という「二重の観点」を取り上げている.マルクスが例として挙げている「鉄」と「紙」とは,それぞれ耐久性のある固い性質と破れやすく折り曲げやすい性質とで,全く異なった「属性」を持っている. 商品尺度の多様性は,『資本論』のドイツ語版とフランス語版の叙述の違いにも顕著である.例えばリンネルという布の大きさは,ドイツ語版では「エレ」という単位で示されているが,フランス語版では「メートル」という単位で示されている.各国ごとに尺度のこうした相違があるがゆえに,社会的に標準化された規則が生まれることにもなる. ここで「物 Ding」が「有用な nützliche」と形容されている点に着目してみよう.主語は「ある 物」ではなく,「有用な 物」である.では,何をもって「物」は「有用」たり得るのだろうか.その解明の手がかりとなるのが,マルクスがこの箇所に付している以下の註である.
(1)ドイツ語初版
³)「諸物は,あらゆる場所で同一の効力を持つ内在的効力 〔vertue〕(これはバーボンにおいては使用価値 の独特な表現)を持っている.鉄を引きつける天然磁石のように」(〔バーボン〕前掲書,16ページ)鉄を引きつけるという磁石の属性は,人がその属性を手がかりとして磁極性を発見したときに,はじめて有用になったのである.
(Marx1867: 2) (2)ドイツ語第二版
³)「諸物は,あらゆる場所で同一の効力を持つ内在的効力〔vertue〕(これはバーボンにおいては使用価値の独特な表現)を持っている.鉄を引きつける天然磁石のように」(〔バーボン〕前掲書,16ページ).鉄を引きつけるという磁石の属性は,人がその属性を手がかりとして磁極性を発見したときに,はじめて有用になったのである.
(Marx1872a: 10) (3)フランス語版
1.「諸物は,あらゆる場所で同一の効力を持つ内在的効力 (virtue ,それはバーボンにおいては使用価値 の特有の表現)を持っている.例えば鉄を引きつける磁石のように」(〔バーボン〕前掲書,16ページ).鉄を引きつけるという磁石の属性は,その属性を手がかりとして人が磁極性を発見してはじめて有用になるのである.
(Marx1872b: 13) (4)ドイツ語第三版
³)「諸物は,あらゆる場所で同一の効力を持つ内在的効力〔vertue〕(これはバーボンにおいては使用価値の独特な表現)を持っている.鉄を引きつける天然磁石のように」(〔バーボン〕前掲書,16ページ).鉄を引きつけるという磁石の属性は,人がその属性を手がかりとして磁極性を発見したときに,はじめて有用になったのである.
(Marx1883: 2,岡崎次郎訳『資本論①』72頁) ここでもマルクスはバーボンから引用しているが,内容的に重要な契機は磁極性の発見である.なぜなら,バーボンは物における有用性の発見という契機に関しては何ら言及しておらず,物が持っている「内在的効力 intrinsick verture」(マルクスの理解では「使用価値」)を普遍的に通用するものとしてしか認識していないからである.マルクスの言い方に従うと,磁極性の発見は「歴史的行為 geschichtliche That」である(磁極性の発見の科学史について詳しくは山本2003 ,ミッチェル2019 をみよ).この「歴史的行為」とは,少し大袈裟な言い方をするならば,科学史上における第一発見のような偉業を成し遂げた時に与えられるようなものである.フランス語版ではこの意味を汲んで「一つの歴史的業績 une œuvre de l’histoire」と訳されている. ここでマルクスが「磁極性 die magnetische Polarität」と「磁石の属性 die Eigenschaft des Magnets」とを厳密に区別していることに着目してみよう.マルクスは「鉄を引きつけるという磁石の属性は,人がその属性を手がかりとして磁極性を発見したときに,はじめて 有用になった」と述べているが,この一文は奇妙である.磁石は,人類による磁極性の発見を抜きにしても,「鉄を引きつける」という「磁石の属性」だけでつねにすでに 「有用」ではないのだろうか.しかし,マルクスによればそうではなく,「人がその属性を手がかりとして磁極性を発見したときに ,はじめて有用になった」というのである.これではマルクスが「鉄を引きつける」という「磁石の属性」をそれ自体としては 「有用」とはみなしていないことになる. この一文はおそらく次のように解釈できる.すなわち,古き時代に,人類がいまだ「鉄を引きつける」という「磁石の属性」を認識していない時代が想定される.この時代においても磁石は本来的に「鉄を引きつける」というその属性を有している.したがって,「磁石の属性」は,人類によるその属性の認識とはなんらの関係もない.だが,あるとき人類は「鉄を引きつける」という「磁石の属性」を発見する.この時点においてはじめて先のマルクスの一文の解釈が分かれる.というのも,「鉄を引きつける」という「磁石の属性」を人類がはじめて発見したときのことを,マルクスが「磁極性」の発見と同一視しているのか否か,という点で解釈が分かれるからである.
