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〔抄訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)

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【資料公開】荒川幸也「【抄訳】ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)」(researchmap)


はじめに

 以下では,ニコラス・バーボン(Nicholas Barbon, 1640–1698)著『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究:ロック氏の貨幣の価値の引上げについての考察に答えて』(ロンドン,1696年)(Nicholas Barbon, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Confiderations about raising the Value of Money, London, 1696. 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ,京都大学法学研究科所蔵,2018年)の翻訳を試みる.

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(Barbon1696,京都大学法学研究科所蔵,京都大学貴重資料デジタルアーカイブより)

 マルクスは『資本論』の注の中で,バーボンのこの著作から何度か引用している.またケインズやシュンペーターのような経済学者たちも,バーボンから影響を受けたとされる.バーボンの著作は,経済学史において重要な役割を果たしている.バーボンの邦訳としては,『交易論』(東京大学出版会, 1966年)が出版されている.
 バーボンの著作からの画像の利用にあたっては,令和2年12月9日付で訳者(私)が京都大学法学部に特別利用願を申請し,令和3年2月1日付で山本敬三(京都大学大学院法学研究科長,敬称略)による承認のもと,特別利用許可をいただいた.書類申請の際には京都大学法学部図書室の辰野さんのお世話になった.申請に携わっていただいた皆様にあらためて感謝の意を申し上げる.

底本

Barbon, Nicholas, 1696, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Confiderations about raising the Value of Money, London. (京都大学貴重資料デジタルアーカイブ,京都大学法学研究科所蔵,2018年)

ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)

