アトロク、なろう系特集に向けての基礎講座的な何か
こ~んにちは~! 僕は、 #Web小説 大好き少年、だっよ~~~!
あ~! こんなところで、 #アトロク #なろう系ノベル 特集が、始まるよ~~!!
それじゃあ、「なろう系って何それよくわからない」っていうリスナーのために、僕が基礎知識を事前に連ツイしちゃおっかな~!
●なろうとは、 #小説家になろう と言う、「登録すれば誰でも自由に自作の小説やエッセイをウェブ上で発表できるサイト」である。
つまり、サイトとしてはイラスト発表ができる #pixiv や、動画音声などを配信できる #YouTube #ニコニコ動画 などと同じようなものだと思って、まあ間違いないよ!
他にも似たようなサイトには #カクヨム とか #アルファポリス なんかがあるんだ。
●「なろう系」とは、 #小説家になろう で発表された作品のことである……のかな?
よく「なろう系」と呼ばれる作品があるけれども、実際その言葉には明確な定義なんてないんだ!
けどおそらく一般的に最も通じる意味合いはと言うと、「小説家になろうなどで人気がある、PVが取れるタイプの“テンプレ”作品」と言えるかな?
明確な定義はないけどふんわりとした定義付けがあるという点でいうと、ラーメンにおける「家系ラーメン」みたいな感じかもしれないね?
つまり、「小説家になろう以外で発表されたけれどもこれはなろう系だよね」とか、「小説家になろうにあるけどこれは非なろう系だよね」という言い方もできるのさ!
「小説家になろうサイトにあるのに非なろう系ってどういうこと?」と、そう思う人もいるかもしれないね。
一番分かりやすい例を挙げると、ちょっと前に『君の膵臓を食べたい』という、カニバリズムをモチーフにした猟奇サイコホラー小説が映画化されたよね!
あれも最初に発表されたのは小説家になろうサイトなんだ!
けれどもあれをなろう系として語る人はおそらく一人もいないよね。それは、あの作品が今の小説家になろうサイトで人気のあるタイプの“テンプレ”作品じゃないからなんだ。
……え? 猟奇サイコホラーじゃないの? 嘘!? マジで!?
●「なろう系」は、「なろうテンプレ」と呼ばれる基本フォーマットにだいたい忠実な作品群である。
まあ時代劇なんかもその典型ではあるけど、ある程度人気の集まる設定や展開が、書式化フォーマット化されて、雨後の筍ようにそれの真似をする作品が現れるというのはどこでもある現象だよね!
記憶に新しいものでも、例えば小説『バトルロワイヤル』の大ヒット以降、その真似をしたデスゲーム物が大量に現れて、ジャンル化したし! 次第にただデスゲームをするのではなく、デスゲームを運営する側の内幕を描いたコメディであるとか、デスゲームと恋愛ゲーム、デスゲームとタイムリープをくっつけてみました……みたいなパターンまで出たりして、ジャンルが流行るというのはそういうものなんだよね!
なので、「なろう系」 という呼び方は「デスゲームもの」に類するような一つのジャンルであると考えることは出来るんだ。
そして、先ほど例示した『君の膵臓を食べたい』のような猟奇サイコホラーもの……じゃあなくて恋愛ものは、そういう意味では「なろうで流行りの“テンプレ”を踏襲した“なろう系”ではない」と、言えるんだ!
●「なろう系」は、「異世界転移、転成ものばかり」……とは限らない。
特にアニメ化されている作品……例えば『盾の勇者の成り上がり』、『無職転生』、『転生したらスライムだった件』等々、 比較的有名ななろう系はその多くが、「我々が住んでる現代社会と似たような世界で主人公は一度死に、その後何らかの過程を経て異世界へと生まれ変わり、転生をする」 転生系、または「いわゆるファンタジー的な世界観を持つ異世界から、何らかの方法で召喚されるか、または何らかの偶然により転移する」転移系が多くあります。
そのためこれらの導入を持つことがいわゆるなろう系テンプレと呼ばれるものの条件であると考える人も多いのですが、実のところ必ずしも異世界へと転生・転移するものばかりとは限らないのです。
(……あ、なんかスーパー三助風口調忘れてた! 面倒臭いからやめます!)
で、この傾向の変化には一つのきっかけがありまして、それは小説家になろうサイトの中で、一時期あまりにもファンタジージャンルの内容が異世界転生・転移に偏り過ぎたため、ある種の隔離措置として、「いわゆるファンタジーもの」と、「異世界転生・転移もの」は別カテゴリーとして分類されるようになったからです。
それで、異世界転生・転移ものカテゴリーではなく、あくまでファンタジーものカテゴリーの中で同じ構造を持った話を書きたいという人たちが、 ちょっとひと工夫をします。
それが例えば「同じ異世界の中で転生をする」というものだったりするのです。
「同じ異世界で転生するってどういうこと?」と思われるかもしれませんが、まあ単純な話です。
先ほど「同じ構造の話を書きたい人たち」と言いましたが、いわゆる異世界転生・転移ものにおける一つの重要な要素は、「前世の、または現代日本の記憶、知識などを有したまま別の世界でリスタートすることにより、経験や知識という大きなアドバンテージを持って新たな人生を始められる」というところにあります。
まあ例えばわかりやすいのは、「現在日本でなら誰でも知ってるようなごく普通の知識、又は Wikipedia で調べられる程度の情報」を持ってることで、「科学や文化の発展してない異世界でならば、まるで天才であるかのように扱ってもらえる」……という様な構造です。
ドラマ化もされた大ヒット漫画『仁-JIN-』では、主人公は現代の医学知識を持った腕利きの医者であり、そのため幕末期においてはまだ知られていなかった優れた医学知識や外科手術の腕前を持っています。 それらを駆使することで様々な困難や状況に立ち向かうことがドラマとしてのキモなワケですが、この場合主人公はもともと高名かつ腕の立つ外科医であり、まあ言い換えればもともと天才だったと言えます。
けどそんな天才が主人公の場合、感情移入できますかね? もちろん、天才の様々な活躍を見て楽しむというもフィクションの一つですが、「なろう系」ではあまり歓迎されませんでした。
自分と同レベル、下手すれば自分よりもどうしようもないド底辺のコミクズカス人間が異世界に行ったらちやほやもてはやされる……。そんな状況を読みたい、楽しみたいというのが「なろう系」に求められた「構造」の一つでもあります。
だから、現代社会では例えばブラック労働に従事する社畜であるとか、ニート、引きこもり、元いじめられっ子、ゲーム廃人……というようなネガティブな要素を持った人たちが、異世界へと転生、転移することで(まぁ後述しますが、チートなどの要素も加わり)読者の誰でも知ってるような薄っぺらな知識で周りからチヤホヤされるのです。
例えば、「肉を焼くときは両面焼くと、美味しくムラなく焼けるよ」等などもそうです。
ここで重要なのは、その転生・転移した先の異世界では、そこからさらに何らかの努力研鑽を積まずとも、今のままの自分+神様的な何かから特別に与えられたチート能力だけでその世界にいるほとんどの人間よりも上に立つことができ、かつ周りからチヤホヤされるということです。
『仁-JIN-』の様に「優れた能力や知識を持つ主人公」が、周りからチヤホヤされる、という話を書くためには、その優れた知識を調べ、どう能力が優れているかをきちんと描写し、展開に活かさなければなりませんが、素人にはそうそうそんなものは書けません。
なので、主人公が作者および読者が普通に知ってる程度の知識で、低レベルな文化しか持たない異世界でちやほやされる展開になります。もちろんそのため、異世界の人間は俗にいう白痴結界でどんどんバカになっていきます。
映画、『26世紀青年』で皮肉られた設定が、そのまま「理想の設定」となるのです。
あ、今『26世紀青年』の話をしてしまいましたね。「同じ異世界で転生するもの」というのはこの『26世紀青年』パターンです。
映画、『26世紀青年』 は、現代の世代が知識や教養、学びの重要性というものを軽視し続けた結果、遠い未来の世界ではバカしかいなくなり、人類文明が滅びかけている……という設定のもと、現代においてはごく普通の平凡な男がコールドスリープにより未来世界で覚醒したら、大天才のように扱われてしまう……というコメディです。
「なろう系」 における「同じ世界で未来に転生する」というのはこの構造ですが、コメディではありません。笑いも皮肉も一切なく、「 今の知識や能力を持ったまま、 あらゆるものは今よりも劣化した未来に転生したら最高なのになぁ……」という願望をそのまま描き出します。
「最強キャラのセーブデータを持って新シリーズを最初から楽勝でクリアできるようにしちゃいます」なノリで、過去世界においては何らかの形でトップレベルの戦闘能力を持った主人公が、未来世界に転移するとなぜか大体の場合においては過去よりも文明が退化していて、生まれた途端世界最強みたいな? 的な? ……という形であらゆる存在相手にマウントを取って偉そうなツラをする……というのが、このパターンの肝です。
前世においてトップクラスの戦闘能力を持っていた、と、 前世というか現代日本においてはド底辺だったり平凡だったりで何の取り柄もないけれども、異世界に行ったら天才扱いになっちゃう……という違いはありますが、どちらにも共通しているのは、先ほども書いたとおり、「生まれた瞬間、その世界に存在した瞬間から大きなアドバンテージを持っている(強セーブデータで人生のリスタートをしたい)」と、「周りの人間全てが自分より遥かに弱くてバカであってほしい」ということですね。
言い換えると、「現実にある生まれによる不公平を、個人の努力や研鑽などではない方法で逆転させたい」願望です。
なおまた、ここでは大きく振れず後述しますが、恋愛ジャンルカテゴリーにおいても同じような構造の「なろう系」作品は多数見られます。『お前の膵臓を食べた~い……』、では存在しなかった構造ですが!