磁石の属性と磁極性の発見 「鉄を引きつけるという磁石の属性は,人がその属性を手がかりとして磁極性を発見したときに,はじめて有用となった」という一文をより詳しく明らかにするために,以下では「鉄を引きつける」という「磁石の属性」および「磁極性」の発見に至るまでの科学史を簡単に振り返っておきたい. まず「鉄を引きつける」という磁石の属性については,すでに紀元前600年ごろの古代ギリシャより知られていた.
古代ギリシャ・エーゲ海世界において,知られているかぎりで最初に磁石に言及したのは,商業と海運で栄えたイオニアの港町ミレトスのタレス(紀元前六二四ー五四六)と言われている.
(山本義隆2003『磁力と重力の発見 1 古代・中世』みすず書房,17頁) 西のギリシャでは自然科学の祖と言われる哲学者ターレス(BC600年ごろ)が琥珀や磁石の吸引力はその中に霊魂が存在するのではないかと考えた.東の中国では琥珀は容易に得られなかったが,摩擦電気が起こりやすい絹織物は3,000年以上前の殷時代に盛んに織られ,また玳瑁(海亀の甲羅,鼈甲)や宝石が宝飾品として使われていた.これらを通じ,古代人は日常の生活の中で,静電気現象を薄々ながらも知ることになる.
(山本充義・川口芳弘2009「中国古典に見える電気」『電気学会誌』129(11),754頁) このように古代より「鉄を引きつける」という磁石の属性については認識されていたことが確認できるが,磁極性の発見——マルクスのいう「歴史的行為」——については,ペトロス・ペレグリヌス (Petrus Peregrinus de Maricourt)の『磁気書簡』(Epistola de magnete, 1269)の登場を俟たねばならなかった.
ペレグリヌスは,磁石には二つの極があることを初めて解明した人物なのだ.そして,磁石は引き合うだけでなく,反発し合うということに初めて気づいた研究者の一人である.
(アランナ・ミッチェル2019『地磁気の逆転』熊谷玲美訳,光文社,52頁) 磁石には二つの力がある.それは引き合う力 と反発し合う力 である.「磁極性」の発見と同時に反発し合う力という磁石のもう一つの属性が発見されたのは偶然ではない.磁石はN極とS極を持ち,異なる極(N極とS極)同士は引き合うが,同じ極(N極とN極、S極とS極)同士は反発し合うという性質を持つ.二極のこのような性質ゆえに「磁極性」の発見と反発力の発見が同時であるのは必然的であった. だが,ペレグリヌスは磁極が天界にあると考えていたので,このとき磁極が地上にあるとはまだ考えられていなかった.地磁気 の発見は,ウィリアム・ギルバート (William Gilbert, 1544–1603)の『磁石論』(De Magnete, 1600)においてようやく確認される.
ペレグリヌスが三〇〇年ほど前に,磁石の「生来の本能」について書き,それが不変の性質だということを暗に示したのに対して,ギルバートは,地球自体にその基本的な力があり,さらにその力が地球の中心と分かちがたく結びついているとしたのである.
