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抱擁に灼かれて 2

星河と病院で会ってから、堂島は大学の構内で目立つ金髪を目で追うことを止めた。講義には出席するが、学食は利用しないで屋外のベンチに座り、通学途中にコンビニで買った総菜パンやおにぎりで昼を済ませている。ひとと接触することを避けているのだ。

担当医には星河について聞けずじまいだった。何故星河が堂島の病のことを知っていたのか、問い詰めれば良かったとも後になって思う。しかし通院は三ヶ月に一回で、次に経過観察のために病院に行くのは年が明けてからだ。その頃に蒸し返すのも面倒な気分になってきて、もうどうでもいいという投げやりな考えが湧いてきた。どうせ一年と少しすれば星河は大学を卒業していく。

冬期休暇前、レポートの提出のために大学の図書館で資料を探している時、視界の端を金髪が横切った気がして堂島は振り向いた。星河だ。まだ金髪のままなのか。そう思いながら視線だけで姿を追うと、星河は何冊かの書籍を手に持って貸し出しカウンターへと向かった。アルバイトらしい若い女性職員が貸し出し手続きを行うのを見ている。その後ろ姿を堂島は見ていた。

「星河先輩、中退するらしいよ」
「えっ、なんで」
「病気なんだって。実家がお金持ちだから就職活動もしてなくて、治療で海外に行くとかって聞いたけど、本人に聞いたんじゃないからよく知らない」

隣の書棚からひそひそ話が聞こえてきて、堂島は最後に星河に何故病のことを知っていたのかを尋ねたい気持ちになった。なけなしの勇気を振り絞り、図書館から出て行こうとする星河の後を追う。この時にはもうレポートのことなど頭から消え去っていた。

「星河先輩」

声を掛けると星河が振り返る。手の届かない距離感を保つことには慣れていた。堂島と星河の間には一メートルほどの空白がある。声を掛けてきた相手が堂島だと気付き、星河は表情を和らげた。

「さん付けでいいよ」
「星河さん」
「なぁに。こころクン」
「なんで俺の病気のこと知ってたんですか」

直球の問いかけに星河が困ったような顔になる。こうして向き合ってみると星河は案外表情豊かで、堂島が想像していたよりもずっと幼い印象を受けた。

「藤村先生から聞いたんだよ。同じ大学に、同じ病気の子が入学するって。でも名前まで知らなかった。病院で会ったから『あぁ、この子だったんだ』って分かったの」
「名前を知ってたのは、なんでですか」
「学食できみと同期の子が話してるの聞いたの。消しゴムを落としたのを拾ってあげたことあったでしょ。でも渡す時に手渡しじゃなくて机に置いた。嫌われてるのかなって言ってたよ。その子はこころクンと仲良くなりたいみたいだったのに」

星河が話したエピソードは記憶にはなかったが、予想通り担当医である藤村が堂島の病のことを洩らしていたのだと分かり、思わず舌打ちしたい気分になった。一方で女性にだらしがない噂を立てられている星河が、同じ病だというのはおかしな話ではないかと疑問が湧いてくる。

「星河さんは、ひとに触っても平気なんですか」
「平気じゃないよ。あっ、女たらしだって噂、本気にしてるの? あれ全部デマだから。フラれた腹いせってやつで変な噂ばらまかれて、めんどくさいからそのまま」

質問ばかりの堂島に、星河は饒舌に答えを返してきた。立ち話もなんだからと徒歩五分ほどの通りにある喫茶店で話さないかと誘われたが、レポートを言い訳にして辞退する。中退の話は聞くことが出来なかった。そこまで踏み込むのは堂島にはまだ早すぎる。

「あのさ、変なお願いしてもいい?」
「なんですか」
「ちょっとだけ、ぎゅってさせてくんない?」

星河の頼みに戸惑いながら歩み寄って、あと一歩というところで立ち止まる。厚着の上からならば火傷にはならない。そう藤村に言われたことを思い出したからだ。同じ担当医に診てもらっているのだから、星河も知っていることなのだろう。堂島は膝丈のダッフルコート、星河はライダースジャケットを着ていて、素肌さえ触れなければ平気なはずだ。

夕暮れが深まっていく中、柱の陰に隠れ、お互いに頬や髪が触れないように細心の注意を払いながら、堂島と星河は不器用な抱擁を交わした。香水のにおい、息遣い、隔たれた体温、そんなものを感じて堂島は泣きたい気持ちになる。

最初で最後だ。星河とはきっともう、会うことはない。

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