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叶えられた祈り
『叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される』
主人公は作家であり男娼でもある人物。お金持ちのコンパニオンもやっていて、ある日大きな事件に巻き込まれるという筋書き。
(コンパニオン=買い物に付き合ったり、食事の支払いをするなど、雇い主と一緒に行動する友人役のこと)
実名に近い形で社交界の暴露話を描いたため、著者=トルーマン・カポーティは多くの人の反感を買ったという。編集者や有力な人物に顔を売るのと同時に性関係をもつことが、ごく当たり前のように書かれており、スター同士が「素敵な関係だった」ことも普通だし、話題の中心は他人のゴシップである。
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実名で登場する人物=ジャクリーン・ケネディ姉妹、モンゴメリ・クリフト、テネシー・ウイリアムスなど
p80
この、自分を劇的に語るのが好きな太った小男は、自分の作品に出てくる孤独なヒロインのひとりのように、自分でも半分しか信じていない嘘を見知らぬ人間に話すことで、人の注意をひき、同情を得ようとしている———。見知らぬ人間に話すのは、彼には友人がいないからだ。
そして友人がいないのは、彼が自分の作品の登場人物と自分自身にしか同情しないからだ———その他の人間は彼にとっては観客でしかない。
サミュエル・ベケットと、ペギー・グッゲンハイム。
p89
彼女のとりまきだったジゴロのような連中のなかに、サミュエル・ベケットの名前があがったときには驚いてしまった。金持ちで世界的に知られたユダヤ人の女性と、『モロイ』『ゴドーを待ちながら』の修道士のような作家との組み合わせは実に奇妙で、容易には想像できなかった。
ペギー・グッゲンハイムと一緒にいた当時のベケットは、金もなく本もまだ出していない無名の作家だった。そういう人間が銅財閥の相続人である大金持ちの心やさしいアメリカ人女性を愛人としたからには、そこに何か純粋な愛情以外の動機があると考えられる
(ついでに、こちらの映画ではペギー・グッゲンハイムに評価されたアーティストとして、デニーロの両親が紹介されている)
小説内でモデルにされて自殺したアン・ホプキンズの事件。
p198
彼女が成功したいちばんの理由は、彼女がニューポートの名門の息子と結婚できたという事実は別にして、公爵夫人と知り合うことができたことね。
アンは、いちばん賢い、貧しさからはいあがってきた人間だけがわかっていることをちゃんとわかっていた。つまり、底から表面の上がっていきたいと思ったらいちばん確実な方法は、サメを一匹見つけて、それに、パイロット・フィッシュのようにしっかりくっつくことだということをわかっていたのね。
田舎町だったら地元のフォードのディーラーの奥様に取り入るし、デトロイトだったらフォードの社長となんとかしようとするものよ。パリでもローマでも同じね。
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カポーティは社交界にうまく入り込めたのに、その居場所を自分で壊したところが面白い。成功してからも「ここではない場所」を常に探していたように見える。
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