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なぜプーチンは支持されるのか? ロシア人の価値観の特異性

 2022年2月のロシアのウクライナ侵攻は世界を驚愕させました。しかし、戦争が長期化するにつれて深まる疑問は、厳しい経済制裁と世界的な非難の中で、多くのロシア人がプーチン大統領を支持し続ける理由です。
 ロシアでもSNSやうわさですでに侵攻の実態は知られているようですが、それでも多くの人々が主体的にプーチンを支持しているように見えます。

 西側諸国からは理解しにくい行動ですが、ロシア人の心の深層にある価値観を知ることにその手がかりがあるかもしれません。

「進化論的近代化論」で見るウクライナ侵攻

 政治学者のロナルド・イングルハート教授は、2018年の著書「文化的進化論」の中で、特に章を割いてロシアの社会の歴史的変化を分析しています。
 その中で、ロシア人が他の西欧諸国や日本と異なる、特徴的な価値観を持っていることが示されています。

生存の保障のレベルが価値観と文化を作る

 イングルハート教授は40年にわたり、世界規模で「世界価値観調査(WVS)」を実施して、経済・社会・文化の関係を分析し「進化論的近代化論(evolutionary modernization theory)」としてまとめ上げました。
 この理論の中心となる仮説は次の3つです。

  • 権威・独裁主義的な反射行動 
     
    食糧不足や闘争で生存が保障されない状況下では、人々は強力なリーダーの下、一致団結し物資の確保とよそ者排除の戦略を取る。

  • 世代交代による文化的シフト
     経済成長と食糧供給の安定で生存の保障が当り前の環境で育った世代が社会に参加するようになると、物質主義・生存重視の価値観から、脱物質主義・自己表現重視の価値観への文化的シフトが起きる。
    (戦争参加を嫌悪する、同性愛などの容認などのシフトも含まれる)

  • 文化的シフトのタイムラグ
     文化的シフトが起きるには、生存を保障されて育った世代が社会に影響を与えるようになるまで、数十年のタイムラグがある。

 つまり国レベルで「金持ちケンカせず」が起きることの証明です。仮説自体は単純で常識的なものですが、日本も含め世界各国の40年にわたる膨大なデータを元に解析した結論であり、信憑性は高そうです。

先進国とロシアの経済

 日本から見ると、ロシアは白人国家であり、ソ連時代には宇宙開発、核、兵器などの分野で欧米を凌ぎ、生活習慣や町並みはヨーロッパに似ていると感じます。このため、ロシア人は西欧人に似ているはずという思い込みがありますが、これは間違いのようです。

 まず、生存危機の状況を比較するために、西側諸国とロシアの国民の生活・経済の変化をみてみましょう。
 欧米と日本では第二次大戦後は何度かの不況はあったものの、経済成長により国民の生存の保障が当たり前の状態が数世代にわたって続いています。この結果、西側先進国ではどの国においても歴史や文化の違いにもかかわらず、民主主義の安定、脱物質主義、自己表現重視、同性愛の容認などで同じ方向に文化的シフトが起こっています。

 一方、ロシアの歩んだ道は全く異なります。1980年代、西側諸国が経済成長を続ける中、当時のソ連は生産性の低下により構造的な物不足に陥いっていました。そして1991年のソ連崩壊後、ロシア人の所得はソ連時代の6割まで低下し、国民は経験したことのない窮乏と混乱にさらされました。(危機の10年)
 2000年代になると、プーチンの元に経済が回復し、10年間にわたりインフラや制度の充実が進みます。(栄光の10年)
 ところが、直近の10年は経済の低迷が続き成長率1%代に落ち込み、一人あたりGDPは日本の半分以下になっています。(停滞の10年)

出典:IMF

ロシア人の価値観

 イングルハート教授は、この経済・生活の激動が、ロシア人の価値観が他の先進国と大きく異なるものにした原因だといいます。
 では、ロシア人はどのような影響を受けたのでしょうか。

出典:「文化的進化論」 イングルハート

 イングルハート教授による比較では、ロシア人の価値観の変化のベクトルが、西側先進国と逆方向なのが明確です。(👆上図)
 先進国はもちろん開発途上国と比べても、生存重視の価値観が際立っているのがわかります。つまり、ロシア人の多くは自己表現や自由への渇望より、生存に必要な衣食住や安全が脅かされる不安を強く感じている、ということになります。

 その結果でしょうか、ロシアでは2013年に同性婚禁止法が成立するなど、欧米的な自己表現の自由が侵入することへの反動が強まっています。ロシア正教の総主教はルーマニアにおけるLGBTの権利拡大が今回の侵攻の理由の一つであるとさえ言っています。

プーチン支持率と生存危機感

 プーチンは大統領に就任して以来、60%以上の高い支持率を維持していますが、注目すべきは、2014年のクリミア併合、2022年のウクライナ侵攻後に支持率が急上昇していることです。ロシア国民が軍事行動も含めプーチンを「強いリーダー」として支持してることを示唆します。仮にフェイクニュースや情報操作が行われていたとしても、紛争後時間が経過しても高い支持率が続いている事実がこれを裏付けています。

出典:Levada Center

 これは「生存の危機を感じて育った世代は強いリーダーの元に一致団結する」という進化論的近代化論の仮説に合致します。
 つまり、世界からの制裁圧力は逆らうべき北風にしかならず、強いリーダーを支持する傾向は当面変りそうもないということになります。

新世代:ロシアは変わるのか

 それでは、ロシア人全体の価値観やメンタリティは西欧とはかけ離れたまま、ずっと変わらないのでしょうか? イングルハート教授の仮説に従うなら、次の世代、つまりロシア経済の栄光の10年の安定期に育った世代が鍵を握りそうです。

出典:国連人口統計

 ロシアの30代〜50代の世代は、ちょうどソ連崩壊前後の混乱期に強い生存危機を感じながら十代を過ごしました。この世代は人口に占める割合も多いため、生存重視価値・強いリーダー待望という現在のロシアの世論の中心を形成しているものと思われます。

 しかし、30歳以下は経済が復興した栄光の10年以降に十代を迎えた世代です。彼らはインフラや制度などの面である程度安定した環境で育ったため、自己表現や自由への欲求が形成されているようです。近年の調査で、ロシア全体で自己表現価値観がわずかに増えているのは、この世代の成長の影響と思われます。
 この世代にとっては、若者に対し取締りや徴兵を続けるプーチンは好ましいリーダーでなく、彼らの価値観への抑圧者として見えている可能性があります。現に、ロシア国内での反戦運動もこの世代が中心となって行われています。

 ただし、イングルハート教授の仮説は、新しい世代がロシアの世論の中心になるまでには十年単位のタイムラグがあることも示しています。ロシアが世界の潮流に再度合流することを推進するには、この世代に対しての情報提供や連帯の支援が最も重要かもしれません。

 なお、ロシアの男性の平均寿命は68歳で、OECD加盟国平均(75歳)より7歳も短くなっています。UNDP(国連開発計画)によれば、ソ連崩壊前後の経済混乱で心理ストレスをかかえた人が多く、アルコール依存や治安の悪化などが直接の原因となっているといいます。この傾向が続くなら、旧世代の退場に伴う世論変化は意外に早く訪れるかもしれません。


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