不調の話

人生で体調不良になったことがない人は、ほぼいないだろうと思う。わたしもそう。中でもヤバかったなぁと思うことが数回あった。

記憶はないが幼稚園くらいのときは肺炎。喘息も相まって1ヶ月近く幼稚園に行けなかったと、度々母から未だに言われる。

小学校のときは腎盂炎をやらかした。芋の天麩羅がめちゃくちゃ好きで、ある日の夕方も喜んでたくさん食べたところ夜中にゲロゲロになってしまい、翌朝高熱。翌日病院に行ったところ、腎盂炎だ水分取ってとにかく膀胱をきれいにしろと言われ、1週間ほど寝込んだ。このとき生まれて始めて40℃を超える発熱を体験した。自覚症状が出る前に脂質の高い食事をしたせいで、膀胱が耐えられなくなったぽい。当時の通院先は親戚がやってた内科だったんだけど、このエピソードだけでよく腎盂炎だってわかったなぁ、と今になって思う。その後、たまたま学校の健診で尿検査やってた結果が案の定だった。
このときはもう片親家庭で、学校の後は祖父母宅で過ごすことになっていたので、体調不良時も祖父母宅で寝込んでいた。40℃超えた体温計を見た祖母が慌てて母親に電話してたのをぼんやり覚えている。時期でもないのに百貨店で西瓜をひとたま、担いで帰ってきてくれたことも。なつかしいな。
ちなみにこれは、芋の天麩羅に命を救われた話としてときどき他人にすることがあった。このとき芋の天麩羅を食べていなかったら発覚が遅れて入院してたかもしれない、と言われたりしたのだ。嘔吐恐怖症としめはゲロゲロでしんどかったけど、あのときはありがとう母。芋の天麩羅作ってくれて。

あと内耳炎?もやったっけ。ある日から車のドアを閉める音が耳に響いて痛みを感じるようになり、耳鼻科に行ったところ、両耳の鼓膜の内側に膿が溜まっているので鼓膜を切開して吸い出さないといけない、ということになった。片耳ずつ別日でやったが、初回のときの麻酔が効かなかったようで、鼓膜を切開したときの激痛は今でも思い出すくらいだった。あれを超える痛みは、帝王切開の後陣痛くらいだと思う。めちゃくちゃ痛かったが動いたら鼓膜が終わるので、診察の椅子にしがみつき、ポロポロ泣いた。となりの椅子に座っていたおじさんがハラハラした顔をして、めっちゃ応援してくれたのも覚えている。あのときはおじちゃん、ありがとう。その後日、反対側を処置したときは麻酔がちゃんと効いて初回ほど痛くなかった。この痛みを経験して以来、大抵の痛みはなんとかなるというのを学んだ。もうできれば味わいたくはないが。

中高大はそこまで大きなものはなかったと思う。ただ、高校の時、下北屋根裏で知り合いのライブに行き、スピーカーの真ん前にいたら騒音性難聴というやつをやらかした。このときはマジで聴力が落ちて、50年くらいうるさい工場で働いてる人くらい聞こえてないというよくわからん比喩をされたことを覚えている。難聴は2週間以内にめっちゃまずい薬を飲まないと治らなくなるので、聞こえがおかしいな、耳鳴りがずっとしてるな、耳づまりするな、というサインが出た人には耳鼻科にすぐ行って!!と懇願することにしている。ちなみにわたしは無事に完治したが、その後もストレスかかると突発性難聴になったり、軽めのメニエールになったりと耳に来るようになってしまった。

大学のときは、すごく地味だけどワンシーズンに1回は胃腸炎をやらかした。そのうちの1回は、ロッキンで茨城に遠征したときだった。朝は元気でなんともなく、友人の車で茨城まで行ったのだけれど、寒気と腹痛でこりゃおかしい状態になって初めて救護室のお世話になった。熱を測ったら39℃超で、常駐していた医者に「ここはライブで怪我した人が次々運ばれてくるからずっと横になっていられる場所がない、残念だけどドクターストップだよ、タクシー呼ぶから近隣の医療機関に受診してね」と言われた。ところがひとつ問題があり、まさか体調不良になると思っていなかったので友人の車に保険証やまとまった額を置いてきてしまったのだ。そして友人に電話するものの、つながらない。困り果てていたら、医務室のスタッフさんがとりあえずタクシー代貸すから友人に迎えに来てもらいな!と三千円を貸してくれ、おかげで無事に受診して友達にも連絡がつき事なきを得た。受診後、スタッフさんにお金を返して丁重にお礼を伝えた。返ってくるかどうかわからないのに、助けてくれて本当に有り難かったなぁ。その年のトリのRADWIMPSが見たかったのだけれど、そんな状態ではなく、友人に慰められて帰宅したのをよく覚えている。これも懐かしいな。

社会人になってからは、腰椎椎間板症で入籍2週間前に寝たきりになったことが忘れられない。もともと腰痛持ちだったのだけれど、当時仕事で運転していた車高の低い車で、助手席の下に落ちた荷物を拾おうと、運転席側から屈んだところで腰に電流が走り、動けなくなってしまった。しかも出向先の駐車場だった。しばらく七転八倒しながら、なんとか出向先の事務所にたどり着き、そこにいた事務員さんに助けを求めた。たまたま事務員さんの自宅が近く、自家用車を出して評判の良い整形に連れて行ってくれた。このとき腰椎椎間板症とかヘルニアをやらかすと、仰向けになった状態から足を上げるときに激痛が走るという知見を得たりした。もちろんMRIも後日やり、椎間板のいくつかが狭まっていて悪さをしている、これは手術するほどではないので痛み止めを飲んで、さわっている神経から椎間板がいい感じになるのを待つしかない、あとは腹筋をつけたりするリハビリに来てねと言われて真面目に通ったのもよく覚えている。座っていられないし入籍前だしで、生まれて始めて休職もした。でも入籍は無事にでき、それだけは事なきを得た。腰はマジで大事!というのを身を以て実感したなぁ。。。

最近で言えばコロナ。間もなく5類になる、なんて話が聞こえ始めた去年のあたま、職場の人からもらってしまった。当時は妊娠中だったので、その頃には陽性者全員が対象ではなくなっていた健康観察の電話や保険金の支払いの対象に該当したので、オンラインでの健康観察に加え、陽性妊婦への保健所の電話に対応し、保険金請求の手続きをしてるうちに待機期間はあっという間に過ぎた。ひたすらマスク!洗えるものは布団すら毎日洗う!食器はもちろん別!でも別室隔離は無理(家の構造と、幼児の対応のため)!という感じだったが、家庭内感染はしなかった。コロナについてはまた別に書こうかな。

改めて思い返すと、体調不良時って人の優しさに触れることが多かった。身内にしろ、知らない人にしろ、たまたま運が良かったのだと思うけれど、わたしも誰かが突然の不調とかで困っていたらできるだけ助けようと思う。コロナ禍以降、逆に不調そうな人に近寄れない雰囲気もあるけれど。まあできるだけ、できることだけでも、できたらいいなと考えたりしている。


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