●「なろう系」が「デスゲームもの」等のジャンル分けと異なるのは、ギミックではなくそのテーマにある。
先ほど、「なろう系という呼称は、なろうで発表された小説という区分よりは、デスゲームもの、のようなジャンル分けと解釈する方が妥当である」と書きましたが、実はそれらとも違う面があるのです。
デスゲームもの、というジャンル分けは、「この作品内で扱うモチーフがデスゲームである」というものになります。
つまり、ギミック、仕掛けの部分です。
ですが、なろう系と称される区分けでは、例えば「異世界転生すればなろう系なのか?」というように、ギミック、仕掛け、モチーフの部分というのは実は重要ではありません。
作品、物語を読み解く上では、モチーフやギミックといった「何で表現をしているのか?」という部分と、テーマという「何を表現しているのか?」という、それぞれ異なる視点があると思います。
「なろう系」と言う区分けで重要なのは、「何を表現しているのか?」の部分です。
「なろうテンプレ」と呼ばれる型式、フォーマットは、ここで言う「何で表現をしているか?」という部分になります。
実際、なろうテンプレと呼ばれるものの要素の多くは、決して珍奇であったり、物珍しかったりら斬新であったり、独特であったりするものでありません。昔からある物語の形式やパターン、フォーマットからの引用、拝借が多いのです。
というか基本的には、どっかで見たような、あるいは昔からあるようなネタのつぎはぎパッチワークでしかありません。
例えば上でも触れましたが、「死ぬ、または召喚などにより異世界へと転生・転移する」 なんてのは古くからあるファンタジーものの導入の一つです。「前世の知識を持ち、それらを活用して状況を打破していく」のも、まあよくあるお話。
「ゲーム、またはゲームなどの物語そっくりな世界へと入ってしまう」のもそれ自体はあるあるですし、「元のゲームや小説の内容を知ってるから事前に起こることが分かっていて、それによりアドバンテージが取れる、またはそこで起きるはずの危機を回避するために四苦八苦をする」のは、ギミックとしては「過去の自分に戻って人生をやり直す系リプレイもの」の構造と同じでもあります。
「既存のコミュニティ、社会から何らかの理由で追放され、旅や様々な経験を経て帰還する、または新たな生きる場所を見つける」なんてのもそう。
あえて言ってしまえば、そういう「既存の物語の中のよくあるパターン、ギミックが“テンプレ”として再編、定型化された“なろうテンプレ”により何が表現されているか?」
そこがいわゆるなろう系とされるものの核です。
●「マウント! ざまァ! 冷笑主義!」こじらせ中二マインド満載の「ビューティフルドリーマー」達の夢芝居。
先ほど、物語の仕掛けとしてのギミックよりも、そこで表現されてるテーマこそが「なろう系」の核である、と言いました。
そしてそのテーマ……テーマ的なもの……自然と表出され滲み出してしまっているものが何か、ということをものすごくシンプルに言うと、だいたい今あげた三つになります。
ジャンプ漫画の三本柱、「友情、努力、勝利」みたいなリズムでライミングしてください。
はい、「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」
マウント、つまり「他人よりも優位に立ちたいという虚栄心、優越感の充足」。
これが先ほど触れました、転生・転移というギミックが多用される理由の一つです。
よく例示される「なろう系あるある」が、マヨネーズ、またはオセロ、ですね。
マヨネーズもオセロ(リバーシ)も、僕らに現代社会に生きる日本人ならほぼ誰でも知ってる基礎知識みたいなもんですね。
まあ、マヨネーズの具体的な作り方なんてなると、クックパッドか何かの検索情報に頼ることにはなりますが。
とにかくその知識を知っている主人公が異世界に転生・転移しそれらを作り出して、「なんてすごい発明だ! この子は天才だ!」などと称賛されお金もがっぽがっぽ儲かる……なんてのがよくあるのです。同じ原作を使ったパロディ二次創作かっ!? てくらい大量にあります。
これ、まあよくある妄想ネタのひとつですよね。タイムマシンで昔に行って、その時代は発明されてないアイデアを商品化すれば大金持ちになれるんじゃね? 的なやつと同じです。
けどまぁそういうのを物語の中で利用するとなると、やっぱある程度詰める必要がありますよね。その世界の衛生環境とか食材とか、娯楽の傾向がどういうものか、需要と供給のバランスはどうなのか……などなどなど。
またそれらの行動によって、じゃあ物語がどのように展開するのかというのも必要です。
前世知識を利用して大金持ちになりました、わっはっは、で終わるんだったら、別に何一つお話として面白くないですもの。
ちょっと違いますけれども、2020年に生きる僕らがタイムスリップして過去に行き、その時代にはまだ生まれていない名作小説や漫画のネタをパクって物語を作り一儲けしようと企む。(あるいは、ビートルズがデビューする前にビートルズの楽曲を演奏してデビューしちゃう……とか)
まあそうですね、例えば80年代にそういう「未来で売れてるネタ」で漫画雑誌に持ち込みしたとしましょう。
けど、その当時の流行りとか一般的なブームの傾向というものを無視して、突然「バーチャルリアリティのインターネット世界で……」みたいなものを持ち込んでも、サッパリ理解されないなんてのもあり得ます。
今では驚きかもしれませんが、ドラクエが一大ブームになる前は、少年漫画にファンタジー物なんか描いても受けるわけがない、と編集者に言われてたんです。ハリーポッターをパクったネタを80年代ジャンプに持ち込んだとして、それがどんなに面白く再現できてたとしても受け入れられないかもしれません。
ドラえもんの歌じゃありませんが、「こんなこといいな、できたらいいな」とばかりに、願望妄想を物語の中にブチ込む場合、けどそうそううまくいかないよね、と。試行錯誤や失敗や実現させるまでの困難というものをうまく盛り込んでいかないと、物語としては面白くなりません。
あるいはコメディ的に、狙ったのとは全然違う形で成功しちゃった、とか、同じように未来の知識を持ってる奴が別にいて、先にそいつに成功を奪われちゃったとか、一度は成功するも調子に乗って色々やってる内にやっぱり大失敗してしっぺ返しを食らう……とか。まあなんでもいいんですけどね。
とにかく、ただ「こんなこといいな、できたらいいな、そんな願望お気軽手軽に、はいできました!」……な~んてのでは、全く面白くありません。
けど、イーーンデス! 面白くなくて! なろう系においては、面白くなくていいんです。
最初に言いましたよね、なろう系の核の一つはマウントである、と。
つまり、その世界に元々いる住人たちに対してマウントが取れれば、話が面白くなる必要はありません。
『仁』で言うなら、仁さんが緒方洪庵にドヤ顔説教してマウントを取り、ひたすらその時代の医師たちに崇め奉られる。また、その成功を妬む奥医師の小坊主共はケチョンケチョンにやっつける。
別に面白くなくていいんです。マウントが取れれば。
その、「マウント」を取った後に来るのが「ざまぁ」です。
ざまぁ、つまり、「ざまあみろ」ですね。
相手より優位に立ちたい、が「マウント」。そして相手より優位に立ったところで相手が悔しがる姿、苦しむ姿を見下ろして悦に入る、さらには残虐な方法で苦しめ抜いてから殺したりすらする。それが「ざまぁ」です。
まあこれも、ギミックとしてはそれこそ、水戸黄門的な形で、影でコソコソ悪さをしてる悪党をやっつけるとか、古来からの伝統的物語パターンの一つ、復讐ものなどにおいて、かつて自分やその仲間、家族、共同体を苦しめた仇敵を、苦心の末に討ち果たす……と言った「テンプレ」が流用されガチです。
でもね、考えてみてください。
水戸黄門は悪代官をやっつけた後に「ざまあみろ」なんて言わないんです。
バットマンは自分の両親を殺したジョー・チルを捕まえても、「ざまあみろ」なんて言わないんです。
スパイダーマンはベンおじさんを殺した強盗を捕まえた後にも、「ざまあみろ」なんて言わないんです。