富,および諸物の価値について

 ロック氏の著作*1にある,貨幣価値の引き上げに反対する議論はすべて,「銀には内在的価値(Intrinsick Value)があり,それは一般的な同意が銀につけた価格または評価であり,それによって銀が他のすべての物の価値の尺度となる」*2という単純な仮定から引き出されている.このことが真実でなないならば,彼のすべての結果は間違いであるに違いない.
 そして彼が述べていることを証明するためには,(RICHES)一般を論じ,諸物の価値がいかにして生まれるのかを示す必要があるだろう.
 (Riches)とは,大きな価値のあるような,あらゆる物を意味する.
 価値(Value)とは,諸物の価格(Price)と解されるべきである.つまりそれは,どんな物も売却されるほどの値打ち(worth)があるということである.古い諺によれば,〔どんな物も〕売却されうるだけの価値がある(Valet quantum vendi potest).
 あらゆる物の価値は,その用途(Use)から生じる.
 何の用途もない物には,何らの価値もない.英語の慣用句にあるように,それらは何の役にも立たない(They are good for nothing)*3.
 使用することですべての物が価値を持つような二つの一般的使用がある.それは即ち,身体の諸欲求を満たすのに役立つか,精神の諸欲求を満たすのに役に立つかのいずれかである*4.
 身体の諸欲求を満たすための必要性から価値を有している諸物は,あらゆる種類の食べ物や自然物のように,生活を支えるのに役立つようなすべての諸物である.
 精神の諸欲求を満たすために役立つことによって価値を持つ諸物は,欲望を充足するようなすべての物であって(欲望(Desire)は欲求(Want)を含意している.欲望は精神の食欲であり,身体にとっての渇望と同様に自然なものである)*5そのようなものは,生活の安寧や喜悦や華美に貢献することによって,精神を充足するのに役立つ.
 これら二つの一般的諸欲求を満たすことによって,あらゆる種類の物が価値を持つ.だが,それらの中でも最も多くのものは,精神の諸欲求を満たすことによってその価値を持つ.最も価値のある諸物は,あらゆる種類の高級カーテン・金・銀・真珠・ダイヤモンド・そしてあらゆる種類の宝石などのように,生活の華美を飾るために使用される.それらは装飾したり着飾るために使用される.それらは富の徽章であり,それらは人びとの間の選好を明瞭に区別する役割を果たす.
 これら二つの一般的な諸欲求は,人類が生まれつき持っているものであり,人類にとってごく自然なものであるため,人類は自らが享受するものよりもむしろ自らが欲求するものによってよりいっそう区別される.貧しい男は一ポンド,金持ちの男は百ポンド,他の者たちは数千ポンド,ある君主は数千万ポンドを欲する.欲望と欲求は富とともに増大する.そこから,満足した人こそが唯一の富豪の人であるといえる.なぜなら彼は〔これ以上〕何も欲しないからである.
 身体の諸欲求を満たし生活を支える諸物は,実質的かつ自然的価値を持つと見做してもよいであろう.それらはいつでもどこでも価値のあるものである.そしてもしそれ自身のうちに内在的価値を持ち得る諸物があるならば,それらは畜牛とトウモロコシであろう.そしてそうであるがゆえに,賎民は家畜を数え上げる(Pauperis est numerare pecus)という諺によれば,古代の時代には富の計算は畜牛の数によって行われていたのである.
 金と銀には実質的な内在的価値があり,それらはひとえに富や財宝と見做されるべきである,という意見もある.
 これは,オウィディウスがミダースの物語によって反論しようと努めている古代の意見であったように思われる.バッコスはミダースにより饗宴でもてなしを受けたことから,返礼として,其方の望むものを何でも与えよう,と彼に話した.そして金こそ唯一の富であるという意見から,自分の触れるものは何でも金に変えてほしい,とミダースは望んだ.彼の願いは聞き入れられ,彼は歓喜した.だが,空腹になったことで,自らの過ちを確信した.なぜなら,彼がワインと肉に触れるやいなや,それらはすぐさま金に変わったからである.もしミダースがその渇きを癒すには金よりも水の方が価値があるという経験をした後,バッコスが自らの親切なもてなしのために川へ行水するよう彼をやり,彼の金を水へと転換するように彼を仕向けておかなかったとしたら,ミダースは餓死していたであろう.
 精神の諸欲求を満たす諸物は,ただ評判だけを頼りにしている想像上の価値,すなわち人工的価値しか持っておらず,そしてそれらの物の諸価値は,それらの物を使用する人たちの気分や気まぐれにつれて変化する.それは,流行遅れであるがゆえにその価値を失う高級な衣服のようである.
