小室直樹と山本七平の対談本から。
宗教、軍国主義の話は、また改めて記事にする予定です
第1部 日本社会の戦前、戦後
・足利から戦国時代ごろにあった「一揆契状」という契約書が、日本の民主主義の原型ではないかという話。
https://ja.wikipedia.org/wiki/傘連判状
・あらゆる出来事を「天変地異」として受け止めるため、それに合わせて自分たちのやり方を変えるだけで、相手を何とかしようなどという発想が生まれない。
商人なければ自由なし
日本人にとって「自由」の概念とは。
「自然」は良いもの
この「からくりに抵抗しない」状態は、「自然」にまつわる考え方にも通じるところがあったので合わせて引用する。
儒教の五倫
中国語だと日本語の「自然」のような言葉はなく、人間以外の自然を「天地」といい、人間の内なる自然のことを「性」と区別している。こちらの文化では自然=無規範であり、無規範に属するのは禽獣である。人間は禽獣ではないので、規範(五倫)に従うべきという考え方だ。
中国であれば、君主に対する忠誠=「義」と、親孝行=「孝」は別のドグマなのだが、日本ではそこが混ざってしまっている。
契約のない社会
・社会的自由というのは、簡単にいえば公権力はプライバシーに入ってくるなということで、外面においては責任を取るけれども、内面においては責任を取らない。宗教的自由なども同様で、近代デモクラシーの重要な部分である。
・日本の企業では、上司に対する態度は内と外の両方で従うことが良しとされていて、内面の自由は存在しない。上司が野球が好きなら野球を好きになり、ゴルフが好きならゴルフを好きにならなくてはいけない。
(何も日本に限ったことではないような気もするが、こちらの本では一応「アメリカでは違う」とされている)
・個人が集団から析出されておらず、たとえば犯罪についても、犯人と同じ会社の人間にまで影響が及ぶ。大学生が犯罪を犯すと学長が頭を下げるのである。
・戦争中、ノモンハンなどの局部的な敗戦においても、軍法会議にかけられた軍司令官がいなかったらしい。切腹した人はいるが、本当にその人の責任かどうか、議論されないまま当人が自殺しているのである。
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