非なろう系の物語において、「ざまあみろ」なんて言いながら、自分が負かした相手に舌を出して笑うのは、主人公ではなくて敵の小悪党の役割です。まあ、反抗心の強い若者が、頭の固い保守的で威張り散らすばかりの大人相手に一泡吹かせてやった……みたいなシチュエーションではありでしょうけどもね。
何にせよ、「ざまあみろ」が目的となった時点で、それは勧善懲悪でも復讐ものでもありません。そう、それが「なろう系」です。
なろう系における「ざまあ偏重主義」と言うか「ざまあ依存症」とでも言いますか、その件については以前、『盾の勇者の成り上がり』がアニメ化の際に海外で批判を受けたというネットニュースに対して、日本のファン……と言うかまぶっちゃけ反ポリコレ反フェミニズム系の連中が炎上した際に連ツイをしてますので、良ければそちらもご参照ください。
https://twitter.com/heboya/status/1095941957497409537?s=20
そして、最後のポイント「冷笑主義」。
この冷笑主義という病は、まあ今の日本に蔓延する宿痾のようなものですね。
正義であるとか、理想であるとか、また具体的には人権、男女平等、多様性といった、まあ一般的にリベラルであるとされる思想、美徳を、「現実を見てない理想論だ」と冷笑する。
それでいて、例えば差別に対する反差別を「結局はどちらも自分勝手な正義を主張してるだけだよね」などと言って無効化したがる。
この立場を取りやがる冷笑主義とされる人たちは、それにより「差別者側、反差別者側、どちらに対しても自分はより上の立場で、総合的、俯瞰的に物事を見れて発言できてる」なーんて、信じ込んじゃってるんですね。
まぁまさに典型的なこじらせた中二病ナルシシズムそのものなんですが。
さてまぁ、そういう現実における冷笑主義のことは一旦別に置きまして、それがどうなろう系のなかで現れているのか、核となっているのかについて話を戻しましょう。
いくつかのテンプレ的な例を挙げます。
「この世界は前世のような甘ったるい世界とちがって、命の価値がとてつもなく低いハードな世界なんだ。だから俺もそんなハードの世界に適応して、敵を容赦なくバッタバッタと殺していかなきゃやっていけないんだ」
「人権だの平等だの、そんなの言えるのは脳みそお花畑の理想論さ。この世界では奴隷を買うことは合法なんだ。だから僕が異世界に行った途端、突然前世の倫理観や道徳心なんか忘れて、美少女奴隷を買い漁るのは何も間違っちゃいないんだよ」
あ、テンプレじゃなくて主人公の心の声で書いちゃいましたテヘペロ~。
それは脇役の小物、小悪党が自己弁護してる時の心の声じゃないのかい? って? うん、それは非なろう系においてはその通りですね。でもなろう系においてはこれが「総合的、俯瞰的に合理的で現実的な思考のできるクールな主人公」の言い分なんです。
この辺、間違えちゃいけまないのは、異世界に行った途端に突然シリアルキラーに変貌しちゃうようなキャラクターや、奴隷を買い集めてハーレムを作りたがるようなキャラクターを書くのはけしからんとか、命の価値が軽くて、殺し合いが平然と行われたり、奴隷売買が当たり前になされるの世界を設定するのは良くない、なんて話をしてるわけじゃありません。
この辺のことが俎上に上ると、すぐに「この世界はそういう設定なんだから仕方がないじゃないか!」というような反論する人がいますが、まあそれこそ最初にも述べた通り、「ギミック、設定という何“で”表現をするか」の視点と、「それらのギミック、設定を使って、何“を”表現してるか」の視点の違いが分かってない反論です。
異世界ものでもなろう系でもありませんが、例えば『ヴィンランドサガ』では、古代バイキング社会を舞台とし、まさに「命の価値が軽く、殺し合いや奴隷売買が当たり前のように行われている世界」を舞台にしてますが、そこで表現されてることは何かと言えば、「そういう世界にいれば、人殺しや奴隷売買を当たり前にすることは正しいことだ」なんてことではありません。
どんな世界に設定し描こうと、主人公や作中人物にどんな行動させようと、そんなのは作者の好きにすればいいんです。
ですが、今現在日本の社会で、日本人の読者を想定して物語を紡ぐ以上、そこで何を表現するのかという点において、それら読者の目を意識し、またそれらにより何らかのジャッジをされるのは当たり前の話です。
「なろう系」における「冷笑主義」は、まさにそういう非なろう系の作品で語られるようなテーマを、薄ら笑いを浮かべながら否定し、そのこと自体でマウントを取るような露悪性を指します。
パラドックス的な言い方をしますと、なろう系における冷笑主義って、「アンチ非なろう系作品」なんですよ。
これまで多くの作品などで語られ、論じられ、描かれてきた様々な作品テーマに対して、後ろ足で砂をかけてマウントを取りながら、「あんな生ぬるい理想論や綺麗事を言うような作品はだめだよねww」とせせら笑い、差別やルッキズム、ミソジニーと言った、近頃そのままストレートに表出すれば顔を顰められ批判されるようなものの垂れ流し正当化する……。そういったものです。
● 追放! 断罪! また追放!
それら3つの核が最もわかりやすく表出される「流行りのテンプレ」の一つに、「追放物テンプレ」や「悪役令嬢テンプレ」と呼ばれるものがあります。
追放ものの基本フォーマットは以下のようになります。
転移転生の場合、主人公は集団で召喚されるなど、数人、または大勢の中の一人として異世界へ赴く。
または、貴族の家系に産まれるか、「勇者パーティーの一員」などの状態で物語が始まる。
その中で、例えば転移した集団のリーダー(イケメンリア充っぽいタイプ)の男性などを中心にした“上位”グループ、または貴族社会や家長、勇者などから、役に立たないスキルや職業であるとか、ステータスが限りなく低い、または何らかの理由で低く見えてしまう、或いはなんだか良く分からない適当な理由等で、とにかく主人公は役立たずの無能であるとの烙印を押されてしまい、追放される。
しかし! だがしかし!
例えば主人公のステータスが低く見えたのは、その世界のステータス表示では表示しきれない膨大な能力値を持っていたからで、一見無能に見えたけど本当はものすごい最強ステートタスの持ち主だったのだ……とか!
役立たずのジョブ、スキルと思われていたけど、実はそこには誰も発見していないものすごい秘密の能力の使い方があり、その能力を発見した主人公はメキメキと頭角を現し最強になってしまう……とか!
主人公は控えめで、表立って勇者のような派手な活躍はしない為目立たなかったが、その勇者パーティーのあらゆる細々とした雑務すべてを取り仕切れる有能なエキスパートであった……とか!
まあなんかそんな感じな雑でいい加減な理由で、「実は追放してきた奴ら全員よりも遥かに有能最強無敵なキャラでしたー! はい本当はお前らこそが無能ー!」って事が結構早めに分かって、そこから、「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」が、さーっくれーっつ! しまーす。
まぁなんちゅうか、勤務態度が不真面目で能力もクソな上に怠け者で、コミュニケーションもまともにできないしセクハラとかしやがるからバイトをクビになった奴が、「俺は悪くない、俺は本当は有能なんだ。その俺の有能さを理解できないバイト先の連中が、いや、社会が全部悪いんだ……」とブツブツ言いながら、そのバイト先への恨みつらみを発散するために書いた妄想日記みたいな感じのやつっス。
「悪役令嬢テンプレ」の方は、ざっくり言うとこんな感じです。
・生まれ変わった私が気が付くと、そこはまるで中世ヨーロッパのような不思議な世界。
けれどもこの世界、前世の私が大好きだったゲーム(または漫画、小説)の世界じゃない? しかもその中で私の生まれ変わったのは悪役令嬢……!
主人公、ヒロインのライバルであり、王太子殿下との婚約は破棄され、クライマックスではそれまで行ってきた様々な悪行の為に断罪処刑されてしまう! その不幸な結末バッドエンド回避するためにどうすればいいの……!?