 諸物の価値を創出するのは,諸物の機会と有用性である.そして諸物の機会や使用の観点では,諸物をより大きな価値やより小さな価値のものにするのは,諸物の豊富さや希少性である.豊富さは諸物を安価にし,希少性は諸物を高価にする.
 この法則によってあらゆる物の価値は統制されている.なぜなら,諸物の価値がもっぱらその使用にのみ頼り切っている場合,もしそれらが使い切れる以上にあるならば,残りは何ら使用することも,何らの価値を有することもあり得ないからである.身体と精神の二つに共通の諸欲求は,食料品か装飾品のいずれかに向けられている.食料品向けの品物は腐りやすく,もし期限内に使用されなければ無駄となって何の役にも立たない.そして,装飾品向けの品物は,豊富さがその品物を普通かつ安価にし,その用途を失わせ,そしてそれゆえにその価値を失わせる.
 珍しさと希少性が,装飾品向けに使用される諸物の価値を決める主要な理由なのであって,それ自体におけるいかなる優れた性質もその〔物の価値を決める主な〕理由ではない.このことが,金のブレスレットよりもガラスビーズのブレスレットの方がギニー〔金貨〕上ではより一層の価値がある理由である.ガラスを作る技術に通じておらず,ガラスよりも金を豊富に持っている人々にとっては,〔金のブレスレットよりもガラスビーズのブレスレットの方が〕より一層珍しい.同じ理由から,鉄鉱山がなく銀鉱山が豊富にある諸国では,〔銀製の諸物よりも〕ナイフと鉄製・鋼製の諸物の方が,より一層の価値がある.もし諸物の価値がそれに付属している性質から生じるとすれば,鉄製・鋼製の諸物は,銀製の諸物よりもはるかに有用であるがゆえに,より一層の大きな価値を持つはずである.
 価値(Value)と効力(Vertue)の区別がつかないことほど,この論争を悩ませるものはない.
 価値とは,諸物の価格に過ぎない.価値は決して確かなものではあり得ない.なぜなら,〔もしそうであれば〕それはいつでもどこでも同一の価値でなくてはならなくなるからである.したがって,どんな物も内在的価値を持ち得ない.
 だが,諸物はそれ自身のうちに,あらゆる場所で同一の効力を有する内在的効力(Intrinsick Verture)を持っている.鉄を引きつける天然磁石や,香草や麻薬に付属するいくつかの性質,ある下剤,ある利尿剤などのように.しかし,これらの諸物がたとえ大きな効力を持っていても,それらが豊富な場所か希少な場所かによって価値や価格が小さかったりあるいは全くないということもあるかもしれない.赤い刺草のように止血するのに優れた効力があるものの,しかしここではそれはその豊富さから無価値な雑草である.そして,香辛料や麻薬も,それら自身の生まれ故郷では何の価値もなく,ふつうの低木や雑草のようなものであるが,我々にとっては大きな価値があり,どちらの場所でも同一の優れた内在的効力がある.
 普通の諸物には何の価値もない.人が蒐集のために持っていたであろうもののために支払おうとする人はいないからである.
 同一の用途でもない限り,或る商品の豊富さが別の商品の価値を変えることはない.鉄や鉛の豊富さが,トウモロコシや布のいずれかを,より安価にしたりより高価にすることはないであろう.なぜなら,鉄や鉛はどちらも食料品や衣料品の欲求を満たすことはできないからである.
 金と銀は,鉛や鉄と同様,商品である.その豊富さや希少性に応じて,それらで作られた諸物が,より高価になったり,より安価になったりする.金製・銀製の食器や刺繍などであっても,それらがトウモロコシ・布・鉛・鉄などをより高価にしたりより安価にすることはできない.なぜなら,それらはこれらの商品の諸用途を供給することはできないからである.
 同等の価値を持つ諸物には,差異や区別はない.或る商品は,同一の価値を有する別の商品と同等の財である.百ポンドの値打ちがある鉛や鉄は,百ポンドの値打ちがある銀や金と同等の価値がある.また百ポンドの値打ちがある布は,百ポンドの値打ちがある上質な布と同等の価値がある.百ポンドの値打ちがあるトウモロコシや畜牛を持っている人は,百ポンドを金銭として持っている人と同等の富豪である.というのは,彼のトウモロコシと畜牛はすぐに大金へと換金できる可能性があるからである.商人や貿易商たちは,常に自分たちの金銭を諸々の商品に交換している.なぜなら,彼らは金銭よりも諸々の商品によって,より多くのものを得ることができるからである.そのような商品は,それらが最も不足しているところに輸送するか,あるいはそのような諸商品の姿形を変えることでより有用なものとなり,かくしてより多くの価値のあるものとなるからである.

