今年の『ユーキャン新語・流行語大賞』を受賞した言葉は「アレ」ですが、昭和の男がアレをするときに使いがちな言葉といえば「今夜はハッスル!」……みたいな導入から、できるだけナチュラルな感じで「阪神タイガースと『ハッスル』という言葉の関係」について書き進めていきたかったのですが、残念ながら無理でした(笑)。ということで、ここから先は普通に説明口調で話を進めます。
野球好きの方なら「『ハッスル』という言葉は、阪神タイガースが1963年にアメリカでキャンプを行った際に持ち帰ってきた言葉」という話を聞いたことがあるかもしれません。この説については、「日本最高峰の国語辞典」とされる『日本国語大辞典』に
と書かれていることが、日本において定説となった理由ではないかと思います。……が、国会図書館デジタルコレクションに「ハッスル」と入れて検索してみると、1963年以前の用例もけっこう出てくるんですよね。
とりあえず、僕が発見した最古の「ハッスル」という記述はこちら。
これは河野安通志が書いた「ハリス捕手論」という記事からの抜粋。一般的には「1963年に阪神タイガース」が持ち込んだとされるハッスルですが、なんとそれより25年も前に日本で活字になっていたのですね。ちなみに、この記事のネタになった「ハリス捕手」ことパッキー・ハリスは、1936年に始まった日本初のプロ野球リーグ・日本野球連盟で活躍した外国人選手。もしかすると、「ハッスル」という言葉は活字にこそあまりなっていなかったものの、当時のプロ野球の外国人選手の間では普通に使われていた言葉なのかもしれません。
ただしこの用例は、デジタルコレクションで検索できる中では例外的というか、異常に早すぎる感じです。なにしろ、その次に「ハッスル」というのが登場するのは、1950年代の雑誌『ベースボール・マガジン』ですから、10年以上も早い。
こちらは『ベースボール・マガジン』に初めて「ハッスル」という言葉が登場した1950年の記事からの抜粋。往年のメジャーリーガー、エノス・スローターに関する記事ですね。
で、翌51年より、『ベースボール・マガジン』にジョージ・バーというアメリカ野球界の大物審判らしき人がちょくちょく登場することになるのですが、彼に関する記事には結構な頻度で「ハッスル」という言葉が登場するのですよ。まずはジョージ・バーのデビュー作(?)にあたる、『審判あれやこれや』というコラムから紹介しましょう。
で、この後に『ベースボール・マガジン』誌上で、「審判の手引き」というジョージ・バーの連載が始まります。この連載はおそらく、バーの著書『Baseball Umpiring』(1952年)からの翻訳・抜粋だったのではないでしょうか。で、その元本の『Baseball Umpiring』は、1953年に『野球審判の手引き』というタイトルで日本でも刊行されています。当然、「ハッスル」という言葉は、これらの中にもちょくちょく登場。ここでは『野球審判の手引き』の中から、一部紹介しましょう。
どうでしょう? 個人的には、「この流れを見る限り、日本の野球界に『ハッスル』という概念を定着させたのはジョージ・バーじゃないかなぁ(ただし、世間一般には届けられず)」とか思ったりしました。
さて、ここでちょっと気になったのは、1950年のエノス・スローターに関する記事においても、また、ジョージ・バーによる一連の記事においても、「ハッスル=一生懸命やること・よく動くこと」となっている点です。Wikipediaの「ハッスル」には
などと書かれているのですが、ジョージ・バーの時点で「ハッスル=張り切る(≒一生懸命やる)」みたいなニュアンスで使われていませんかね……? とか思ったので、英英辞典で調べてみたところ
「一生懸命やる」は2番の用法で、「よく動く(=機敏に動く)」だと3番の用法も該当するのかな、って感じでしょうか。ともあれ、普通に考えたら現在の日本における「ハッスル」の意味って、『ロングマン英英辞典』でいうところの2番目の意味由来となるかと思います。
まぁ、これは辞書上で「American English」とされているので、イギリスでは使われない意味、すなわち「本来の意味とは異なるニュアンス」なのかもしれません。しかし、アメリカ英語でも同じような意味合いで使われている以上は、Wikipediaの「日本における『カタカナ語』としては本来の意味から大きく外れ……」という記述は、ちょっと違うんじゃないかなぁ、とか思ったり。
……以上、少し脱線をしてしまいましたが、「ハッスル」という言葉に関するここまでの流れをまとめると
日本では、日本最初のプロ野球リーグ(日本野球連盟)が発足したころから、外国人選手によって普通に使われていた言葉なのかも
ただし、活字媒体(というか『ベースボール・マガジン』)にちょくちょくに登場するようになったのは、1951年にジョージ・バーという審判員のコラムとかインタビュー記事が掲載されるようになって以降
この時点では、「ハッスル」という言葉は一般化していないので、搭乗するたびに「(=一生懸命やること)」といったような注釈がついている
という感じでしょうか。
さて、その後ですが、「ハッスル」という言葉は定説となっている「1963年の阪神タイガースのアメリカキャンプ」によって『ベースボール・マガジン』以外のメディアでも広く使われるようになり、一般化した……かというと、そういう訳でもなさそうです。というのは、実はその少し前から、ちょこちょこと野球専門誌以外の雑誌でも使われているのですよ。どのような局面で使われたかというと、いわゆる「日米野球」が行われたときですね。
たとえば、1955年のニューヨーク・ヤンキースの日本遠征時。ヤンキースの来日前は
と、ハンク・バウアー選手のニックネームとして「ハッスル」という言葉が使われています。そして、日本で試合が行われた後は
と、ヤンキース戦で活躍したタイガースの吉田義男選手に対し「ハッスル・ボーイ」というニックネームが与えられています。つまり、1955年のヤンキース来日時には、主に選手のニックネームとして使われた感じですね。
また、1958年に来日したセントルイス・カージナルスは、この言葉をチームのスローガン的に用いていたようで、当時の雑誌の記事を見ると
と、「カージナルスによって『ハッスル』という言葉を知った」「カージナルスが日本に『ハッスル』という言葉を残した」的な記述がけっこう見けられるます。で、このカージナルス来日時の影響か、1960年代になると
などと、一般の週刊誌でも、特に注釈なく「ハッスル」という言葉が使われてるのですよね。
といった経緯からすると、「『ハッスル』という言葉は、1963年に阪神タイガースが持ち帰った言葉」という定説って、ぶっちゃけ無理があるんじゃないかなぁ、とか思ったり。
おそらく「『ハッスル』という言葉を日本に広めたのは、1958年に来日したセントルイス・カージナルス」「1963年の阪神タイガースのアメリカキャンプの報道がきっかけで、『ハッスル』ということばが日本で流行語となった」あたりが正しいような気がします……って、本当に流行語だったかは知らないんだけど(笑)。
とか、そんな感じですが、個人的に「惜しいなぁ」と感じたのは、ヤンキースに「ハッスル・ボーイ」と称賛されたのが吉田義男選手だったところ。というのは、吉田選手にはこの時点ですでに「牛若丸」というピンズドな異名があったので、せっかくヤンキースの皆さんから「ハッスル・ボーイ」と呼ばれても、それが新たなニックネームになることは無かったっぽいのですよね。もし吉田選手以外が「ハッスル・ボーイ」と呼ばれていたら、日本における「ハッスル」という言葉の流行はもっと早かったかもなぁ、とか思ったりしました。