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ウディ・アレンとミア・ファロー

論争になっているポイントは以下の2点
・ウディが養子であるディランに対して虐待をしていた疑い
・別の養子、スンニと肉体関係を持ったタイミング(スンニはその後ウディの妻となった)

ウディとミアは12年付き合い、結婚はしていない(1980-1992年)
ミアには10人の養子と4人の実子がいる

ミアの自伝と、こちらのドキュメンタリについては知っていたのだが、ウディアレン側からの主張も収録している本を見つけたので記事にまとめた。


「ウディ・アレン追放」 猿渡由紀

 彼はジョーク・ライターのバイトをしている時代からあまり変わっていない。最初の結婚のときから不倫や浮気をしている。普通の人なら「バレたとき困る」ことも、どうとでも言い逃れできる or ネタにすればいいと開き直っていたのかもしれない。

例えばダイアン・キートンについての記述

ダイアンとの恋愛関係が終わった後、ウディはダイアンの妹二人とも付き合っている。

p56

付き合う相手をいつもバカにしていたという証言もある(ミアだけ?)

「君には才能がない。君が良い女優に見えるのは自分の映画の中だけだ。他の監督は誰も君を雇わない」

他にも、ウディは日常的に些細なことでミアをバカにしていたという。

p131

高校を卒業し、大学に入ったスンニとウディのやりとり。
彼らはポルノまがいのポラロイド写真を家に置きっぱなしにしていて、それがミアに見つかり関係がバレている。

スンニは、仕事が休みのウディを訪ねた。自分と付き合う若い女性にいつもそうするように、ウディは自分が敬愛するイングマール・ベイルマンの映画を進め、ウディの試写室で「第七の封印」を見ることになった。

p98

ミアは毒親か

 1973〜1995年にかけて、ミア・ファローは10人の子供を養子にしている。
ベトナム、韓国、アメリカ、インドなど出身地もさまざまで、後半はとくに養子として選ばれにくい年嵩の子や、身体に障がいを持つ子供を家族として受け入れていた。

実子は男子が4人。3人は2番目の夫との子供、1人はウディアレンと付き合っていた時期に生まれた子供(ただし、生物学的父親は最初の夫=フランク・シナトラの可能性も)

子供たちの中にはヒエラルキーがあり、ミアはそれを隠そうともしなかった。ミアが好きなのは頭の良い子とルックスの良い子で、頭が悪いとレッテルを貼られたスンニは、対象外だったのだ。

p92

ピアノ教師の証言では「実子も養子も平等に接していた」とあり、2番目の夫アンドレも「ミアは愛情深い母親だった」と述べている。しかし、養子の1人であるモーゼスは「贔屓はあった」と後年ブログに書いている。

たとえば巻き尺が見つからなかったときのこと。

「これを一日中探していたのに。どうしてここにあるのよ?」と責めた。モーゼスが、知らないと言うと、ミアは怒り、「自分がとった」と言うまで、モーゼスの頬をひっぱたき続けた。さらに、その"告白"をきょうだいの前でさせるべく、ミアの前で何度も練習をさせたのだ。

「遊ぼうと思って巻き尺を取りました。ごめんなさい、もう二度としません」

p197

養子のうち3人が若くして死亡している。

ラーク・ソング・プレヴィン(女子、2番目の子)
 養子に引き取られた年:1973年、乳児
 ベトナム出身
 2008年、35歳で死亡。依存症に苦しみ、貧困の末エイズで亡くなる

タム・ファロー(女子、10番目の子)
 養子に引き取られた年:1992年、13歳前後
 ベトナム出身、先天性の盲目あり
 2000年、19歳で死亡。うつ病、薬物の過剰摂取による自殺。

タデウス・ウィルク・ファロー(男子、13番目の子)
 養子に引き取られた年:1994年、12歳前後
 インド出身、先天性の麻痺あり
 2016年、27歳で死亡。車の中での拳銃自殺


ウディと付き合っていた時期に生まれた男の子はサチェルという名前で、のちに「ローナン」と改名する。

19歳の若さでロースクールに通い、オバマ政権下の国務省で仕事をしたり、オックスフォードで政治学の博士号を取るなど目覚ましい活躍をしている。ジャーナリストとして番組を持ち、#MeToo運動の火付け役にもなっていたようだ。