 ところで,あらゆる物の価値がその用途から生じるならば,豊富さや希少性が諸物を高価や安価にするならば,銀が幾つかの用途のための商品であり,ある場所では他の場所よりも豊富であるとすれば,その場合には銀が確かな価値即ち内在的価値を持ち得ないということが,必然的に出てくるに違いない.銀が不確かな価値を持つものであるならば,それは商業と交通の道具には決してなり得ない.というのも,それ自身の価値が不確かなものが,別の価値の確かな尺度となることは決してあり得ないからである.

 ロック氏はこの結果に同意しており,21ページで金や鉛その他の諸金属は不確かな価値の諸商品であり,したがって他の価値の尺度にはなりえないと認めている.しかし,どうして彼があらゆる議論で一緒になっていた銀を金から分離したのか,或いはどうして彼が銀を他の金属と同様に一つの商品とすべきではないとしたのかが私にはわからない.もし彼がそれを認めていれば議論を大幅に短縮できたはずである.

 ロック氏が「銀の内在的価値は,一般的な同意が銀につけた評価である」と言っている意味が私にはよくわからないのでうまく答えられないかもしれないがご容赦いただきたい.もしロック氏の言う「一般的な同意が銀につけた評価」が,人類が銀に一定の固定価格を設定することに合意したことを意味するのであれば,いつ,どのようにしてそのような合意がなされたのかを彼は説明すべきであるが,私はそのような話を聞いたことがないと告白しなければならない.もしそんな話があったとしても,それは最近のことに違いない.なぜなら,ゴールドスミスの中には,その交易を長く続けていながら,同じスターリングシルバーを1オンスあたり4シリング8ペンス,4ポンド10ペンス,5シリングで買って,その対価として1オンスあたり5シリング8ペンス,5ポンド10ペンス,6シリングを支払った者はいないからである.

 もしロック氏が言う「一般的な同意が銀につけた評価によって」,すべての政府が銀貨を重量と純度の両方で同等にすることに同意したことを意味するのであれば,それもまた間違いであることがわかるだろう.なぜなら,ヨーロッパのすべての政府の銀貨は,一度や二度は引き上げられたり,変更されたりしたからである.そして,貨幣についての議論や,いくつかの硬貨の額面に示されているように,すべての政府は純銀の量を同等にすることに同意しなかったのである.

 「富,および諸物の価値について」というこの論究で私が証明しようとしたことは,以下の五つの若干の格率であるが,これらは今後使用する機会があるため,ここにまとめておくことにした.すなわち,

1.どんな物もそれ自体に価格や価値を有するのではないこと.
2.あらゆる物の価格や価値は,それを使用する機会や用途から生じること.
3.豊富さと希少性は,その機会に関して,物の価値を大きくしたり小さくしたりすること.
4.ある商品の豊富さや希少性が,同じ用途ではない他の商品の価格を変えることはないこと.
5.交易や商業においては,諸々の商品価値が同等ならば,それらの商品に差異はないということ,つまり,ある商人にとって鉛や鉄の20シリング分の価値は,銀や金の20シリング分と同じだけの価値があるということ.

貨幣,およびいくつかの鋳貨の額面について

 ロック氏は22ページで次のように述べている.「貨幣が鋳造されていない銀と異なる唯一の点は,貨幣の量目と純度との公的保証としてそこにふされている刻印によって,貨幣の各個片に含まれる銀の量が確認される点にある.」
 「人類が他の諸物の価値を評価し,そしてそれら〔他の諸物〕に対して支払うのは,彼らが授受したり契約したりする銀の量であり,かくして銀は,その量によって,商業の尺度となる.」*6

 ここで我々のあいだの問題は,次の通りであろう.すなわち,貨幣が唯一その価値を持つのは,鋳貨の各個片に含まれる銀の量によるものであろうか?もしくは,貨幣は,それが鋳造されるところの政府の権威によって,各個片に含まれる銀の価値をも上回る何らかの価値を持つのではないか?
 この問題に対してより適切に回答するためには,貨幣の一般的なものと,そしていくつかの鋳貨の額面について論究する必要があるだろう.

 貨幣とは,公的権威の刻印によって金属の一個片に与えられた価値であり,これは通常,その押印を持つ金属の価値よりも大きい.
 それぞれの貨幣の各個片の価値は,その各個片の刻印・大きさ・色の違いによって知られる.