……的なヤツが、まあ山のように海のように、ドバーッとあるんですね。しかもズバーっと商業出版されたりもしてるんですね、はい。飽きないすかねこの人たち。よくわかんないすけど。
まあこのテンプレも、初期の頃はバッドエンドに向かう流れを阻止するために四苦八苦する、という、上の方でも触れました、所謂「人生やり直しリプレイものの亜種」のようなテンプレが基本でした。
ですが次第に、そういうとこってもう分かりきってるし、みたいな感じでそこが省略されて、クライマックスの断罪シーンから始まる、みたいなパターンも増え始めてきます。
悪役令嬢断罪アフターバージョンですね。
つまり婚約破棄されて断罪せれた場面から始まる、的パターン。
いやその状態から始まるって、お前転生したんちゃうん? それドユコト? って言いますと、まあ婚約破棄されて断罪されるところで突然前世の記憶に目覚めちゃって、あぁ、これは前世でよくやっていた乙女ゲームの世界、そして私は今断罪されてる最中なのォ~~!? あンた~~!! みたいなみたいな?
で、そこから話を始めるとしたらその後の展開どうすんの? って思うかもしれませんが、大抵の場合はそこから領地経営をしたりとか、カフェやお店を営んだりとか、よく分かんないスローライフ始めたりとか……いやその展開目指すんだったら冒頭で悪役令嬢として断罪されるって部分何か意味あるの? って思うかもしれませんが、知りませ~ん。
ていうか、なろうなテンプレに「それ、意味あるの?」って、マジ禁句っスから。それ聞いて答えなんか出るわけないっスから。だって意味や意図があってその展開にしてるンじゃなくて、“流行りのテンプレ”だから、その展開してるだけっスから。
で、まあ。
どちらもいわゆるなろうテンプレとしてのテンプレ化をされてますが、個々の要素、展開、ギミックそれ自体は、別に目新しくはないんですよね。
そしてそれらの展開自体が悪いわけでもないんです。
ある集団から放逐されたり追放されたりした者が、様々な経験を経て新たな生き方を模索する話も、また、ある物語的な視点で悪役とされていた存在の別の側面にフォーカスをあてて語り直すというのも、それぞれ悪いネタでありません。
特に悪役令嬢ものをそういう解釈で読み解けば、例えばディズニーにおける『マレフィセント』や『ディセンダント』などディズニーヴィランズの再生にも通じるものがありますし、それこそ『アナと雪の女王』なんて、元々悪役である雪の女王エルサに焦点を当てて新たな物語として語り直すという試みです。
それぞれ、骨格やパーツとしては、そういった過去の名作や、現在進行形で行われてる今の時代の新たな試みとも通じるものはあるんです。
けど……そういうものには「なろう系」ではなりません!
なぜって? いや最初から言ってますが、「何で語るかではなく何を語っているか」、つまりそこで語られてるものが、「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」だからです。
追放ものにおける「勇者パーティーから追放されたけど本当はこっちの方が真の実力者だぜイェイイェイ!」のテンプレって、もう上でもちょっと触れましたけどバイトをクビになったボンクラの逆恨み妄想なワケです。
そして勇者(イケメンリア充)系の人間をとてつもなく馬鹿で無能で俗悪に描く事で、対比的に主人公あげを狙うんですけれども、勇者側があまりにもバカすぎて対比にすらなってなかったり、あるいは逆に理想主義的な事ばかり言う“偽善者”キャラにすることで、「クールで冷静なオレ」感を演出しようとするも、いや単にお前がガチクズなだけやん、になったり、また別のパターンで言うと、主人公側の「いわれなき理由により追放されてしまった被害者感」を演出させる為めちゃめちゃ純真無垢なキャラにしようとして、逆に「主人公が馬鹿すぎね?」という状況になったり……まあそんなんです。
なお、「追放する勇者側がバカすぎね?」のわかりやすい例は、『盾の勇者の成り上がり』で、「逆に主人公がクズすぎね?」の代表は、『ありふれた職業で世界最強』です。
この、「テンプレ的状況を成立させるために周りをとてつもなくバカ、または書き割り的に邪悪な小物にしてしまう」というのは、悪役令嬢テンプレでも頻発し、主人公と婚約破棄をする王子がとてつもなくバカになって、また主人公が知ってる本来の物語上のヒロインが実はものすごいブリッコで男をたぶらかす悪女の本性を持っているだとかにされがちなんですけれども、そうなることで先ほど述べた『アナと雪の女王』や『マレフィセント』のような、「ヴィラン、悪役とされていた者へ焦点を当てた物語の再構築」とはならないのですね。
このやり方は言い換えれば、「エルサを主人公にするから、本来のヒロインのアナをくそバカビッチ女にして悪役にしてぶっ殺す話にしようぜ!」っていうのと同じ構造ですんで。
どちらにも共通しているのは、「本来なら主人公、ヒロインである、正しいとされる者」をただ単純に不当に貶めることでマウントを取り、そいつらがやり返され、苦しむ様を見てざまぁと嘲り冷笑する、と言うのが、これらの「なろうテンプレ」で描かれる一番「ウケる」核の部分だ、と言う事です。
最後にもう一度繰り返しましょうか。
「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」
「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」
●Webノベルブームの流れ着いた最果てのなろう系、その功罪。
「今やネットを通じて誰でも作品を発表できる時代」と、よく言われます。
サイト、「小説家になろう」も含めたWebノベルの現状も、もちろんその流れの中にあります。
さてまぁ、80年代90年代等々に、様々な創作表現活動に関わり、またその中でグツグツに煮詰まっていたような人間からすれば、「誰でも自由に創作発表ができる時代、環境」というのは、夢にも思わなかったすごい可能性に満ちた世界のように思えますね。
一面的にはそれは事実で、ボカロPからアーティストデビューをするだとか、ゲーム実況配信で何百万も何千万も稼げちゃうとか、まあ昔はとてもじゃないが考えられなかったセカイですからね。
と同時に、やはりネット時代の恐ろしさというのは、誰かが言ってましたが、「品質10、認知100」のものの方が、「品質100、認知10」のもよりもはるかにビジネスとして成功する、という構造ができているというところにもあります。
「なろうテンプレの功罪」と言う語りで言うのであれば、功……というか、利なんですが、書き手個人にとっての「なろうテンプレにそのまま添う事の利」は、まさに「認知ポイントを手軽に嵩上げ出来る」と言う点にあります。
罪、は現状はっきり言ってしまうと、「認知ポイントを嵩上げできる変わりに、品質が全く向上しなくなる」という点です。
「いやいやそんなことはないだろう、最初は定番のテンプレやパターンに則って書いて行って、それによりどんどん腕は上がってくし品質だって良くなるんじゃないか?」なんて思った人もいるかと思いますが、それは、「なろうテンプレではない一般的なジャンルの定番パターンや型を使った場合には」ですね。
なろうテンプレではそれはありません。
それは何故かと言えば、最初から言ってる通りになろうテンプレはギミック、つまり作劇の際に利用するツールではなく、それ自体がテーマだからです。
例えばゾンビものというジャンル。
今更言うまでもない有名な話ですけれども、ロメロが最初に作ったゾンビに込められたテーマは、「マイノリティとマジョリティが逆転する世界における恐怖」ですよね。
つまりゾンビものという型枠、テンプレの中に、作者が各々様々なテーマを盛り込むことができるわけです。
型の中に自分の主張やテーマを込めることができるから、そこに創意工夫が生まれ、腕が磨かれて、結果作品としての品質も上がっていく。
ですが上でも触れた通り、なろうテンプレというのは「物語を語るツール、構成する為のギミック」部分は、それまでにあった様々な作品からのつぎはぎ寄せ集めでしかありません。
そしてその中に込めるテーマは、「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」といった、まあ何ですかね、人としてド底辺の人間が持つ薄汚い願望と言いますか妄想と言いますか、そういったものです。
それを外すとなろう系じゃなくなっちゃうんですね。つまり、なろう系のなろうテンプレの中には、最初からその3つがガリンゴリンに詰まって居るので、そこに作者自身のテーマを込めることが出来ない。
だからそこに創意工夫が生まれないし、創意工夫が生まれなければ腕は磨かれない。そして当然品質も上がらない。
じゃあなろうテンプレ的なものを書かなきゃいいんじゃね? というのは、正しいけれどもほぼ不可能です。小説家になろうの中でなろうテンプレ的じゃないものを書くのは、基本的には誰の目にも触れないということです
。認知が上がりません。
ましてや、もともと文章創作表現の基礎が出来てる、経験のある人ならまだしも、小説家になろうで書いてる人たちのほとんどは普通に素人です。主語述語やてにをはも怪しいぐらいの人達が山ほどいます。
そんな人達が今更「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」のなろうテンプレを止めて、自分なりのテーマや題材で物語を書けって言われたって、そうそうできっこありません。
さらには、そんな事をすればそう言うドーピングを使って認知を上げ、承認欲求が満たされ、あわよくば書籍化という流れからは完全に外れことになります。
つまり、「流行りのテンプレから外れ、自分の中から生まれてくる、表現したいことを追求し、そのために試行錯誤し、工夫し、努力研鑽を積み重ねること」は、イコールで「小説家になろうという場で発表し続ける上ではマイナスにしかない」のです。
努力することがプラスにならない場所、それが「小説家になろう」であり、現在のWebノベル界隈を取り巻く現状です。
これがまさに、「誰でも創作発表ができる時代、環境」が、Webノベル界隈にもたらしたものの一つです。
発表するためにさまざまな労力、工夫、金銭的コストが必要だった時代には、それ相応の熱意と覚悟のある人間しか創作物を発表するなんてことできませんでした。
つまりは、『ZIN』な世界では、ですね。
けれども今じゃスマホ一つあれば誰でもすぐに自分の考えた“オハナシ”を全世界に発表できる。ましてや絵や音楽といったものと違い、ただ文章を書くというだけならば、小中学校の国語教育さえ受けていれば、誰でもできる簡単なこと……のように思える。
