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日本と東南アジアから見た餃子の伝統と地域化―日本・香港・ペナン・シンガポール・ホーチミン―

 Ⅰ:皆さんは、東南アジアに旅行に行かれたときに、餃子を食べられたことはありますか?中華圏の国であれば、どこでも餃子の店は見つけられるし、かなりの人気店、有名店がネットで探せます。そして口コミを読むと「焼餃子がおいしかった・・・」等のコメントも多くあります。何といっても日本は「好きな中華料理」に餃子が筆頭に上がるほどの餃子大国。しかもその餃子は圧倒的に「焼餃子」であることもよく知られています。
「なぜ日本で焼餃子が主流になっているのか?」
「米食文化の中で、おかずとしての焼餃子のパリパリとした食感が日本で受けている』
 他にも要因はたくさんあるのかもしれません。
 しかし、「本場中国では水餃子が主流である」ことも実はよく知られています。更に昨今では、「ガチ中華」という呼ばれ方が広まるほど、「中国から来た人々が本場の味をそのままに提供する店」が随分増えてきて、中国東北地方出身の料理人さんが本場の餃子を出してくれる餃子専門店も探せば見つけられます。これからの日本の「餃子地図」も、少しは変化が見られてくるのか、楽しみです。

 さて再び東南アジアです。それでは東南アジア諸国では餃子の状況はどうなっているのでしょうか? ひょっとすると日本との類似性があるのかもしれません。2023年11月。2週間という短い期間ではありましたが、別件を抱えながら、餃子の諸地域展開の視察旅行をしてきました。①香港、②中国(深圳)、③マレーシア、④シンガポール、⑤ベトナム(ホーチミン)。
 いやあ、こんなに毎日毎日餃子を食べたのは間違いなく人生初めてです。そして、どの店で食べた餃子からも、手作りの温かさ、一生懸命餡を作る工程(多くの店で見られます)、具材の違いによる微妙な味わいの違い、それぞれの店が持つオリジナルのたれのインパクトが、今でも蘇ってきます。

 Ⅱ:さて、それでは、それぞれの店の特徴および違いについて、地域別に見ていきましょう。

Ⅱ―1:まずは前提となる華僑・華人の「移住元」の3分類。
一番の「原点」といえるのは、中国東北地方なのですが、多少範囲を広げ「北域」としました。Aグループ。次に上海などの華中および福建省、広東省の潮州までを、これはかなり便宜的ですが「中域」としています。Bグループ。最後が潮州より南の広東省、海南省を「南域」。Cグループ。
東南アジア諸国への華僑・華人の民族分類では、福建人、潮州人、客家人、広東人、海南人が多いのですが、最初の3組が「Bグループ」、最後の2組が「Cグループ」となります。
 華僑・華人の移住の歴史については、1980年頃の中国の改革開放「以前」と「以降」で大きく分けられます。「以前」は上記5グループが多かったのですが(B,Cグループ)、「以降」はほぼ全土からの移住が見られ、特に東北地方からの移住が多い状況になっています(Aグループ)。

 Ⅱ―2:Aグループ(伝統)の包括的特徴と店。
 すべての「移住先」訪問地で、しっかりと存在することが掴めました。(ホーチミンのみ店には入ったのですが事情で残念ながら食べることはできませんでした) それぞれ多少の「現地化」は当然ながらあるのでしょうが、基本的に東北地方出身の店主さんが運営していて、水餃子を主力としながら、本場の味を守っています。店内の雰囲気も東北地方をそのまま持ち込んだようで、中国のお正月に家族で一緒に作る餃子の香りが漂うような、そんな店ばかりでした。ただし、現実的にはまだまだ量的には、「現地化」された店には並べられないようです。何とか、マーケティング等々の手法で、「本場の味」の方向性の中で、広めていっていただきたいと切に願います。

 日本=春ちゃん手作り餃子
 瀋陽出身の明るい店主さん(春ちゃん)が、「お母さんの味」を出してくれるような店です。「本場の味」をいろいろ教えてもらえます。朝早く7:00から営業しているのもありがたい。
 香港=北方餃子源
 香港は餃子専門店が非常に多い国の一つで、広東料理の本場であることから、Ⅽグループが中心なのですが、Aグループも頑張っています。店は香港に複数店ありますが、宿に近い旺角店に行きました。「安心の味」です。
 ペナン=東北餃子館
「美食の街・ペナン」の中心地、ジョージタウンでは、街中においしい店が集結しているのですが、残念ながら餃子の店を探すことは簡単ではなかったです。下記のBグループの特性に繋がります。しかし、ほんの少し中心地から歩いたところに、東北餃子館の看板が見え、懐かしさが漂う店内に吸い込まれていきます。
 シンガポール=東北人家
 チャイナタウンの北側に位置する「Upper Cross Street」にある店。この通りには他にも2軒「東北」を謳っている店があり、「ミニ東北通り」と言えそうです。
 ホーチミン=東北餃子
 ホーチミンの超繁華街「ブイビエン」の通りにある店。店に入ってみて雰囲気を見ただけです。次回はぜひ。