ミア・ファロー自伝 「去りゆくものたち」

今度はミアの視点から。

父親は映画監督、母親は女優で、7人兄弟の3番目にして長女、ビバリーヒルズの豪邸に生まれたが、複雑な環境だった。

弟のジョンは複数の子供に性虐待を加えた罪で刑務所に入っており、兄のパトリックは2009年に自殺した(自伝は1997年の出版なので、それらについては触れられていない)

こちらの本では、ウディが有罪であることを前提に描写されているのでそのスタンスで紹介する。ただ、ミアの物事の捉え方には偏りがあり、少女のように周囲を理想化することが多いようにも思える。

たとえば13番目の養子を迎えるときの描写

私はこのインドの少年について子供たちに話し、どう思うか聞いてみた。すぐさま彼らは、その子を助けてあげたい、なんとか力になりたいと口々に答えた。誰もがこの新しい弟を家族に迎えたがった。

p360

もし独裁者が周囲の人間に「これについてどう思う?」と質問しても、同じような反応が返ってくるだろう。


ディラン

ウディは養子としてやってきたディランを非常に可愛がっていたが、その可愛がり方が異常だったという。彼女はそのとき0〜7歳

ある日、セントラルパークでケイシーと一緒にたがいの子供たちを遊ばせているとどこからともなくウディが現れた。

アーミージャケットを着て帽子を被り、息を切らしている。
私たちに軽くうなずいてみせると、モーゼスやサッチェルには目もくれないまま、ディランの姿を追って走っていく。丘を越え野を横切り、小さな子供たちのあいだをぬってディランを追いまわしている。

p288

セラピストによって禁止されてからも、隙をみてウディは何度も以下のような行動を繰り返した。

・耳もとで何やら囁いては撫でまわす
・四六時中、手足をからめる
・掛け布団の中に手を突っこむ
・顔を彼女の腿に押しつける
・追いかけまわす
・ウディの親指を無理やり吸わせる

呼び鈴がなり、玄関のドアがバタンと閉まる。ウディがやってきた合図だ。ディランはキッチンから駆け出し、クローゼットへ、バスルームへ、ベッドや机の下へと逃げこむ。隠して、隠して、と年上の子供たちに押し殺した声で叫ぶ彼女。もはや、遊びごとではなかった。

p288

 ある日、下着一枚の彼がベッドの中で、ディランを羽交い締めするようにきつく抱きしめていた。それを見つけた私が彼の腕からディランを抱き起こすと、ウディは怒りをこめて吐き捨てた。「人が楽しく遊んでいるのに、台なしにする奴だ」
 どういう遊びなの、と私は言い返す。「これはいったいどういう遊びだっていうの?」

p289

ディラン以外の子供たち

それ以降ウディは、フロッグ・ホロウに来るたびバスケットボールやキャッチボール、チェスなどをしてモーゼスと遊んでくれるようになった。ただしそれがつづくのは五分か十分、最長でも十五分が限界。

p245

彼はミアが妊娠したときも興味がないそぶりで、それが男の子だと分かった途端に感情はゼロからマイナスになったという。生まれてからも、サッチェル(=ローナン)への扱いはひどかった。

 ウディは相変わらずサッチェルにはまるで関心がなく、ひどいときには憎んでいるようすさえ見せた。冗談とは思えないような調子で、自分の息子であるサッチェルを「父なしのチビ」とか「ごくつぶし私生児」と呼ぶのだ。

p282

十七歳になるデイジーがまず口を開いた。実はデイジーにもウディは、ここ三年で四回、「変な話」をしてきたことがあるという。デイジー自身や彼女の友だちがボーイフレンドと「遊び」はじめたのはいつ頃とか、どんなことをしたのか、とか。

p312

おわりに

 これらの混乱の最中でも「夫たち、妻たち」(1992)まで、ミアはウディの映画に出演し続けていることも興味深い。

 裁判があった時期に作られた映画「ブロードウェイと銃弾」(1994)と、ウディの人物描写がとても面白かったのでそちらも紹介したかったのですが、長くなってしまうのでまた別の記事にします。

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