言い換えれば、別にたいして物語を作るのも好きでもなんでもない人が、「何か流行ってるみたいだからちょろっとパクってうまくすりゃ金にもなるンだろう?」くらいのふわっとした感覚でホイホイ垂れ流せる。
はっきり言えば、最初っから語りたいテーマなんて何もないという人たちが山のように小説家になろうの中には居るわけです。
最初から語りたいものが何もないから、流行りのテンプレそのまま使うし、品質を良くしよう、面白くしようという創意工夫もしなければ、より上手く文章を書けるようにしようとも考えない。だって別に好きでも何でもないんですものね。
●Webノベル界隈のブームと流れと
いわゆるになろう系が「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」にどんどん特化して煮詰まって行ったのにも、相応の流れはあります。
ここでものすごくざっくりとざっくり大雑把に Web ノベル界隈の流れをまとめますと、まず今ある Web ノベルの流れは、一時期流行っていた携帯小説とはやや趣を異とするものである、ということが前提にあります。
一級すると携帯小説の流れがそのままスマホに移ってWebノベル、なろう系に進んだように思えるかもしれませんが、実はそうではありません。
携帯小説の流れがあくまでいわゆる女子校生を中心とした女子文化であるのに対し、なろう系を含めた Webノベル文化の源流に流れているのは、2ch などをはじめとするアングラ掲示板文化です。
ここではあえて2ch にフォーカスを当てて、そこで生まれたいくつかの2ch文芸的なものについて言及します。
まず一つは、AA文化というのがありました。AA、アスキーアートですね。最初のうちはいわゆる顔文字の発展形として、掲示板でのレスなどに「モナー」であるとか、「ギコ」と言ったキャラクター化された意匠が使われるようになったのが始まりですが、それらのキャラクターを使った、連続した書き込みで、掲示板上に「AAを使った漫画」を発表していくという流れが出来ます。
AA長編板というそれ専門の掲示板も作られ、一人の人間がまるで連載漫画のように一つの物語を継続して書き込み続けることもあれば、複数の人間がひとつのスレッド内で、まるでシェアワールドようにキャラクターや設定を使い回し、リレー形式で物語を作っていくというものもありました。
この流れは pixiv や その他実際に漫画原稿をスキャンし、また制作してアップロードして発表ができる場が増えたこと。また、データ送信の速度が上がったことで、画像でのやり取りが 簡易になったことなどなどの影響もあり、次第に分散していきます。
そして何より、AA長編というのは それを作るのに漫画を描く以上の膨大な労力と、独特のテクニックが必要になります。つまりWebでの創作発表という点で言えば、実は存外ハードルが高いものだったのです。
そこから派生したものの一つに、「やる夫系」というものがあります。
AA長編板におけるAAストーリーの発表が、基本的にはAAそのものを漫画の絵のように新しくきっちりと作りこんで発表するというのか主流だったのに対し、「やる夫系」は、やる夫と呼ばれるキャラクターを中心とした既存のAAのコピペに台詞を当てはめ、それにより物語を作っていくという形式が好まれました。
まあコラージュ漫画形式、とでも言いましょうか、そのAA長編よりもとっつきやすい簡易さから人気を集めた創作発表の形式と言えます。
「やる夫系」として発表されたものがその後、なんとかゼロなんとかかんとかで、なんとかでなんとかされた……みたいな話は、一応ここでは触れないことにしておきますパクリ。
AA長編、やる夫系が、「掲示板上で簡易的な漫画表現をする」という創作発表だったのに対し、もちろん純然たる文章小説形式でのブームというのもありました。
例えばその一つはパロロワと呼ばれものがあります。
パロロワというのは、小説『バトルロワイヤル』のあの形式を一つのテンプレとし、その中に例えば人気のアニメキャラであるとか、漫画キャラ、また特定作品のキャラクターだけを集めたり、複数作品又は史実などを含めたあるカテゴリー、ジャンルのキャラクターを集め、バトルロワイヤルをしてもらうというパロディ小説の流れです。
例えばジョジョロワというものであれば、『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくるキャラクター達を、部や時代をすっ飛ばして一同に集めてバトロワ方式で殺し合いをさせるとか、ホラーゲームバトルロワイヤルであればホラーゲームのキャラクター、剣客バトルロワイヤルであれは史実、または創作上の様々な剣客を集めて天下一を決めさせる……みたいな流れになります。
ほとんどはパロディ二次創作、複数書き手参加によるリレー方式でした。
また、『あの作品のキャラがルイズに召喚されました』と言うシリーズ……シリーズ? んー……ブーム? も、ありまして、これは『ゼロの使い魔』というライトノベルのヒロイン、ルイズが、現代日本から平賀才人と言う少年を使い魔として召喚してしまったことから始まるアーダコーダを描いた小説の、その召喚部分を「テンプレ」とし、ルイズによって様々な作品の様々なキャラクターが召喚されて、さてそれでどうなる……? という展開を描くパロディ二次創作です。
この二つは、どちらも「一つの作品の基本的な展開をテンプレとして、そこから自由に話を広げていく」という共通の構造があります。
つまり、一つのテンプレをもとに複数の書き手が同時に様々なストーリーを作り出すというWebノベル的なブームの走りであるとも言えるのです。
他に2ch発祥の2ch文芸的なもので は、創作実話というのがありますが、さてこれはどこまで触れたらいいのかよく分かりません。 しかも僕自身上記二つと違い全然触れて来てないんでざっくりとしか語れませんし。
ただ、「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」と言う、僕があげている「なろう系の核」の部分にはものすごく影響を与えていると言えます。
創作実話とは、「これは本当にあった話だけれども……」を前提とした、けど限りなく創作としか思えないような美談、または武勇伝を指す言い回しです。
Twitter や Facebook などでは、イイネ や PV を稼ぐために使われるもの、との認識が一般的でしょうが、2ch的なそれはやや毛色が違って、なんというか、 過度に暴力的露悪的な傾向により易い面があったとされます。
端的には、むかつく旦那とか、姑とか、近所にたむろしていたヤンキーだとか、糞上司だとか、まあ何ですか、とにかくいろいろと「現実にいるムカつく奴ら」を、こんな上手い手でやりこめてやった、言い負かしてやった、やっつけてやった、密かな復讐を遂げてやった……的な方向性ですね。
つまりは、「バイトをクビになったボンクラが、バイト先の上司や先輩やっつけてやった妄想、的なもの」そのものですね。
さて、このような2ch文芸とでも言うような、「掲示板上で、複数の人間が同時に一つのテーマ、題材、テンプレなどを借りて創作行為を続けていく」という流れが、まあネット黎明期から00年代ぐらいにかけて、様々な形で行われてきました。
その流れが源流となって、今ある Web小説ブーム……ブーム? ブームかどうか分かりませんが、まあWebでいろんな人が同じような場所で同じように小説なんぞを発表し続ける、という流れになったと言えるでしょう。
そしてそこに、さらに別の同人二次小説のひとつの流れが加わることで、今現在の「なろう系テンプレ」へと発展していきます。
それが俗に「最低系」と呼ばれる二次創作です。
●僕の彼女水溶性、なろうの源流最低系
ここに来てまた新しい“○○系”が来ちゃったよ!?(三村マサカズ風)
てな感じなんですが、実のところ今までの話の流れの中でこの最低系については、僕本当に全然直接触れてないんで、ええ、完全に聞きかじりの話をこれからします。
キ・キ・カ・ジ・リ、聞きかじり。(滝川クリステル)
最低系とは何か? というと、明確な定義はありませんし、また、どういう経緯でこの言葉が産まれ、使われるようになったのかもはっきりしたことはわかりません。
この最低系と呼ばれる二次創作がどういうものかをものすごくざっくり言いますと、「特定作品の中に自分の考えたオリジナルの最強キャラ(多くは明らかな自己投影、つまりは“理想の自分自身”)を登場させて、そいつ主人公にしてしまう」てな感じらしいですね、大体は。
そして傾向としては次のようなものがあげられるそうです。
そのオリジナル主人公は大抵の場合チート、特別に強力な力を持ち、元作品のキャラクター達相手に無双する。
友好的なキャラクターからは言動が無条件に支持、賞賛され、簡単なきっかけでいともたやすくヒロイン達にモテモテになり、ハーレムを作る。
オリジナル主人公によって都合のいい要素はどんどん増殖、拡大解釈され、また都合の悪い原作設定、展開などは無視されるかごく少数に止められる。
まあいわゆるメアリー・スー二次創作です。ガチな方の。
ただ、元々のメアリー・スーは、「原作好きが高じてしまい、その世界に入り込み自分自身が活躍するかのような妄想小説を書いてしまう」というような形であるとされているのに対し、最低系は必ずしもそうとは言い切れない部分もあるようです。
メアリー・スーでは原作キャラクターに対して自己投影したオリジナル主人公がマウントを取り、それにより優位性を保とうとする要素は少なかったのに対し、最低系では端々でそれらが見られるようなのです。
さてさて、まぁこの最低系の特徴傾向の話って、なろう系の特徴傾向と全く同じですなんですよね。違うのは、元となる明確な作品があるかどうか。そこだけです。
最低系は完全な二次創作なので、元となる作品があります。
なろう系はそういう二次創作ではないので元となる作品はありませんが、その代わりになろうテンプレがあります。
なろうテンプレと呼ばれるモノが、 ああまでカッチリどれもこれも同じような設定、同じような展開、同じようなキャラクター、同じような構造を持っているのか。その理由は、最低系が個別の作品を元ネタとした二次創作であるのに対し、なろう系はなろうテンプレを元ネタとした二次創作であるからでしょう。
そして前項で述べた追放もの、悪役令嬢ものの構造などは、特に最低系との共通項が明確です。
「本来なら主人公、善とされるタイプのキャラを、強引なまでに無能、俗悪な愚物として貶める」「そこに突然チート持ちの最強主人公が現れ」「無双してモテモテでめちゃくちゃチヤホヤされまくる」と。
そしてその過程の要所要所で、「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」のヘビーローテーションの釣瓶打ちです。
●そんな「なろう系アニメ、漫画、ノベル」なんか読むならこれを観ろ、読め!