 Ⅱ―3:Bグループの包括的特徴と店
 実はこのグループが、一番消化不良でした。何といっても、「潮州」「福建」「上海」「台湾」と、それぞれが綺羅星の如くその地独自の料理体系を築いている地です。例えるとお粥であれば「広東粥vs潮州粥」のように、Bグループの独自性が主張されていることを期待したのですが。当然ながら認識不足が多々あると思っていますので、今後の課題といたします。

 シンガポール=京華小吃
日本にも銀座他に5店舗ある有名店です。本店はシンガポール、ニールロードに1989年新規開店。「上海に住んでいたハンさんの母親と、妻が家庭で作っていた餃子レシピを元にした店(お店のHPより)」
 日本では圧倒的に小籠包が主力ですが、シンガポールでは水餃子も同じように人気メニューとのこと。
        
(醸豆腐 YONG TAU FOO)
 番外的です。その昔になりますが客家の人々が北方から南下する際に、餃子の小麦の代替として(豊富であった)豆腐を皮に使い、中に餡を入れて作られた料理。今では正直「おでん」のように見られます。
日本ではまだまだ馴染みは薄いですが、いつか「南洋中華」の一角として地位を築いていくかもしれません。マレーシア、シンガポールでは広く見られます。

 ホーチミン=大娘水餃
台湾出身の店主さんの店で、ホーチミンでは広く観光客にも人気の店です。「台湾餃子」はかなり本場の水餃子と類似で「本場の踏襲」に見られるのですが、追って「台湾餃子」の歴史を深めていきたいです。

Ⅱ―4:Ⅽグループの包括的特徴と店
このグループが、「展開」としての特徴が一番明確に出されていて面白いです。
北方餃子=主食として皮を厚めに。→広東餃子=全体での米食文化の中で、餃子を副食として皮を薄めに「蒸餃子」が発展。「点心」の一角にもなり、スープにも入れられ「多彩」です。
 
 香港=美味餃子店
 20席程度の席は開店すぐに満席で相席は当たり前、食事終了同時に「席を空けて」の空気が濃厚になる超人気店です。残念ながらお話を聞く時間は取れませんでした。
ほぼすべてのテーブルにはほぼ同じお皿が並び、一人~少人数のグループのお客さんは真っ先に料理に向かっています。同席いただいた在香港の友人から聞いた限りでは「実質的には水餃子と焼餃子の2メニュー(プラス中に入れる野菜の違い)」ただしその水餃子は「スープ餃子」です。
 焼餃子も人気。本場中国では、焼餃子は「残りものの炒め直し」の感覚で軽い扱いと聞きますが、香港を含め東南アジアでは焼餃子もかなり人気と感じました。
 
 ホーチミン=玉意水餃
ホーチミンには中華街があります。華僑・華人の中では広東系が多い街で、餃子店も香港と同じように「スープ餃子」が主力のようです。(面白いことにホーチミンの中華街は、例えば横浜中華街のように「中華料理の店が林立」ではなく、餃子が特に有名で、「餃子通りHà Tôn Quyền」と呼ばれる通りがあるくらいで、しかし他には料理店が集結しているところはないようです。(他には中華系のお寺が集まっていて、「福建」「潮州」「広東」「海南」のお寺があることから、「ホーチミンでの中華の中での民族性と食事情の関連」についても調べる橋渡し、きっかけになりそうに思いました)
 いつかHà Tôn Quyềnでの多くの店を制覇してみたい!

Ⅱ―5:番外
 日本=你好
 A-Cグループではないため、番外ですが、最も日本的な餃子=焼餃子のうち、中でも「羽根つき餃子」の元祖と言われる店です。
当時の満州から敗戦後に引き上げをされた八木功さんが、現地で食べられた餃子をもとに羽根つき餃子の発案、大ヒットとなって、親族何人かが蒲田で類似の店を展開し、「餃子の街」になったというストーリーで、「蒲田」の名前を一躍有名にいたしました。
 明確に「原点」を中国東北地方に置きながら、急速に「現地化」を図った点で、ユニークな存在ですし、日本の餃子文化を象徴していると思います。

 Ⅲ: 纏め

 中国は広大な国土があり、4大料理、8大料理といった、それぞれの地方での料理体系ができあがっています。しかし、餃子は、かなりの共通性を持って、東南アジアを含めた地にも幅広く浸透している、数少ない料理の一つと言えるのではないでしょうか。
 まず、文化背景として、「春節に家族が集まり一緒に餃子を作る」、この偉大な文化が骨格にあります。太い幹としてまっすぐに、杉の木のように伸びています。
 次に、華僑・華人の移動に伴い、それぞれの移動先で、移動元の民族性と、移動先の地域性が複雑に絡み合って、華麗でふくよかな枝と葉の広がりを見せています。
 この、縦と横での壮大な確立。これが今回の東南アジアの旅で実感できたことでした。しかも、それは東南アジアに限らず、華人の行くところ、世界全域での広がりが見られます。もう一つ加えると、それもまた大きな時代の流れの中で、変化が見られていくのかもしれません。世界各地への旅の中で、そんな視点を加えると、旅の楽しみが更に深まるのではないでしょうか。

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