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「それでも母親になるべきですか」 ペギー・オドネル・ヘフィントン

 私たちは親になることを要求されるが、孤立した泡の中で子育てをするように求められ、支えてくれるものは、大雑把に言えば、自分の銀行口座の他にほとんどない。

p35

後半259〜296ページは引用文献の掲載になっており、かなりしっかりした感じの本。事例はほとんどアメリカのもの。

・少子化の原因はヨーロッパ式の家族観(核家族)
・「母親にならない選択」は歓迎されない


1章 いつも選択してきたから

中絶の歴史

▶️ 1800-1830年ではアメリカ人女性の妊娠「25〜30回につき1回」の割合で中絶処置が行われていたが、1860年になると「5〜6回に1回」に増えている。
▶️ 1821年から1880年にかけて、すべての州で中絶が違法となった。


 1841年、薬草を調合した中絶薬を販売していたため、アン・ソマーズは裁判にかけられた。彼女のサービスは包括的で、薬草では解決できないほど進行した妊娠には外科医を紹介したり、事情のある女性には養子縁組を紹介していた。

 麦角(ばっかく)
 甘汞(かんこう):塩化水銀
 クリスマスローズ:ガーデニングで人気があるが毒性が強い

麦角、甘汞、アロエ、クリスマスローズなどを粉末にして混合し、流産を起こす錠剤を作っていた。このような薬は「女性の月経調整薬」と婉曲的な表現で呼ばれ、月経を「回復」させる効果を約束する薬として扱われた。

p43

▶️ 当時は医者や友人からの助言をもとに妊婦が自分で外科的な処置をするケースも多く、死亡事故が多かった。中絶が合法化した結果、敗血症による死亡は89%減少している。

避妊の歴史

▶️ 1957年、サール社が合成プロゲストゲンとエストロゲンを組み合わせた錠剤の承認を申請したとき、「避妊薬」と明記することはできず「月経障害を治療できる」とFDAに説明した。
FDAは「この薬は排卵を妨げます」という警告を表示するように要求し、それが逆に無料広告のような効果となって65年までに650万人のアメリカ人がピルを服用することになった。

ホルモン避妊薬が発明されたのは1950年代である。アメリカで既婚女性にあらゆる種類の避妊が合法化されたのは65年、全女性が使用できるようになったのは72年だ。

p47

▶️ 紀元前1900年の古代エジプトや、古代ローマでも避妊は行われていた(ワニの糞やレモンを使った方法)

▶️ ユダヤ教のタルムードでは2〜4歳にも母乳を与えることを推奨しているが、これは母親の妊娠を抑制するという意味でも効果的だった可能性がある。また、女性に「モク」と呼ばれる道具を使って妊娠を避けることも許可している

近世の大半の時代の北ヨーロッパでは、既婚女性の初産年齢の中央値は27歳で、子どもが生まれる間隔が疑わしいほど開いており、出産可能な期間が終わるかなり前に最後の子どもが生まれているケースが多い。

p50

▶️ 19世紀初頭のアメリカ女性は平均7人の子どもを産んでいたが、20世紀になると黒人女性は平均5人、南部の白人女性は6人、北部の白人女性は3.56人となる。
▶️ 1869年の人口統計では、東海岸の州に住む女性は男性よりも25万人多かった


2章 助けてくれる人がいないから

コミュニティと子育て

▶️ 母親から200マイル離れて住んでいる女性は、母親と同じ教区に住んでいる女性に比べて子どもの数が1.75人も少なかった(1608年からのフランスの入植者記録)

母親の近くに住む女性は、そもそも子どもを持つ確率が高く、若くして産みはじめる可能性が高いので、子どもの数が多い傾向にある。

p71

核家族が「標準」とされるより前の世界では、血縁関係ではない親族、異なる世代、産みの母以外の女性によるケア、複婚など、地域によりさまざまな家族形態が記録されている。