良いですか皆さん? なろう系アニメなんて観る必要ないんですよ!?
だってそのなろう系と同じようなギミック、仕掛け、設定を使っても、「なろう系ではないちゃんと面白い作品」って、世の中たくさんあるんですよ?
そんなワケで、とりあえずそういった作品をちょっとばかし紹介してみようかと思います。
●『100万の命の上に俺は立っている』
原作、山川直輝、作画、奈央晃徳
#マガポケ https://mgpk-api.magazinepocket.com/landing?t=156&e=145805
【あらすじ】
やや冷笑系で中二病こじらせてる主人公、四谷が突然異世界へと召喚され、まるでゲームのようなシステムに則りクエストをクリアするように指示される。クエストクリアしない限り元の世界には戻れないと言う中、クラスメイトの美少女2人となんとかしてクリアを目指すが……」
と、ざっくりあらすじを書き出すとめちゃめちゃなろう系っぽい要素あるじゃあ~りませんか、てな感じですが、全く違います。
この作品をいの一番に紹介したのは、まず面白いから、なんですけども、それ以上に「話のギミック、 仕掛けとしてなろう系でよく飼われるテンプレに近いものがあったとしてもそこで描かれるテーマが違えばそれはなろう系ではない」と言う事がよくわかる作品だからでもあります。
まず「レベルだとかクラスだとかのゲームみたいなシステムのある異世界」はなろう系で頻発される設定ですが、そのことに物語上の意味をもたさせているものは実は多くありません。
なぜか知らないけどその異世界にはゲームのようなシステムがある、というそれだけの設定で終わっています。 じゃあゲーム世界に転移・転生するでいいじゃん? と思うかもしれませんけれども、なぜかそうはしない人が多いんですね。
多分、ゲーム世界っていう設定にするとのと、ゲームっぽいシステムはなぜか存在するファンタジー異世界っていうのにするのだと、後者の方が書くのが楽なんですね。
この作品でゲーム的なシステムがあることには謎と糸意図があります。
謎、は、主人公達を召喚する自称未来人たちによりこのシステムが作られてるであろうということが示唆され、そこが物語の一つの鍵になっています。
また、そのゲームみたいなシステムが適応されて居るのは主人公達だけであり、その事で「召喚された主人公と クラスメイト達が、その世界においてあくまで異物であるということが常に意識されるようにしている」のです。
彼らがその世界における異物であるということは、物語の展開にも深く関わってきます。
主人公四谷の冷笑系厨二病的な性格、気質というのも、かなり意図的に設定されています。
同じように召喚された他のクラスメートたちとは、そのことで度々衝突し意見が分かれ、その点もまたなろう系における「主人公の考えや行動を周りの人間が常に絶賛、賛同続ける」と言う茶番展開にはなりません。
また、時折挿入される過去回想らしきシーンから、主人公四谷のこの性格気質はには何らかのきっかけとなる出来事があり、その事もまた物語の謎と関係しているであろうことが暗喩的に示されます。
それと余談ながら、この作品の原作者の方、おそらくほぼ間違いなく明らかに、TBSラジオのヘビーリスナーです。
間違いない!
●『ライドンキング』
作、馬場康誌
https://mgpk-api.magazinepocket.com/landing?t=710&e=245633
【あらすじ】
中央アジアの小国プルジア共和国の大統領プルチノフは、様々な動物や乗り物に乗るのが大好きである。地球上に現存する様々な車、バイク、航空機から船、ボートなどの乗り物は当然、馬はもちろん虎や熊、さらには巨大鮫のような猛獣さえ手懐け騎乗してきた。
しかしそのプルチノフには、未だ満たされぬ思いがある。煩わしい政務を忘れ、まだ誰も乗ったことない未知の猛獣へと騎乗したいという叶わぬ願いだ。
諦めきれぬ未練を抱え悶々とする日々を送る大統領プルチノフだが、ある時突然その願いが叶うことになる。
テロリストに襲われ得意の格闘技で撃退をするも、事故で意識を失ったプルチノフは見知らぬ遺跡の中で目を覚ます。
そこで彼が見たものは翼を持ち大空を駈ける巨大なトカゲ……いや、ワイバーンであった。
魔法と魔獣の異世界にて、大統領就任以降初の長期休暇、騎乗休暇の始まりである。
パターンだけを言うのであれば、「もともとすごい力を持った主人公が、異世界へと転移されてすごいことをする」というなろうテンプレ的な要素ながら、一番の魅力はやはり主人公プルチノフのキャラクター性と行動原理。
「なろう系」においては基本的に主人公とは「空っぽの器」 であることが求められる。マウント! ざまぁ! 冷笑主義! というような、「読者の願望妄想を代わりにやってくれろ事」が、主人公の役割だからだ。
そのため、大抵の場合「強い内的動機」や、「能動的、主体的な行動力」を持った、つまりは「キャラの立った主人公」というのは、まずお目にかかれない。
『ライドンキング』の主人公プルチノフはその点キャラは立ちまくっている。それはまあ、元々この作品自体が ある種のスターシステム的セルフパロディの要素があり、主人公のプルチノフの元ネタが、同作者の別作品の悪役大統領で、そのキャラを比較的平和的な性格に変えたようなキャラだからでもある。
厳密にはスピンオフではないけれども、スピンオフによる異世界ものに近いわけだ。
そんなわけで強い内的動機と主体的能動的行動力に、さらには 世界最強とも言える格闘技術を兼ね備えたプルチノフ大統領が、 様々な猛獣、いや、怪獣、怪物、魔物モンスター相手に、ライドオン、ライドオン、またライドオン! しまくろうとする……と言う流れの中、 しかし当然そんなにのんきに遊んでばっかりはいられない。その世界では、いわゆる人間の王国と、魔族と呼ばれる魔法に長けた種族たちとの戦争状態に突入しようとしているからだ。
この辺りも、言ってしまえば異世界転移・転生モノでおいては、ベタベタもベタな設定ではある。
しかし主人公のキャラがめちゃめちゃ立っていることと、それに加えて「とりあえずゲームっぽいファンタジー異世界にしてみました」的なナーロッパとは異なり、地味ながらも細部の設定の作り込みが丁寧で、小ネタも効いて、土台となる世界観がしっかりとしている。
「しっかりとした世界観×魅力的でキャラの立った主人公」
この組み合わせで面白くならないわけがないのだ。
間違いない!
