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手紙を書くよ

樋口には文通相手が居る。淡野という四十代半ばの同性だ。元々は樋口が通う大学に特別講師として招かれたエッセイストで、文筆業を志す者として猛アピールした末に、何故だか文通を始めることになったのだった。令和の時代に手紙を書くなどというまどろっこしいコミュニケーションを取りたがる人間は居ないと踏んだのかもしれない。樋口は諦めずに食らいついていったのだが、淡野は筆まめで月曜日の昼に投函した手紙の返信が週末には届く。

土日に書いた手紙を月曜日に出して、金曜日の夜に返信を読む。煙草を嗜むのだろう、淡野からの手紙はいつもほのかな煙草のにおいがした。もし樋口が喫煙者だったならば、恐らく気付かない。そのことについて手紙で触れたことはないが、淡野の煙草のにおいは嫌いではなかった。外はどこも禁煙で肩身の狭い思いをしながら自宅で喫煙する淡野の姿を想像する。しかし初対面から一年も経てば、もうどんな顔でどんな声だったのかも思い出せない。

一年、一度も会わないまま同じ東京都内で文通を続けている。会って話せば手っ取り早いことを、手書きの文章で伝えることは、習慣になってしまうと苦痛ではなかった。日々感じること、学業のこと、将来の夢、そのための努力など、青臭い文章を綴る樋口を淡野は決して否定しない。記念切手と簡素なレターセット、それだけが互いを繋げるものだとしても、心地よい関係を築けていると思っていた。

晩秋のある金曜日の夜のことだ。居酒屋のアルバイトから帰宅すると、樋口宛ての郵便は一通も届いていなかった。同居の父母や弟に手紙がなかったか尋ねても、知らない、見ていないという。嫌な胸騒ぎがした。祈るような気持ちで土曜日の配達を待っても、淡野からの手紙が届くことはなかった。

のちに知った話だが、淡野は心を患っていて、長期入院に至ったらしい。淡野の妹を名乗る人物が、書きかけで机に残されていたという手紙とともに同封の一筆箋で知らせてくれたのだ。「手紙を書いてもらっても本人が内容を読解出来るかどうか分からない」とも書いてあった。

それでも樋口は月曜日の昼になれば、手紙を投函する。返信が来ないことが分かっていても、淡野との関係を断ち切りたくはなかった。小さな会社に内定が決まって、Webライターとして記事を書かせてもらうことが出来るかもしれない。そう報告すると懐かしい筆跡で一言だけ、「おめでとう」と書かれた葉書が届いた。

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