核家族の出現

歴史上では、祖母と近親者が子育てと子どものケアの中心的役割を担うのが当たり前、という時代がほとんどだった。

女性は若くして結婚し、相手の男性ははるかに年上の場合が多かった。結婚後は数世代が共に暮らす大家族の一員となり、未婚の女性はごくわずかで、その大半が未亡人か修道女だった。

p86

▶️ 18世紀半ばから、ヨーロッパの西側では結婚年齢が上がり始める。20代半ば〜後半に結婚する女性が増え、夫婦間の歳の差も縮まっていった。夫婦が結婚すると独立した世帯を持ち、どの時点においても未婚の成人女性の割合が増えた。

かつて赤ちゃんの世話をしてくれていた、おば、義理の姉妹、祖母がいなくなったことにより、兄弟の出生月の間隔が広がり、母親が出産可能年齢を終える前に未子が生まれるようになった。

16世紀のチューリッヒの最後の出産年齢の平均は41.4歳だが、1819年は34歳である。

p87


3章 すべてを手にいれるのは無理だから

 母親自身やコミュニティの存続が危うい場合、子どもを産む(育てる)という選択はなされない。人間以外の霊長類も同様である。

世界恐慌のとき出産適齢期にあった女性たち(1900-10年生まれ)は子どもを産まない比率が20%で、アメリカ史上最も高い。黒人女性に限ると3人に1人の割合となる。

▶️ 32年、パラグアイとボリビアの国境で戦争被害にあった先住民の話

アヨレオ族の母親のほとんどが、戦争中とその直後に幼い子どもを殺したことを認め、当時の出産の40%近くは母親の新生児殺しで終わったと推定される。
子どもを大切にし愛情を注ぐアヨレオ族の人々にとって、嬰児殺しは重大な犯罪だ。しかし、緊急時にはコミュニティの存続が優先され、人数が増えることは生存の可能性を直接に脅かすことになる。

p157

▶️ 1880年代から、アメリカで「マリッジバー」という規定が広まり始めた。女性が結婚するとすぐに仕事を辞めることを義務付けるルールで、1907年には法律によって支持されている。

1970年代においても、女性の夜勤が禁じられたり、第一子を妊娠すると解雇される職場や、母親の雇用が禁止された会社も多かった。このような待遇は、女性を労働から切り離して強制的に母親にするつもりが、逆に、働くために母になることをやめさせてしまった可能性がある。


5章 物理的に無理だから

 不妊治療が数十億ドル規模の産業になっているのは、「実子を持つべき」という期待や「持たなければ欠陥がある」という考え方による。

また、体外受精が政治的に優遇されている背景は、治療を受ける人々が国家にとって望ましい人々だからだ。

体外受精の患者の平均像は、30代、既婚、大卒、裕福、白人の母親になりたい女性だ。

p189

▶️ アラバマ州で提唱された「人命保護法」では、州内で事実上すべての中絶を禁止しているが、体外受精で作られた胚を破棄することは問題ないとされている。「研究室の卵は、女性の体内にあるのではないため、女性は妊娠していない」

2013年のピュー・リサーチセンターの調査では、アメリカ人の約半数が中絶は道徳的に間違っていると答えたのに対し、体外受精についてそう考えている人は12%しかいなかった。両者とも受精卵の破壊をともなう処置なのにである。

p188


6章 子を持つ以外の人生を歩みたいから

 この章では、宗教に身を捧げた女性、チャイルドフリー運動について、1971年に刊行された「赤ちゃんの罠」の著者=エレン・ペックの活動が紹介されている。


▶️ 1974年、マーシャ・ドラット=デイヴィスという女性教師がテレビ番組『60ミニッツ』に出演した。彼女と夫が、子どもを持たない選択をしたことを義両親に告白する様子を撮影したドキュメンタリーだったのだが、これにアメリカ中から非難と攻撃が相次いだ。

放送の後、マーシャは教師の職を解かれ、15年間、代理教師のリストからも外されたという。夫婦は殺害予告を受け、飼っている犬も殺すと脅された。

p195



すごく面白い本だったので、日本の事例も調べてみたくなった。江戸時代よりも前のことや、農村部で性や子どもやがどのように扱われていたのか書いてあるものがあれば読んでみたい。

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