(アランナ・ミッチェル2019『地磁気の逆転』熊谷玲美訳,光文社,69頁) 以上のような科学史を踏まえると,「鉄を引きつける」という「磁石の属性」は,「磁極性」とは区別されるべき異なった性質である.同じく古代ギリシャに見出される「鉄を引きつける」という「磁石の属性」が認識されていた時代(紀元前6世紀ごろ)は,ペレグリヌスによって「磁極性」が発見された時代(13世紀中ごろ)およびギルバートによって地磁気が発見された時代(16世紀末)とは明確に区別されることができる. ペレグリヌスによる「磁極性」の発見までは,磁石のもう一つの属性である反発力については知られていなかった,マルクスは反発力については言及しておらず,しかも上述の科学史をマルクスが知っていたのかどうかは不明である.その上で,上述の科学史の観点から考察すると,「鉄を引きつけるという磁石の属性は,人がその属性を手がかりとして磁極性を発見したときに,はじめて 有用になった」というマルクスの一文は,〈ペレグリヌスによって「磁極性」が発見されたことによってはじめて磁石の属性は有用になった〉と解釈することができる.
使用価値と商品体 以下のパラグラフは主に「使用価値 Gebrauchswert」の説明である.この点,ドイツ語第二版以降の説明の方がより詳細であり,おそらくマルクス自身が「商品体 Waarenkörper」についてもう少し詳しく書かねばならないと考えたのであろう.「物体 Körper」はラテン語で言えばcorpusである.したがって,商品とは「物体」として具体的な形を持っているのであり,このいわば物体性 こそが「この有用性は,商品体の諸々の属性に制約されている為,商品体なしには存在しない」といわれる所以であり,そしてまた使用価値がそれに投下された労働の大小とはなんらかかわりがないといわれる所以である.
(1)ドイツ語初版
ある物のがもっている人間生活のための有用性は,その物を使用価値 にする⁴.端的に言えば,我々は鉄や小麦やダイヤモンドなどのような有用な物それ自体すなわち商品体 を,使用価値 や財や品物と呼ぶ.使用価値を考察する際には,一ダース の時計や一エレ のリンネル,一トン の鉄などのような量的に規定されたありかたがつねに前提とされている.諸商品の諸使用価値は,一種独特の学問領野である商品学 の材料を提供する⁵.使用価値はただ使用または消費の中でのみ実現される.諸使用価値は,富の社会的形式にかかわらず,富の素材的内容を なしている.我々によって考察されるべき社会形式においては,諸使用価値は,同時に——交換価値 ——の素材的担い手をなしている.
(Marx1867: 2) (2)ドイツ語第二版
ある物がもっている有用性は,その物を使用価値にする⁴.しかし,この有用性は空中に浮いているのではない.この有用性は,商品体の諸属性に条件付けられているので,商品体なしには存在しない.そのため,鉄や小麦やダイヤモンドなどのような商品体それ自体が使用価値または財なのである.商品体のこのような性格は,その使用属性の取得が人間に費やさせる労働の多少にはかかわりがない.使用価値を考察する際には,一ダースの時計や一エレのリンネル,一トンの鉄などのような,その量的に規定されたありかたがつねに前提とされている.諸商品の諸使用価値は,一種独特の学問領野である商品学の材料を提供する⁵.使用価値はただ使用または消費の中でのみ実現される.諸使用価値は,富の社会的形式にかかわらず,富の素材的内容をなしている.我々によって考察されるべき社会形式においては,諸使用価値は,同時に,交換価値——の素材的な担い手をなしている.
(Marx1872a: 10–11) (3)フランス語版
ある物がもっている有用性は,この物を使用価値にする¹.しかし,この物の有用性は漠然としたものではない.その有用性は,商品体の諸属性によって規定されており,商品体なしには存在しない.鉄や小麦やダイヤモンドなどのような,こうした物体それ自体〔corps lui-même〕が,結論から言えば使用価値であり,その諸々の有用性の取得が人間に費やさせる労働の多寡がその物体それ自体に〔使用価値という〕この特徴を付与するわけではない.使用価値を問題とする場合,一ダースの時計や一メートルのリンネルや一トンの鉄などのような一定の量は,つねに暗黙の了解事項である.諸商品の諸使用価値は,ある専門的知識や科学や商業的日課の原資を提供する².諸使用価値は,それが使用または消費されることでしか実現されない.諸使用価値は,富の社会的形式にかかわらず,富の素材 〔la matiere de la Richesse〕をなしている.我々が検討しなければならない社会においては,諸使用価値は,同時に,交換価値の素材的な担い手〔soutiens matèriels〕である.
