見出し画像

早宿題はイクラの得?

「夏休み」というモノがない1年を生き始めてからもう30年以上も経つというのに、8月の終わりになると思うのは

「ああ、もう夏休みも終わりか……」

ということである。

これは、きっと、自分がいま感じていることではなく、自分がかつてこの時期に感じた感慨を思い出しているのだろう。

この時、私が思い出す「夏休み」は、小・中・高のどれかの夏休み、主には小か、中で、大学の「夏休み」は含まれていない。

大学の夏休みは、7月20日に始まるわけでもなく、8月31日に終わるわけでもなく、しかも、普段の学生生活自体が決まった時間に登校しなければならないというわけではない一方で、夏休みにも勉強やら何やらしなければならなかったりして、日常とのコントラストが希薄で、いわゆる「夏休みらしい」という感じがしなかったのだ。

そう。大学時代は、何なら毎日がダラダラとしていてもよい日々で、夏休みだからと言って特別にダラダラしていてよいというワケでもなかったので、「祝祭」としての感触が水割りされていた、という感じなのである。

これに比べ、小学校、中学校、高校時代の夏休みは、キリッと日常の学校生活から断絶され、学校に行かなくてよく、まさに「休み」だった。

もともと「夏」が好きで、「休み」が大好きなのだから、「夏」+「休み」である「夏休み」がキライなワケがなかった。

小学校のころは、毎日のように近所の中学校のプール開放に通っていた。そして、そうめんを食い、麦茶を飲み、スイカをむさぼる毎日だった。いま思い出しても、溜息が出る。そんな毎日を過ごしてみたい、と思う。

夏休みで唯一嫌いだったのが、大量に出る「宿題」で、私は、必ず8月の終わりまで放置していた。

だいたい8月25日を過ぎたあたりから「何とかしなければなるまい」とソワソワし始め、最終的には、9月の第1週目くらいまでの間に、周囲の状況(友だちがどの程度やってきているか)等に照らしつつ、何とかする、のだった。

もともと工作のようなものは大好きだったので、宿題のうちには入らない。作文も、創作で適当なことを書いて出したりしていた。自由研究などは、何をやるかが決められず、最後の最後になって、便所ではたき落とした「便所バチ」(通称)の正式名称を図鑑で調べ、適当な絵を添えて提出したら、理科の最初の授業で褒められたことがあった。

大嫌いなのは「ドリル」の類いで、もう本当に捨ててしまいたかったのだが、そうしたからと言って無くなるわけでもないので、仕方なく、適当な答えでワクを埋めた。

他人のやった宿題を写させてもらう、ということは、なんとなくイヤだった。プライドというわけでもないのだが、やはりズルをしているという感覚があったからだろう。

これに対し、間違っていようが何だろうが、ワクが答えで埋まっていれば、文句を言われる筋合いはない。「不正」や「怠惰」は罰せられる可能性があっても「馬鹿だから」という理由で罰せられるいわれはないのだ。これを「過失責任主義」と呼ぶことを、私は後に大学の法律学で学ぶことになる。

このように、私が「いつも夏休みの宿題を最後の最後になるまでやらなかった」という話をすると、妻は「信じられない……」と言う。

「そんな、宿題を残したまま遊んだって、楽しくないでしょう?」

などと、小学校の女の先生のようなことを言う。

だが、そんなことはない。宿題を積み残していようと、何だろうと、遊べば楽しい。そうだよね?

それで、一方の妻は、どんな夏休みを送っていたのかと言うと、7月20日に夏休みに入るや否や、夏休みの宿題を1週間くらいですべてやり終えてしまっていた、と言うのである。当時の私だったら、信じられない種類の人間だったのだ。

そんな妻は、当時、大体、8月20日を過ぎたあたりから、クラスメイトの親から電話が入り、家に招かれるのだと言う。早い話「宿題を持って来い」というわけだ。

そして、とうの昔にやり終えてある宿題を小脇に抱え、友だちのウチを訪ねると、母親からは満面の笑みで迎えられ、友だちは妻がやり終えた宿題の答えを一生懸命に書き写し、その間、妻は、友だちの部屋の本棚に並んでいる自宅では読むことが禁止されていたマンガ本をのんびりと読んで過した、というのである。

そして、昼には、必ず「高級寿司」が振る舞われた、と言う。

「マジか……」

これを聞いたときだけは、正直羨ましく、思わず声が出た。

「うん。なんか、器も、金色の模様が入っているヤツで、見たこともないようなお寿司」

そうか。そうだったか。「早起きは三文の得」とは言うが、他人よりも早く宿題を済ますということには、こんな効用があったのか。当然と言えば、当然だが、知らなかった……

「でもね。当時は、アタシ、生モノが苦手だったから、それはあんまり嬉しくなかったな」

何という、猫に小判鮫。妻は、私と結婚してから、初めて寿司に目覚めた人だったのである。

「でも、イクラだけは例外だったから、イクラは美味しかったな」

「そうか。イクラは旨かったか……」

うん。イクラだけでも、やっぱり少し羨ましいなあ。ここだけは……

8月の終わりになると、必ずこの話を思い出す。

最近は、新学期の始まる日に、子どもの自殺が多いと聞く。

でも、自殺はしないでほしいなあと、おじさんは思う。

生きていれば、いつか高級寿司を頬張って「生きててよかった」と、心底思える日もあるのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?