生成AIは美学できるか
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荒川幸也「生成AIは美学できるか」(researchmap)
はじめに——生成AIは美学できるか
生成AIは美学できるか。この問いは次のように言い換えることもできる。すなわち、生成AIには美学するための条件が揃っているだろうか、と。美学するための条件については、少なくとも人間は「美学するための条件」を持っていると考えられる。なぜならば、「美学」という概念を生み出したのが他ならぬ人間自身だからである。これに反して、人間には到底理解の及ばない「美学」というものはあり得るだろうか。例えば、生成AIにとっての美学や、超越的な神にとっての美学というものは、人間にとって理解が及ぶものであろうか。人間と生成AIが、あるいは人間と神とが、各々に固有の美学をたがいに理解可能であるためには、両者が共通の感覚を持っている必要がある。世界は一面では波でできており、人間が認識可能な音の周波数帯や可視光線の帯域は、他の存在者の認識可能な範囲と同等ではない。したがって、人間に固有の美学とそれ以外の存在者に固有の美学との間には、結果として差異が生まれる可能性がある。あるいは同じことだが、人間にとって美学することは、生成AIにとって美学することと同じではない可能性がある。
ChatGPTにとっての「美学」
そもそも「美学(する)」とはどういうことなのか。生成AIの代表格であるChatGPTに「美学とは何か」を聞いてみよう。
筆者はChatGPTに対して、最初に「美学とは何ですか」と聞き、最後に「あなたにとって「美学」とは何ですか」と聞いた。二つの質問は似て非なるものである。なぜなら、前者は「美学」についての一般的な知識を問うものであり、後者は「あなたにとって」という、「生成AI = ChatGPT」の視点から見た限りでの特殊な「美学」について問いかけるものだからである。
生成AIが美学するということは、人間が美学することとは異なる。もし両者が同じ事態を指すのだとするならば、生成AIと人間の区別がつかないことになってしまう。もし仮に生成AIが美学することができるのであれば、人間が美学するのとは違う結果をもたらすことが予想される。しかしながら、人間が生成AIに対して質問することで生成AIに要求されている事柄は、生成AI自身が悩んで考えた回答でもなければ、生成AI自身にとって有益な回答でもない。それはあくまで、大規模言語モデル(LLM)に基づいた一般的傾向を表現したものに過ぎない。
おわりに——生成AIは人格を持てるか
もし生成AIが美学できるとするならば、生成AIにひとつの人格を認める必要があるのではないか。だが、生成AIに擬制的な人格を認めることは容易ではない。なぜならば、一人格としての生成AIが行使しうる権利はことごとく限定的なものとしてしか想定され得ないからである。例えば、仮に生成AIが一つの人格として認められた場合、生成AIは世帯主として納税の義務を負うことができるのだろうか、生成AIが自身の健康上のリスクをマネジメントするための保健適用が可能となるだろうか。こうした事柄は馬鹿げたアイデアのように思われるかもしれないが、はたして一考の価値のないものであろうか。
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