(Marx1872b: 13–14) (4)ドイツ語第三版
ある物がもっている有用性は,その物を使用価値にする⁴.しかし,この有用性は空中に浮いているのではない.この有用性は,商品体の諸属性に条件付けられているので,商品体なしには存在しない.そのため,鉄や小麦やダイヤモンドなどのような商品体それ自体が使用価値または財なのである.商品体のこのような性格は,その使用属性の取得が人間に費やさせる労働の多少にはかかわりがない.使用価値を考察する際には,一ダースの時計や一エレのリンネル,一トンの鉄などような,その量的に規定されたありかたがつねに前提とされている.諸商品の諸使用価値は,一種独特の学問領野である商品学の材料を提供する⁵.使用価値はただ使用または消費によってのみ実現される.諸使用価値は,富の社会的形式にかかわらず,富の素材的内容をなしている.我々によって考察されるべき社会形式においては,諸使用価値は,同時に,交換価値——の素材的な担い手をなしている.
(Marx1883: 2–3,岡崎次郎訳『資本論①』73頁) この箇所においてようやく『資本論』本文において「使用価値」に加えて「交換価値」の概念が登場する.ただし,これらの用語は,マルクスの独創ではない.アダム・スミスは『国富論』の中で「使用価値」と「交換価値」についてすでに次のように説明している.
価値 (VALUE)という言葉には二つの異なった意味があること,すなわち,ある特定の対象の効用(utility)をさす時と,その対象を所有しているがゆえに生じる他財を購買する力(power of purchasing)をさす時がある,ということに注意しなければならない.前者を「使用価値」(value in use),後者を「交換価値」(value in exchange)と呼ぶことができる.
(Smith1789: 42,高哲男訳『国富論(上)』63〜64頁) 文献 Barbon, Nicholas, 1696, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Considerations about raising the Value of Money, London.(京都大学貴重資料アーカイブ,京都大学法学研究科所蔵,2018年)
Marx, Karl, 1859, Zur Kritik der politischen Oekonomie, Erstes Heft, Berlin. (British Library, 2018)
Marx, Karl, 1867, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, Erster Band, Buch 1: Der Produktionsprocess des Kapitals, Hamburg. (Bayerische Staatsbibliothek, 2014)
Marx, Karl, 1872a, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, Erster Band, Buch 1: Der Produktionsprocess des Kapitals, Zweite verbesserte Auflage, Hamburg. (British Library, 2016)
Marx, Karl, 1872b, Le capital, traduction de M. J. Roy, entièrement revisée par l'auteur, Paris. (University of Oxford, 2006)
Marx, Karl, 1883, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, Erster Band, Buch 1: Der Produktionsprocess des Kapitals, Dritte vermehrte Auflage, Hamburg. (University of Michigan, 2006)
Peregrinus, Petrus, 1558, De Magnete, seu Rota perpetui motus, libellus, Avgsbvrgi in Svevis. (Bayerische Staatsbibliothek, 2012)
Smith, Adam, 1789, An Inquiry Into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, Vol.Ⅱ, the fifth edition, Dublin. (Harvard University, 2007)
マルクス,カール 1972『資本論①』岡崎次郎訳,大月書店.
ミッチェル,アランナ 2019『地磁気の逆転』熊谷玲美訳,光文社.
スミス,アダム 2020『国富論(上)』高哲男訳,講談社.
鈴木一策 2014『マルクスとハムレット』藤原書店.
森下宏美 2010「マルクス「1861-63年草稿」ノート第ⅩⅩ-ⅩⅩⅢ冊「追補」の分析」『季刊北海学園大学経済論集』58(1).
山本義隆 2003『磁力と重力の発見 1 古代・中世』,みすず書房.
山本充義・川口芳弘 2009「中国古典に見える電気」『電気学会誌』129 (11).