訳注

*1:ジョン・ロック(John Locke, 1632–1704)の以下の著作を見よ.
John Locke, Some Considerations of the Consequences of the Lowering of Interest, and Raising the Value of Money. In a Letter to a Member of Parliament. London, 1692.(ジョン・ロック『利子の引き下げ及び貨幣の価値の引き上げの諸結果に関する若干の考察』ロンドン,1692年.)
John Locke, Further Considerations Concerning Raising the Value of Money. Wherein Mr. Lowndes's Arguments for it in his late Report concerning An Essay for the Amendment of the Silver Coins, are particularly Examined. London, 1695.(ジョン・ロック『貨幣の価値の引き上げに関する再考察』ロンドン,1695年.)
ジョン・ロック『利子・貨幣論』田中正司・竹本洋訳,東京大学出版会,1978年.
*2:「銀は,世界のあらゆる文明化され交易を営んでいる地域における,商業の道具であり尺度(Measure)である.
 それはその内在的価値によって商業の道具となる.
 貨幣とみなされる銀の内在的価値は,一般的同意が銀に与えるその評価にあり,それによって銀は他のあらゆる事物に対して等価物になり,その結果それは,人々が高価な代償を払って購入したり手離したりしようとする他の諸物品と交換に授受する普遍的交易品または交換手段(Exchange)となる.」(Locke1695: 1–2,田中・竹本訳225頁)
*3:「すべての商品の価値はその使用(Use)から生じる.何の使用もしない物は,英語の言いまわしでいえば,それらは役に立たない(They are good for nothing)から,価値をもたない.」(Barbon1690: 13,久保訳16頁)
*4:「諸物の使用は,人間の諸々の欲求(Wants)と必要性とをみたすことである.人間が生れながらにしてもっている,二つの一般的な諸欲求がある.すなわち身体上の諸欲求と,精神上の諸欲求である.これら二つの必要性をみたすうえで,地球上のすべての物は有用となり,したがって価値をもつのである.」(Barbon1690: 13–14,久保訳16頁)
*5:「精神上の諸欲求をみたすことによりその価値をもつ商品とは,欲望(Desire)を満足させうるようなすべての物である.欲望は欲求を含んでいる.欲望はその魂の食欲であって,空腹が肉体にとって自然的なのと同様に,その魂にとって自然的なのである.」(Barbon1690: 14–15,久保訳16〜17頁)
*6:「二,人々が他の諸物の価値を評価し,それら〔他の諸物〕に対して支払うのは,彼らが授受したり契約したりする銀のによってである.かくして銀は,そのによって,商業の尺度となる.
 (中略)
 四,貨幣が鋳造されていない銀と異なる唯一の点は,貨幣の量目と純度との公的保証としてそこにふされている刻印によって,貨幣の各個片に含まれる銀のが確認される点にある.」(Locke1695: 22–23,田中・竹本訳246頁)

文献

Barbon, Nicholas, 1690, A Discourse of TRADE. London.(ニコラス・バーボン『交易に関する論究』ロンドン,1690年.)
Locke, John, 1692, Some Considerations of the Consequences of the Lowering of Interest, and Raising the Value of Money. In a Letter to a Member of Parliament. London.(ジョン・ロック『利子の引き下げ及び貨幣の価値の引き上げの諸結果に関する若干の考察』ロンドン,1692年.)
Locke, John, 1695, Further Considerations Concerning Raising the Value of Money. Wherein Mr. Lowndes's Arguments for it in his late Report concerning An Essay for the Amendment of the Silver Coins, are particularly Examined. London.(ジョン・ロック『貨幣の価値の引き上げに関する再考察』ロンドン,1695年.)
・バーボン,ニコラス 1966『交易論』/ダドリー・ノース『交易論』久保芳和訳,チャールズ・ダウナント『東インド貿易論』田添京二・渡辺源次郎訳,アダム・スミスの会監修,初期イギリス経済学古典選集2,東京大学出版会.
ロック,ジョン 1978『利子・貨幣論』田中正司・竹本洋訳,アダム・スミスの会監修,初期イギリス経済学古典選集4,東京大学出版会.

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