●『異世界おじさん』
作、ほとんと死んでる
https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_MF00000079010000_68/ #comicwalker
【あらすじ】
17年間の昏睡状態から目覚めたおじさんは、異世界「グランバハマル」からの帰還者だった……。目を覚ましたおじさんは、甥っ子のたかふみに異世界での様々な冒険と、セガへの愛を語り出す。あまりに不細工であるとしてオークと間違われ牢屋に入れられた事、メガドライブの思い出、ツンデレと言う概念の無かったおじさんにつきまとう事になる美少女エルフのこと、エイリアンシンドロームの思い出……。
油断をするとすぐにセガ語りを始めるおじさんの冒険の思い出は、驚きと笑いと涙に満ちているのであります。
すでに冒険が終わり、それを語っって聞かせるという形式ですが、これ言い換えると「行きて帰りし物語アフター」という構造になります。
いわゆる「なろう系」でも、絶大な力を得て異世界で冒険をし、その後現代日本へ戻ってくる……というような 構造の物はありますが、この作品ではそれら全てを含めコメディ、ギャグとして扱っています。
なので、「異世界で得たチートパワーを使い、現代日本で悪逆非道の限りを尽くすクズ主人公」の気持ち悪い残虐行為を見せつけられることは当然ありません! 御安心を!
コメディとしては異世界冒険行を利用したカルチャーギャップコメディでもあります。そしてこの話の中では、そのカルチャーギャップを甥っ子たかふみとおじさんの世代間によるジェネレーションギャップ、そして異世界と現代日本という二つの文化圏でのカルチャーギャップを多層的に積み重ねることで、より大きな笑いに持って行くと言う物にもなっています。
同時に、なろう系を含めた異世界転移・転生モノあるある的な笑いもうまく織り交ぜているため、異世界ものを読み慣れてる人にも、あんまり知らない、読み慣れていないという人にも、十分に笑えるものなってると言えるでしょう。
間違いない!
●『迷宮ブラックカンパニー』
作、安村洋平
https://magcomi.com/episode/10834108156766291310
【あらすじ】
働きたくない…その思いから努力を重ね、ネオニートとなった男・二ノ宮キンジ。そんな彼が何の因果か異世界に転移、辿り着いたのは“迷宮が職場”のブラック企業だった。雀の涙の低賃金、長大な労働時間、悲惨な労働環境――生き残る為に死ぬほど働く、社畜的ダンジョンファンタジー!
・ カテゴライズをするならば「異世界転移、迷宮もの」となります。
ゲームのようなシステムがあるかどうかは別として、いその異世界にゲームのような迷宮、ダンジョンがある、という設定の異世界ものは多々あります。その中でもこの作品では、迷宮というものを大企業が支配し、その中で得られる様々な資源を採掘させることで利益を得ると言う、いわば「 迷宮資本主義経済」が発展した社会なのです。
この辺語り出すとまた色々と長くなっちゃうんで、なるべく短めにまとめようと思いますけれども、本来ゲームの設定、システムというのは「物語をゲームとして遊ぶ上で換骨奪胎した形で再現されたもの」なのですよね。
要するに、例えばインディジョーンズなどの冒険モノの物語。
その中で、古代の遺跡を冒険し、様々な障害や敵を退け、謎を解いてお宝を手に入れる……物語構造がベースにあるとして、それをじゃあゲームの中でどう再現しようか、楽しませようか、とした場合に、結果として「ゲーム的なダンジョン」が制作されるわけです。
その場合のゲーム的な要素として、アイテムや敵がリスポーンする、つまり一度クリアした迷宮、ダンジョンの中で手に入れることできるアイテムや障害となる敵キャラクターが、一定時間経つと再び再配置される、というものがあります。
これはまあ何度も繰り返し楽しめる、と言うゲームの楽しさを強化、追求するために、本来ならばありえないけれどもまあいろいろなんか辻褄をあわせてそういうことにしちゃいましょうと、いう便宜的なシステムなワケですが。
そういったものを、何の考えもなしに物語の中に持ち込んじゃダメでしょう、という問題があるわけです。
いわゆるこれはリアリティラインの設定とも関係することで、「現実的にはおかしいけれども、まあゲームのシステムだから許されるよね」というリアリティラインでは、「定期的に敵やアイテムがどこからともなくリスポーンするダンジョン」は許されましたが、物語でそれをやるならもうちょいそこに一工夫あるか、そのこと自体を物語の核として扱うかしなければ、シンプルに「なんでやねん!?」となりがちなわけです。
これは「無限に敵やアイテムがリスポーンしてくる不思議なダンジョン」に限らず、レベル、スキル、ステータス、ジョブ……といった、ゲーム的システムが実在する世界という設定全般に言えることです。
ゲームの戦闘システムだったら、単純な数値の比べ合いになるため、実際の身体的には明らかに筋肉も全くない小さな子供や女の子が、「ストレングス、あるいは攻撃力の数値がめちゃめちゃ高いので、 現実なら絶対手も足も出ない巨漢マッチョ相手に無双する」 というのは、普通に起こり得ます。
が、それを物語世界にそのまま持ち込むとやっぱ不自然なので、なぜそうなるかに対する言い訳、設定が必要になったり、また 細かい演出なのでその不自然さを上回る迫力ある描写であるとかで説得力持たせる必要があります。
そこを雑にごまかすと、すげー不自然になります。「ストレングスの数値が高いから勝つんです!」のゴリ押しで納得するのは、まぁ……ゲーム脳の人だけですかね?
例えば、「スキルを手に入れたから 新しい技が使えるぞ!」というのは、 ゲームのシステム上そのように処理した方が便利でわかりやすいからですね。
普通はそれ、「修練を積み重ねて新しい技を手に入れる」ことを指して、「新しいスキルを手に入れた」って言います。
つまり、物語的にきちんと解釈すれば、「修練を積んで新しい技を手に入れたことを新しいスキルを手に入れたと表現する」のであって、「新しいスキルを手に入れたから新技が使える」というのは、完全に本末転倒、順序が逆なワケです。
だいたいのなろう系は、それを何の考えもなしにそのまんま書いちゃいます。だってそれがテンプレだもん。
短くまとめると言いつつ長くなりました、失礼。
話を『迷宮ブラックカンパニー』戻しますと、そういうゲーム的なダンジョン、迷宮を扱かった異世界もの、の中で、多くは雑にごまかされるような所や、またそういうものがある世界ではどのような文化、社会が発展するのか? といった部分について、上手~く話に盛り込んだ形で物語が展開します。つまりその「ゲーム的な矛盾した、不自然な設定入れるんだったら、話の核にしなきゃ」と言う部分をきっちりやってるわけです。その上で、現代社会におけるブラック労働と言った ものをもうまく取り込んでいるため、何の考えもなしに書けばただの嘘くさいゲーム異世界になりそうな設定を、見事なまでに物語として昇華しています。
一言で言うなら「センスがいい」。
主人公二宮キンジのキャラクターもまた良いのです。
「なろう系」では「マウント! ざまぁ! 冷笑主義!」が核だと述べてますが、 この三つをシンプルに体現すると、基本的には「いけ好かねークズ野郎」になります。
しかも大抵の「なろう系」の場合、作者がそれを自覚的に書いてるのでなく、ナチュラルに自分の思う格好良いキャラを書き続けたら、「ただのいけ好かねークズ野郎」になった、と言うのが多々あるのですが、この二宮キンジ、明確にムカつくクズ野郎を狙っています。
作者がきちんと明確なクズ野郎を狙って作ったキャラクターの場合、それを俯瞰し客観視した上で物語展開に活かしていくので、そういうキャラであることが物語上きちんと活きるし、またそこからの笑いにもつながれば、逆にクズ野郎だけどこういうところは共感が持てるとかの演出もできます。
まあこの二宮キンジの場合、悪巧みして成功し調子に乗ってるときのドヤ顔しゃくれ顎が、めちゃめちゃむかつくいい顔してる、という顔芸キャラでもあるので、その辺も含め様々な点で楽しめます。
異世界転移迷宮もの中でも、これは本当に「間違いない!」
●『異世界失格』
原作、野田 宏、作画、若松卓宏
https://yawaspi.com/isekaishikkaku/comic/001_001.html
【あらすじ】
「恥の多い生涯を送ってきました」
とある文豪先生が玉川上水での入水心中に失敗した後、トラックに轢かれて転移した先は、剣と魔法のファンタジー異世界。
様々な転移者がおとずれ、魔王を倒し平和が訪れたはずのその世界では、今はその転移者達が様々な問題を引き起こしているという。
ただただ理想の死に方と文学のみを追い求める先生が、何故今更そんな世界に呼び出されてしまったのか?
謎が謎を呼び謎が渦巻く謎めいた異世界で、しかしそんな謎なとどうでもよく、ただ先生はやはりひたすら理想の死に方を求め彷徨うのであった。
・「異世界大喜利」と言う揶揄がありますが、すでに完全にジャンル化された異世界転生ものにおいて、そこで最初のインパクトを得るために、どんなキテレツなキャラクター、どんなユニークな能力を持ったキャラクターが 転移・転生し、主人公になるのかを競い合うというような流れが生まれてきます。
まあこれはデスゲームが流行った後に、ちょっと目先を変えたでデスゲームものにしようとして、デスゲーム×ギャンブルにしたりとか、おとぎ話のキャラや、現実に存在した偉人にデスゲームをさせたり、また全員が美少女キャラ女体化されてデスゲームに投入されると言った、下手するとただの出オチで終わりかねない様々な設定がぶっこまれていったのと似ているでしょう。
その点で言うと『ライドンキング』の騎乗大好きマッチョ格闘大統領という設定や、本作の自殺願望のある文豪先生、と言うものも、どちらもある意味「異世界大喜利」的なキャラ立てですが、今あげた二つはそのどちらもその大喜利に大成功してる例だと言えます。
いやだって太宰お…… 文豪先生が異世界で、陰々滅々としたこと言いながらうろついてるって、それだけで面白いし笑えるもの。
その上でこの作品は、ネタとしてちょっとした「なろう系あるある」も利用しているため、むやみやたらに呼び出されてしまった結果、今すげえ迷惑なってますという異世界aka.現代日本的な世界からの「外来種」が、とても「なろう系」っぽいワケです。
こういうの、センスない人間が雑にやると「お前言う?」的な、すげー太宰……ではなく、ダサいものになりがちなんですが、まぁ一言で言うとこの作品、その辺の扱いの「センスがいい」。
異世界失格、間違いない!
●なろうで読むなら、ランキングは当てにするな。間違いない!
まあついてなんて、小説家になろうサイトで僕がチョロチョロ読んだりしてたりするものとかも、勝手に紹介もしちゃいます。
●『謙虚、堅実をモットーに生きております!』
https://ncode.syosetu.com/n4029bs/ #narou #narouN4029BS
ランキングは参照にするな、何て言っておきながらなんですが、僕が今回紹介するの中では最もランキング人気の高い作品です。
悪役令嬢テンプレというものが存在することについては言及しましたが、おそらくこの作品はその原型となったはしりの作品であると言えます。
世界設定ファンタジーは異世界ではなく、現代日本風。
まあはっきり言っちゃえば「イケメンドS大金持ち男子に私だけトクベツに愛れちゃって困るわ~」的な展開のある少女漫画にありがちな学園モノ世界。
そんな作品世界の悪役お嬢様、麗華様へと転生してしまった主人公が、物語クライマックスにある断罪イベントを回避するために四苦八苦するという、現在ではむしろちょっと古いテンプレとみなされる展開ですが。
これ、きちんとコメディとして描かれてるんですね。まあカテゴリーは恋愛カテゴリですけれども、全体はとてもコメディ。
というかぶっちゃけこれを読むと、いわゆる悪役令嬢テンプレって基本コメディだよね、というのがよく分かるんです。むしろこのコメディーテンプレをパクった後のフォロワーが、何故コメディにしない、できないのかが理解できなくなるくらい。
物語の役割上悪役クールビューティで、皆から恐れられつつも敬愛される孤高の美少女である麗華様ですが、転生してきた中身が基本ポンコツなので、周りから見られてるイメージと中身のギャップがそれだけで笑える。
麗華様へと転生した主人公はそのため周りからのイメージをなんとか恋する努力そうしつつも親しい友達も欲しいと言う努力、また当然、将来の破滅イベントを回避するための様々な努力を、空回りしつつも涙ぐましく続けていきます。
そこがまた笑いあり涙ありほっこりありとなっているのです。
あ、もちろんマウントとかざまぁとか、そういう気持ち悪い要素は全くないです。
オススメです! ……が、 残念なことに現在2年ほど更新が全くされてない状態です。残念!
●『この世界がゲームだと俺だけが知っている』
https://ncode.syosetu.com/n9078bd/ #narou #narouN9078BD
あ、 すいませんこれもランキング上位の人気作でした。
いわゆるなろう系での「ゲーム世界に転移しちゃった系」のはしりと言えるこの作品。はしりでありながら、ある意味では最も、搦め手奇策を使った作品であるかもしれません。
主人公が転移するのは誰もが知ってる極めつけのクソゲーの世界。バグ満載、不自然なシナリオ、異常なゲームバランス、序盤のちょっとしたミスが後半になってデッドエンドにつながる無茶苦茶な構成……と言った、実際こんなゲームあったら絶対やりたくねーわ、と言いたくなるようなクソゲー世界に、そのゲームを偏愛し異常なまでにやり込んだクソゲーマスターとでも言うべき主人公が転移してしまいます。
そこで主人公相良は、その後の展開を知ってるが故の知識的アドバンテージは当然として、どこでどんなバグが起きるのか、バグを利用した様々な技や攻略法を駆使してなんとかゲームクリアを目指していく。
「ゲーム世界、ゲーム風異世界であるにも関わらず、そうであることが物語上何の意味もないなろう系」が多いのに反し、この「クソゲー世界に転移したため、クソゲー独自の方法でクリアを目指さなければならない」という着想は、見事なまでにゲーム世界に転移することが物語の核、中心にある構成になっています。
気さくであるにも関わらず堂々という不思議な状態ですがまあそんなことは置いといも、「クソゲー世界でクソゲーテクニックを駆使してクソゲーをクリアする」ことの面白さだけで、十分に楽しめる作品となっています。
コミカライズもありまーす。
●『無欲の聖女は金にときめく』 https://ncode.syosetu.com/n3386db/ #narou #narouN3386DB
とにかく金に執着する金にがめつい孤児のレオが、いわくありの貴族令嬢の美少女レオノーラと中身が入れ替わることで大き巻き起こる、入れ替わり勘違いコメディ。
本作品では、貴族の学園に入学することになった中身が下町の銭ゲバ孤児、外側は誰もがため息をするような可憐な美少女となった主人公が、様々な勘違いをもとに後に聖女と呼ばれるようになるまでを描いています。
主人公レオは銭ゲバなので、常にどうにかして金を稼げないかを色々考えています。それも、大金を稼ぐというよりかは小銭を拾い集めるようなせせこましい金儲けが大好き。
もちろん、見目麗しい貴族令嬢となってからもその考え方そのものは一切全く変わりませんが、貴族社会の中でストレートに金儲けに邁進することはさすがにできない。なんとか搦め手でそれをしようとするためにやっていくこと言動が、周りからはことごとく 清らかな心によって行われた慈愛に満ちた行動のようにうつってしまう。
そこからさらに、王子からも聖女とし惚れられてしまうものの、今度は色恋の機微など分からぬレオが、その好意を勘違いし、さらに人間関係は複雑に……。
入れ替わりによるジェンダーギャップ、社会階層の違いから来るギャップなど、様々な「勘違い」ギャップをうまく取り込んだ勘違いコメディ。書籍化もされてまーす。
間違いない!
●『村づくりゲームのNPCが生身の人間としか思えない』
https://ncode.syosetu.com/n1119fh/ #narou #narouN1119FH
今回僕が紹介する中では、多分一番新しいやつかもしれませんが、ちょっと時間もないのでざっくり説明します。
とある事件をきっかけに引きこもりニートと化していた主人公のもとに、ある日突然送られてきたゲームのディスク。それをプレイしてみると驚くほどにリアルな世界での村人たちが描き出される。主人公はメッセージと恩恵を与えると言うかたちで、彼ら村人たちを守っていく神の役割をするゲームのようだ。
過酷な環境の中で必死に生き抜こうとする村人たちに支援を続けることで、主人公の中には様々な変化が現れていく。他が同時に、この「ゲーム」は実は……といった内容。
このあらすじだけでも十分わかるかと思いますが、この物語は「利他的行動により主人公自身が自らの人生を再生する」というテーマ、構造を持っています。
なろう系がどうとかそんなの本当、ドーデモイーです。
書籍化もしてますしコミカライズもされてます。機会があれば是非読んでください。
●『遠くて近きルナプレール ~転生獣人と復讐ロードと~』」
https://ncode.syosetu.com/n3581dr/ #narou #narouN3581DR
ちょっともう時間ないのでもうすごくざっくりいます。 #アトロク リスナー的にお勧めできるのは、 第2章の主人公 JB の出身地がコンプトンというところと、その第2章クライマックスのシリアス名場面で突然ラップバトルが始まるところです。僕このシーン大好き。
以上、「 なろう系とかってよくわかんないというアトロクリスナー向けに書かれた基礎講座的な何か」でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?